第一章-15 笑顔を遺したくて

 驚いた。それ以外の感想が正直出てこない。同期でこういった事を予測出来るのはアルだと思っていたというのが正直な所だ。まさかターサがいるとは夢にも思わなかった。


「状況確認は終わった。粗方お前の危惧した事がそのまま起こった形だ。今後お前の意見にも積極的に耳を貸さねばならんかもしれないな」

「私はあくまでそうなのではないか、と予想しただけですので…。それに、シフルさんの小隊が未然に危機を防ぐ事が出来る事までは予想出来ていなかったので…」

「そこに関してはシフルとこのイアンの手柄だな。しかし私達だけではこの奇襲に即時対応する事は出来なかっただろう。感謝するよ、ターサ」

「こちらこそ新人である私の意見を汲んで頂き感謝しています。…私はこれで今回の奇襲に関してはもうする事が無いので元の小隊に戻る、という事で宜しいでしょうか?」

「ああ、そうなるな。エリザベートが戻り次第小隊に戻ってもらう事になる」

「その前に一度イアンと話す時間を頂いても宜しいですか?」

「ああ、構わん。…そうだな。ここで話しにくいならテントの外で話してくると良い」

「有難うございます」


 そのままターサは一礼してこちらに歩み寄ってくる。


「じゃ、そういう事だから。イアン、行きましょ」

「あ、ああ…。隊長、失礼します」

「話し終わったら戻ってこい。別に話す時間まで制限する気はない」

「有難うございます」


 俺も一礼し、ターサの後を追ってテントを出る。そして改めてターサに向き直る。ターサの瞳には安堵の色の他、心配の色が少し残っている事が分かってしまった。


「…イアン…。無事でよかった…」

「まあ、今回はなんとか事前に気付けたからな。というか、ターサがこちらの小隊の危機を予測しているなんて思わなかったな」

「少し考えたら分かるじゃない。カボットの壁の異常性とか。今襲われやすい小隊が何処なのか、とか」

「まあ俺は当事者だから分かったけど…。自分以外の小隊が奇襲の危機に瀕していても分かった自身は無いな。いや、恐らく分からなかった」

「んー、そうね。まあ私たちはエリザベートさんが付いてたしね。あの人殆ど小隊とは別行動してたけど、それでも危機に陥ったら多分一番安全に対処できるわ。だから余裕があったのかもね」

「まあそれもそうか…。というかターサはエリザベートさんがどんな魔法を使えるのか知ってたんだな」

「…そりゃなんとなく予想は出来るわ。頻繁に小隊から姿を消して何食わぬ顔で帰ってくるんだもの」

「…そんなもんかなあ…」


 少なくとも俺はそれじゃ予想できない、とは口に出せない。


「それより!本当にイアンが無事で良かった…」

「まるで俺が死ぬのが確定してたみたいな言い方だな。問題なく奇襲には対応出来たってのに」

「私がどんなに言っても中々エリザベートさんも隊長も動いてくれないんだもの…。それに私からしたらイアンが奇襲に気付けたのだって奇跡みたいに感じてるんだから」

「それはお互い様かもなあ…」

「ふふっ…。それもそうなのかもね」


 ターサは軽く笑う。そして、目元を拭う。最初、それは笑い涙なのかと思った。しかし、直ぐにそれが違う物である事に気付く。ターサの身体は震え、両の掌を目に押し付けている。嗚咽も聞こえてくる。


「…おいおい、大丈夫かよターサ…」

「…ごめんね。我慢してたんだけど。気が緩んじゃって。一回出たら止まらなくなっちゃった。私ね?もしかしたらもうイアンは死んじゃうんじゃないかなって思ってたの。もう会えないんじゃないかなって思ってたの。すごく、怖かったの。だからね?こうやってまた会えて。声が聞けて。イアンが生きててくれて。また会えるって思ったら。また話せるって思ったら。本当に安心したの…。ごめんね?変だよね?すぐ涙止めるから…」

「ターサ…」


 ここまでターサが不安に思ってた事が意外だった。ルボンに居た時のターサは強そうだったから。ドニーに着いた時のターサは強そうだったから。カボットでのターサも強そうだったから。

 でも、それは全部弱気に負けない様にするために強く振舞ってたんだ、という事を今。漸く俺は理解した。確かに違和感は有った。俺が知っているターサは確かにしっかりしている女の子だ。でも、それは人並みに、であり傑出して心が強い、と言う訳ではなかった。普通の女の子だったのだ。

 突然戦争が始まる事なんて耐えられる筈がない。国民の希望を一心に背負って戦うなんて重圧に耐えられる筈がない。目の前で家が燃え、人が死んでいく様を見て耐えられる筈がない。

 だからこそ、俺を守ると言って。弱気になる自分を封じていたんじゃないか。そんな単純な事に今漸く気付けた。

 そして、ターサが気付いてしまった可能性。俺が死ぬかもしれないという可能性。幼馴染が死ぬかもしれないという可能性。気付いたのに何も出来ず、ただ伝える事しか出来ない無力感。それがどれだけターサを苦しめたか。それを考えてしまう。

 目の前で震える少女はそれらを一人で抱え込んで。駄目かもしれない、という所で幼馴染の無事を確認して。それで色々決壊してしまった。そう考えると今のターサの状態は何も恥ずべきではないと思える。

 寧ろ。それらに気付けず。ターサは強いな、なんて思考停止して。全て一人で抱え込ませて。こんなになるまで追い詰めた俺という存在が許せなくなる。無力感が湧いてくる。


悔しい。


 自然と手には力が入り、掌には爪が痛いほど食い込んでいた。己の無力さに涙が出そうになる。でも、ここで泣いて良いのはターサだけだ。俺にはそんな権利等無い。


「…すまない。色々心配かけた」


 そう声を振り絞るのが精一杯だ。


「…なに、謝ってんのよ…」

「…何も気付けなかった。色々背負わせてしまって本当にすまない…」

「…何の話よ…」

「…ターサだって怖かったんだよな。戦争も。人が死ぬことも。そんな事に気付けなくて。俺の弱気な部分まで全部背負わせちゃってた。本当にすまない」

「…いいのよ、そんな事。今更だしね。…言ったでしょ?私がイアンを守るって」


 そう言ってターサは笑う。でももう気付いてしまっている。それが強がりだって事に。しかし、それを今口に出すのも憚られてしまう。今までそれに甘えてきてしまったのだから。

だから。俺が口に出来るのは。


「何言ってんだよ。俺だってターサの事守るさ。ターサだけに背負わせたりしない」


 決意の言葉。ターサにだけ背負わせはしないという表明。小隊が別々の今、俺が何を出来るって訳でもない。それでも。今回のターサの様にターサのいる小隊を気にかける事は出来る。ターサのいる小隊にはエリザベートさんがいる。ユルシアが何処まで魔法継承者の事を把握しているのかは分からないが、もし仮にエリザベートさんの魔法を知られたら最初に狙われるのはターサの小隊だろう。故に。これからはターサの小隊の危機にも気を配る必要は当然あるし、危機が迫った時に伝える事が出来ればターサを救う事にもなるだろう。


「ターサの小隊だってエリザベートさんがいるんだ。敵にエリザベートさんの魔法が知られたら俺の小隊よりも危険度は上だろう?だから、今回のターサみたいに俺も気が付いたことがあったら報告するようにする」

「…期待しないで待ってるわね」

「…そこは期待してくれよ。仮にも俺も今回の奇襲には気付いたんだからさ」

「…偶然な気がするけどね」

「ち、違うぞ!しっかり考えて辿り着いた結論だ!」


 気付いたらターサの目から溢れる雫はもう無い。震えも無くなっている。ターサの目は確かに少し赤く腫れているが、それでも俺のよく知る、普通の女の子の笑顔がそこにはあった。

 それを見て俺も安堵する。少しはその華奢な肩にかかる重圧を緩和出来たのではないか、と。


「あ、やっとイアン笑ったね?」

「…笑っちゃ悪いかよ」

「ううん、寧ろ逆。私の前では沢山笑って?私はイアンの笑顔が好きなの。この後、また小隊に戻るから暫く会えないし…。それならさ、私はイアンの笑った顔を覚えたまま戻りたいの。そんな苦しそうなイアンの顔なんて持って帰りたくないわ」

「…なんかそう言われると笑いにくいな」


 流石に俺も照れる。仮にも気になってる女の子に笑顔が好きなんて言われたら俺も男だ。気にせずターサの顔を見れる気がしなくてそっぽを向いてしまう。


「なによー、ケチー」


 ターサが頬を膨らませる。その顔がなんだか可笑しくて。でも可愛くて。ああ、やっぱり俺はターサの事が好きなんだなって自覚してしまう。

 胸の奥が暖かくなる。こんな場所で、こんな戦時中に。この感想は間違っているのかも知れないけど、俺はこのままこの時間を永遠に続けたいと思えてしまって。そんな事を考える自分がなんだか可笑しくて。

思わず俺はターサと顔を合わせ。かつて軍に入る前の二人の日常で交わしたような。そんな素直な笑顔を二人して浮かべていた。

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