第一章-13 常識外への期待
暫くの混乱。目の前に突如現れたクレーター。浴びせられた度し難い罵声。捕虜達が語った意味不明な言葉の羅列の全てが俺達小隊の平静を失わせていた。
「落ち着け!落ち着け!」
親父の声が空しく響く。親父の声に耳を傾ける者は少なく、依然として混乱は収まる気配を見せなかった。そして、俺も頭の中で今までの捕虜の発言を反芻する。
自分が奴隷の癖に冗談だろ
犯罪者の集団の癖に
奴隷同士で殺しあうのが関の山
劣等人種
その全てが意味不明だった。確かにアウトリカには奴隷制度が存在する。しかし、奴隷が軍に入る事はほぼない。先日ターサからリースが元奴隷の家であった事を聞いて驚いた程だ。基本的に、軍はその門戸を幅広く全体に開いてはいる。しかし、軍の内部では元奴隷である、という理由で差別が行われることは少なくない。当然、上官等の上の役職の軍人はそのような事が無いように気を配っているらしいが、ただの軍人であれば差別感情を隠さない者だって少なくない。加え、軍という組織にいる以上軍以外の組織で行われる差別よりも過激な差別が行われ、死に至ってしまった元奴隷の軍だっていた。その状況を鑑みて、軍に志望して自らの命を危険に晒す、なんて奴隷は少ないのだ。現にリースだって元奴隷と言う事は隠していた。しかし、そのような人も少ないだろう。元奴隷だと気付かれた時点で死の危険性が高まるのだ。無論、俺はリースのその人柄をよく知っているし、尊敬できる部分もあると思っているから元奴隷だからといって差別する気もその事を言いふらす気もない。だが、これは珍しい例なのだ。故に、現在軍に所属している人間で元奴隷、というのはリースのみ、もしくは居ても数人程度だろう。だから奴隷の癖に、というのはまるで意味が分からない。
次に、犯罪者の集団の癖に、という発言。これも分からない。そもそも犯罪者は軍に所属出来ない。犯罪歴がある者は志望しても拒絶されるのだ。そして、奴隷同士で殺しあうのが関の山。これも分からない。文脈的にはアウトリカ軍の内部で仲間割れを起こす、という事を指すのだと思うが、そんな事はしていない。
最後に、一番許せないのは劣等人種だ。何言ってるのか本気で分からない。カボットの街で見た人々も捕虜達も余り俺達と違いないように見えた。つまり、遺伝子的にも人種としての差は無いように感じる。それなのに一方的に劣等とはまさに度し難い。意味が分からない上に傲慢である。
ここまで考えて、捕虜達の発言が全て俺達を混乱させるためだけの物だ、という結論に至った。そもそも、ユルシアとアウトリカは二百年以上に渡って国交を断絶しているのだ。彼らに俺達の何が分かるでもないのは少し考えたら分かる事だ。
そう考えると、少しは気持ちも落ち着く。そして同時に俺達を混乱させるだけさせて自爆していった捕虜達の動きに疑問を覚える。あの場で俺達の質問に答えていれば生かす事は有り得た。親父の言う通り、奴隷としての扱いになったかもしれないが、それでも生きる事は出来ただろう。しかし、それを望まず嘲って自爆したのだ。これが分からない。自爆するなら捕まったそのすぐ後に自爆すればいい。それをしなかった。あえて、俺達を嘲った上で自爆したのだ。ここまでくると混乱を招く為だけに朝が来るのを待っていた。そうとしか思えない。果たして俺達に混乱を与える事がそこまで重要なのだろうか。俺にはその意図が掴めない。しかし、まあここまで分かったら敢えて小隊に混乱を招いたまま進軍する必要もないだろう。
「親父、今日は元々捕虜の尋問をする予定だったよな?この後はどうするんだ?」
「ん?…ああ、もう尋問も出来なくなったしな。この混乱が落ち着いたら少しでも前に進もうと思っているが?」
「それなんだが、あの捕虜達は明らかに俺達を混乱させる為に朝まで自爆せずに残っていた。つまり、この後混乱が完全に収まらない状態で進軍するのは間違っていると思うんだ。だから、今日一日はここで止まって、明日以降完全に混乱が収まったら進軍する事にしないか?恐らくだが、今のままで進軍しても皆の集中は持たない。奇襲される可能性がある事が判明した以上慎重に進む必要があるはずだしな」
「…それもそうか」
そう言うと親父は皆の方に顔を向け、
「今日は一日ここで留まる事にする!各自、今日は休息をしっかり取れ!」
と、指示を出した。そして、そのまま俺の方に向き直り
「それでだな、イアン。お前に頼みがあるんだが」
「なんだよ親父。急に」
「確かに混乱を収める必要がある事は理解した。しかし、この混乱は休む事でどうにかなる問題なのか?」
「少し考える時間があればいいんじゃないか?俺は実際そうしたし」
「いや、この状況で冷静になれるものは少ないだろう。皆、自分がどういった人間なのか、について不安に思ったり、劣等と言われた事で前のめりになったりしている。これは時間が経てば解決するものではなく、寧ろ時間が経てば悪化する可能性だってある。だから、この場を収められる人を呼んでくる必要があるんじゃないか?」
「…いや、何言ってんだ親父。俺達はカボットからここまで一週間かけて来たんだぞ?今から誰か呼ぶって言っても往復で二週間は必要じゃないか」
「いや、その点は大丈夫だ。方法はある。…それでだ、イアン。俺はここに残って隊員達のケアをしなくてはならん。だから、お前に行って欲しいんだ」
「…いや、全く話が見えんが」
「イアン、忘れちゃいないか?俺達アウトリカ軍には魔法継承者がいるんだよ」
「この小隊にはいないじゃないか」
「ああ、この小隊にはいないな。でも、そんな事心配する必要なんてない。これも説明するより体験した方が早いだろう。まあ、だからお前が人を呼んできて欲しいんだ」
よく分からない。親父が何を言っているのか分からない。でも、どうやら魔法という物を再び体験する機会が俺に与えられた、という事だけはなんとなく理解した。こんな状況だが、魔法を体験できる、と言う事に心が躍ってしまう自分がいる事がなんだか意外だった。
「…まあ、そこまで言うなら行くさ」
「そう言ってくれると助かる」
「じゃあ、来た道を引き返していけばいいのか?」
「いや、その必要はない。ここで少し待っていてくれ。連絡を取ってくるから」
「…分かった」
そう言うと親父はテントの中に戻っていく。連絡を取る、と言っていたから恐らくカボットに連絡し、人員を要請するのだろう。しかし、どう足掻いてもここまで来るのに数日はかかると思うのだが…。
そんな事を考えていると親父がテントから出てきた。
「もう数分で到着だ。心の準備はしておけよ?」
「…は?」
「一応来るのもヘンリエットと同じ階級だからな。あいつは緩いからそこまで畏まらなくてもいいとは思うが、それでも一応気を付ける様に」
「…いや、あと数分って…。この付近に別の小隊がいたのか?」
「いや、そんな事はない。来るのはカボットからだ」
「そんな、どうやって…」
「なあイアン。お前は俺がドニーの港で荷物の搬入を頼まれた時の事を覚えてるか?」
「ああ、覚えてるけど。それは今関係なくないか?」
「その時、俺は有り得ない速さで搬入を終わらせた。そう思わなかったか?」
「ああ、それは思ったけど…」
「それを手伝ってくれた奴が来るんだよ。あいつの魔法は戦場では全く役に立たないが他の所では随一の利便性があるからな」
「それってどんな…」
「瞬間移動だよ」
そう言うと親父は悪戯っぽく笑った。
「その魔法で荷物を全て搬入して貰ってたのさ」
「…魔法って言うのはなんでもありなのかよ…」
「まあ、だから体験した方が早いんだよ。この後お前はもしかしたら凄い体験が出来るかもしれないぞ?」
親父は笑ったままそんな事を言う。
瞬間移動。
それは言葉は理解できるが、実際に見た事なんて勿論無い。
それに、カボットからここまで来る、と言うのだから相当な距離を移動できる事は確定だ。
俺はそんな魔法を体験できると聞いて。
自分でも意識しない内に。
親父とそっくりな悪戯っぽい笑みを浮かべてしまっていた。
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