第一章-8 地獄の中で

「念の為だ。明日隊員は全員これを履いておけ」


 昨日隊長がそう言って渡していたブーツ。渡された時はなんでこんなものを?と思っていた。しかし、今なら分かる。これは耐熱ブーツだ。恐らくこういった展開になる事を隊長達は予め決めていたのだろう。船から地面を見ればそこは溶けて泥のようになった石が未だに熱を持っており、ここに普段の靴で突入したらどうなるかなど想像に難くない。そして朱に染まるユルシアの街。この中の地面がどうなっているのかも。この中の住人達がどうなっているのかも。


 横の船から降りていく隊員たちが見える。彼らも皆、ブーツを履き、銃を片手に今ではその役割を放棄してしまっている壁から続々と街に侵入していく。その中に。アルとリースの後姿を見つけて何故か胸がちくり、と痛んだ。


「イアン、呆けてるな。俺達も行くぞ」

「あ、ああ。今行く」


 親父の声で我に返る。そうだ。こんな所で油を売っている暇はない。今すぐにでも上陸し作戦を遂行しなければ。頬を叩き、気合を入れ直し、俺は船を降りる。降りた瞬間にジュッと音を立てる地面がここで何が起きたのかを鮮明に俺に伝えてきていた。




━━街の中は地獄だった。

いや、地獄の方が優しいのかもしれない。

俺は壁を越え、街の中を見た瞬間にそんな事を考えてしまった。

一面に広がるのは朱の海。

聞こえるのは悲鳴と銃声。

鼻孔を突くのはナニカが焼ける不快な匂い。


ああ、この街は美しかったのだろうな、と思う。

白と橙を基調とした建物が並び、頭上からは太陽が笑いかける。

街中を行き交う人の顔は皆笑顔で昼にはお茶なんかしながら談笑する。

そんな光景がかつてはあったんじゃないか。

そう思えてしまって仕方がない。


其の全てが今は朱に染まる。

これ以上ない程の破壊の跡が見て取れる。

恐らくここは街の中央通り。

この通りは広く、街道沿いにある喫茶店だったと思われるモノが俺にそう教えてくれる。


104隊が放った魔法は壁を融解した。

その時の温度は俺なんかが想像する事も出来ない高温。

ならば、その壁の裏側に居た人達は?

答えは簡単。

全て破壊された。

ヒトもモノも。そんな違いは些細な差でしかなく。

圧倒的な熱の前になす術もなく。

だから俺達が入ってきた入口の付近の者は全て跡形も無く破壊されていた。

ただ、全て跡形も残っていない方が有難かった。

そう思ってしまう。


二度目の熱は壁に向けてではなく街に向けて放たれた。

だからこそ、そこまでの高温は必要なく。

憎たらしい程にこの街の原型が想像出来て。

昨日までのこの街を理解してしまう。


「敵は残らず排除しろ!こちらの情報が筒抜けになるのを防げ!この街に存在するアウトリカ人以外は全て敵だ!」


隊長の声が聞こえる。

従わなければ。

俺達は負ける訳にはいかない。

これも必要な事なんだ、と自分に言い聞かせ歩みを進める。

周囲で暴れている炎が憎たらしい。

暑くてたまらない。

その熱は俺の集中力を妨げるのには十分すぎた。


「う、うわあああぁぁぁぁぁ!!!」


背後から悲鳴にも似た声がする。

それと同時に銃声。


「イアン!大丈夫?」

「あ、ああ。ターサ、有難う」


背後から奇襲を受けたのだとすぐに理解した。

まさか壁に近いこの地点にまだ人が残っているなんて思わなかった。

熱のせいで油断しているな、と自覚する。


そのまま血の跡を引き摺るヒトの方に目をやる。

その姿を捉えた瞬間。

俺の体はまた硬直してしまった。


そこにいたのは子供。

恐らくまだ十歳にもなっていないだろう少年。

その少年が片手で腹の辺りを抑え、もう片手には椅子を引き摺りながら少しずつ俺達から離れようとしている。

俺がその子供を認識して固まっていたその時、二度目の銃声。

その子供は凶弾を頭に受け、少し横に吹き飛ぶと動かなくなる。


「イアン、ターサ。言っただろう。敵は全て排除しろと」


そこには銃を構えた隊長がいた。


「し、しかし隊長…」

「そしてこうも言っただろう?この街に存在するアウトリカ人以外は全て敵だ、と」

「それでも!この子はまだ子供です!」

「それで?」

「この子供が敵だとは思えません!それにもう腹部に怪我をしていました!わざわざ打つ必要なんて…」


そこで俺の言葉を遮り隊長は口を開く。


「だから何だというのだ?この子供はイアンに襲い掛かったのだろう?それが敵ではないと?」

「しかし…」

「それに怪我をしているからなんだ?まだ生きていたではないか。万が一にでもこの敵がここを出て我が軍の情報をユルシアに伝えたらどうする?有り得ない話ではない筈だろう?」


返す言葉が無い。

いや、言い返したい。

こんな弱っている子供に。

わざわざ確実な死を与えるなんて間違っている。

俺の本能がそう叫んでいる。


「イアン、勘違いするなよ。これは戦争だ。お遊戯会じゃない。アウトリカに害なすものは全て殺せ。でなければ死ぬのはお前であり、私達であり、アウトリカだ」

「…分かって、います」

「ならばいい。今すぐ街の敵の排除に行け」


ターサも隊長も置いて思わず走り出す。

隊長の言葉は間違いなく正しくて。

ユルシア人とアウトリカ人を比較したらどちらが大切かなんて明白で。

それでも俺の中ではこんな事するなって声がどんどん大きくなって。

その声を打ち消さなくちゃって。

身体が思わず動き出した。


ふと行き当たる交差点。

周りを見渡すとあちこちで銃を持ったアウトリカ軍の隊員が、ユルシア人を探しているのが見える。

そして絶え間なく響く銃声。

その銃声が何を意味しているのかなんて、考えなくても分かる。

そんな銃声を聞きたくなくて。

俺は少しでも人の少ない方へと駆け出していた。


まだアウトリカの軍が来ていない程の街の端。

ここも例外ではなく、朱に染まっている。

しかし、その奥に。

見つけてしまった。

明らかに隊員ではないヒト。

そのヒト達が集まっているのを。

少し考えれば当然の事である。

未だ俺しかここに来ていないのだ。

つまり、ユルシア人からすれば一時的であれど安全な地帯。

アウトリカに歯向かうにしても個人個人で行うより集団で行う方がいいに決まっている。

だから、ここで行われているのは言わばアウトリカに害のある集会。

俺が排除しなければならない害。

そんな集会を行っているヒトの一人と。

目が、合ってしまった。


瞬間、果てのない憎悪を含んだ形相で俺の事を睨むヒト。

それに気付き、俺に突き刺さる憎悪が増える。

合わせて六の殺意。

それが俺に向けられている。

怖い。

六の中の一が立ち上がり、俺の方に身体を向ける。

怖い。

その手には猟銃。それを構えようとする。

━━死にたくない。


ふと、我に返る。

周りにはヒトの気配など無く。

感じるのは右手に残る衝撃の残滓とほんの少しの硝煙の香り。

何故か耳は言う事を聞かず、周囲の音を拾ってはくれない。


「…あ」


確かに周りにヒトの気配はない。

代わりにヒトの形をしたモノが合計六個。


「…ああ」


血に染まる地面、血に染まった俺の服。

血に染まった男が。女が。老人が。子供が。


「…ああああああああああああああああああ!!!!」


憎悪と、恐怖と、悲嘆と。

そんな感情を全て混ぜたような表情で。

固まったまま、俺を見つめ続けていた。

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