第一章-7 朱の空、朱の街

 船団を撃破してから三日目の夜。俺は甲板で明日の事について考えていた。どうやら明日俺達はユルシアに着くらしい。その上で俺達は一度後ろに引き、104隊に上陸作戦を任せる事になっている。

 正直、隊長の魔法を見てからは俺達105隊だけで上陸作戦は問題ないと考えていた。このまま先陣を切ってユルシアに乗り込むのだと。それの何処に問題があるのか分からなかった。

 もう一度、あの光景を思い出す。恐ろしくも美しい旋律と共に勝ち取った一方的な勝利。轟音とミサイルの円舞曲。その中心で指揮棒を振るう隊長。目に映るのは芸術的な曲線を描く弾道と破壊的な朱。歯向かうモノは全て破壊し尽くす。そんな傲慢をさも当然であるかのように押し付ける圧倒的な力。俺は、魔法がさも神の力であるかのように考えていた。

 当然、俺はこの上陸作戦に関しては親父に質問をぶつけていた。105隊で上陸作戦を行えばいいのではないか?と。それに対する親父の返答はよく分からないものだった。曰く。


「んー、まあそれも不可能じゃないがな。…例えば、そうだな。イアン、お前は紙を切るのに鋏は使うが木を切るのには鋏は使わずに鋸を使うだろう?そして建物を切る…いや、解体する時には鋸は使わない。もっと適したものを使う。要はそういう事だ。」


 これだけ言って親父は満足気に頷くと何処かへ行ってしまったのだ。いや、それで満足するなと言いたい。何より、親父は適材適所、と伝えたかったのだろうが俺は隊長の魔法の何が問題なのか、と言う事がまるで理解出来ていなかった。その時、後ろから声がかかる。


「イアン、何か考え事?」

「ああ、ターサか。いや、大した事じゃない」

「すっごい難しい顔してるじゃない。大した事じゃないって顔じゃないわよ」

「…明日の作戦について考えてただけだよ」


 最近のターサは何故か強情だ。誤魔化そうとしても決して引いてくれない。この一週間余りで嫌と言うほど思い知らされていた。だから素直に答える事にする。


「別に104隊に任せなくても105隊で十分じゃないのか、って考えてただけさ」

「…ああ、なんだ、そんなこと?」

「そんなことって…。ターサも隊長の魔法は見てただろ?正直俺にはあれ以上に上陸作戦に適した魔法が存在するなんて信じられない」

「つい一週間前まで魔法も信じてなかったのにその魔法の上限を勝手に決めつけるのってどうなの?」

「う…。それはそうだけど…」

「アウトリカにはまだ他にも二十一も魔法があるのよ?隊長の魔法以上に上陸作戦に適した魔法が出てきても何も驚かないわ」

「…例えば、どんな魔法だよ」

「…さあね?そんなの分からないわ。だって、元々私は全ての武器を意のままに操る魔法、なんて想像できなかったもの。それと同じよ」

「…そんなの詭弁じゃないか?」

「でも想像できなかったのは事実じゃない。それにね、イアン。隊長もお父さんもシフルさんも104隊が上陸作戦をした方がいいって判断してる。私は上官の言ってる事を信じるわ。それともイアンは信じられない?」

「…そんな事は、ない、けど…」

「じゃあこの話は終わりじゃない?隊長達が信じる104隊を私達も信じるだけよ。分かったらイアンも寝なさい。夜更かしなんてして明日死ぬような目にあっても仕方ないんだから」

「…分かったよ」


 なんだか釈然としない。全く疑問が解決していない。それでも寝ろ、と言ってくるターサの目は何故か凄みがあって。俺はこれ以上ここで御託を並べても無駄になる事を察したので寝に戻ることにする。その後ろで。


「しっかり寝てね。━━━━ね。イアン」


なんて。呟くターサの声が心地良く吹き付ける海風に乗って俺の耳に届くのだった。




 翌日。目が覚めた俺は甲板に出る。今日が上陸作戦その日である。周りを見ると今までとは違い、104隊の船が横に着けており、本当に上陸作戦を104隊が行うのだ、と言う事を実感する。それと同時に少し不安になる。考えるまでも無くこの上陸作戦はこの戦争において非常に重要な意味を持つ。失敗して撤退戦を強いられたとしても隊長がいる限り負けはしないだろうと自信を持つ事が出来る。しかし、二回目以降の上陸は難しくなるだろう。初回で上陸する事が出来ないのならばより守りを固めるであろう二回目以降の上陸は不可能と言ってもいい。絶対に失敗できない、という緊張感で心臓が熱くなり、自然と船が向かう先に向ける視線が険しくなる。その時。


「隊長!見えました!ユルシアです!」


 そんな隊員の声が甲板に響いた。


 それを聞いて俺はより遠くを見ようと目を細める。しかし俺の目には海しか映らない。当然だ。前で報告した隊員は双眼鏡を覗いており、肉眼で見える距離にユルシアはまだないのだ。その時。海の向こうからゆっくりと。まるで陽が昇るみたいに。ユルシアの一部が俺の目に飛び込んできた。

 最初に目に飛び込んできたのは灰色。それが無限に続いているんじゃないかってくらい横に伸びている。その様はまるで城壁。無限に続く城壁が俺達ユルシアに害なす存在を阻んでいる。船は徐々に近付いていく。より鮮明にその灰色を観察する事が出来る。それは石。石で作られた頑強な壁。まさに絶対防御。そこで俺は思い至る。確かにこれでは隊長の魔法は歯が立たない。この壁が果たしてどれほどの厚さなのかは知らない。だが、兵器で突破できるような壁ではないだろう。それほどの防御の絶対性をその壁は見せていた。

 そこで俺はふと違和感を持つ。これだけの壁でも出入り出来なければ普段不便すぎる。故に必ず出入り口が存在するはずである。しかし、その出入り口が存在しない。つまり、この壁はまさに防御の為だけに作り出された存在である。しかし、アウトリカが宣戦布告したのは一週間前である。ならば、どうやって?この無限に続く壁を一週間で完成させるなど不可能である。そこで一つの結論に行き当たる。もしや本当にユルシアにも魔法継承者がいるのでは、と。そこまで考えた所で104隊の船が俺達の船より少し前に出る。あの絶対防壁を前に出来る事があるのか。不安になる。104隊の船の甲板に目をやるとそこにはすこしウェーブした金髪を腰まで伸ばした女性の姿。軍服を着ている様から恐らく隊長かそれに相当する地位の人間なのだろうな、と予想が出来る。その女性の口が動く。右手が前に出る。それと同時に船が止まる。


 ━━刹那。突如として圧倒的な熱が俺の肌を襲う。熱の発生源は前方。そちらに目をやる。そこには。先程までの一面の灰色の中に一柱の朱。その朱が徐々に広がっている。そして壁の前。直前まで海だった所には砂浜が発生し、信じられないほどの白煙を上げている。俺が白煙を見ているその間にも朱の柱は広がり続け、その中心はまるで泥のように溶け、垂れ下がり始めている。そう。石の壁を溶かしていた。一般に石の融解温度は約1200度。つまり、それだけの熱を持った炎を壁に発生させている魔法継承者。それが先程の金髪の女性なのだろう。俺の頭の中には四日前の親父の言葉が繰り返されていた。


━━ああ、そういえばだな。さっき言った二人だが。その二人の魔法はヘンリエットのより更に凄いぞ?


 しばらくその壁が溶けていく様を呆然と眺めていると105隊の少し前で止まっていた104隊の船が前に動く。壁の一部は既に溶け切り、爛れた入口を侵入者に開けていた。104隊に続き105隊の船も動き始める。暫しの移動。その間に壁から朱は消え、出来上がっていた砂浜も蒼に染まり直していた。前を行く船が止まる。その横に着け105隊の船も止まる。その時。再びの灼熱。先程まででは無いものの確かな熱を伝える朱。前を見ると爛れた壁の先、そこに広がる街が。朱に溺れていた。

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