第一章-5 蒼い空の下、蒼い海の上
バスに揺られる事数時間、バスの振動が心地良く、俺はいつの間にか眠りに落ちていた。
━━夢を、見た。
それは戦争の夢。
地面に広がるは死の跡。
耳に残るは幾重もの銃声。
脳に残るのは怨嗟の声。
響くのは死の旋律。
そして、緋に染まる━━
バスが止まる。その振動で目が覚めた。額に手を当ててみると汗で手が湿る。周りを見渡して自分が今バスの中にいる事を確認する。そのまま横を見ると心配そうな顔をしたターサと目が合った。
「…大丈夫?すごい魘されてたけど」
「ちょっと嫌な夢見てただけだ。大丈夫さ」
「…顔色悪いよ?どんな夢だったか聞いてあげる。話した方が落ち着くかもしれないし」
この戦争に負けた夢だ、なんて言えない。これから始まる所だって言うのに士気を下げる事になりかねない。しかし、ターサの優しさを無下にするのも気が引ける。だから俺は、嘘を吐く事にした。少しターサの反応も見てみたいし。
「…それはちょっと恥ずかしいな」
「恥ずかしい?どんな夢見てたのよ」
「ターサが何処の誰とも分からない男と結婚する夢さ」
「…え」
「いやー、顔は良かったんだけど性格は厭な奴でな?そんな奴と結婚するなってなってたんだよ」
「な、なんて夢見てるのよ!」
「な?悪夢だろ?」
ターサは慌てて何やらブツブツ呟いている。まあこれで誤魔化せただろう。それに慌てるターサも久しぶりに見れて満足した
「ところで俺はどのくらい寝てたんだ?」
「…私はそんな奴とは…。…え?ああ、三時間くらいかしら?もうすぐドニーに着くわよ」
「…そうか」
それを聞いて気を引き締め直す。ドニーに着いたらアウトリカを離れユルシアに向かう事になる。そうなったら気を緩めて等いられない筈だ。
それから数十分、バスは完全に停車し、ドニーに到着したことが分かった。隊長が煙草を揉み消しながら立ち上がりこちらを向く。
「105隊員諸君。我々は今ドニーに到着した。これから船に武器を搬入していく。迅速な行動を心掛けてくれ」
それだけ言うと隊長はバスを降りる。それに倣い前方に座っていた隊員から順に降りていく。
バスを降り、ドニーの地に降り立つ。磯の香りが鼻孔を突く。空は何処までも蒼く、どこまでも無限に広がっているようだ。軍本部があるルボンでは雨だったのにこっちは晴れてるんだな、と感じると同時にこれが戦争ではなくただの旅行で来れていたら良かったのにな、なんて考えてしまう。
「何してるのイアン。早く搬入作業するわよ?」
「…ああ、悪い。今行く」
そうして搬入作業を始めたのだが。
「なんか俺達の隊だけ荷物多くないか?」
「…そうね、他の隊はもう終わってるみたいだし…」
周りを見ても他の隊は搬入が終わり、船に乗り込み始めている。それなのに俺達の隊はまだやっと半分、といった所だ。
「なんだってこんなに多いんだ?しかも大半が重火器だぞ?」
「そうね、明らかに必要異常な数に見えるわね」
「なんだ?お前達聞いてないのか?」
「親父!理由知ってるのかよ?」
いつまにか会話をしていた俺達の後ろに親父が立っていた。何やら一瞬考えるがすぐに顔を上げ、こちらに向かってニヤリと笑う。
「そうか、知らないなら直接見た方が早いな。腰抜かさないように気を付けろよ?」
「おい親父!どういう事だよ!」
「いやーヘンリエットも意地が悪いなあ」
「誰の意地が悪いって?」
「隊長!?」
「おいおいヘンリエット、いいじゃねえか事実なんだし」
「いや、許さん。何より私の沽券に関わる。シフル、貴様には残りの武器を全て搬入してもらおう」
「あー、ヘンリエットさん?本気で言ってる?」
「ああ、本気だ。イアン、ターサ。二人は他の隊員に船に乗り込むように伝えろ。全員に伝え終わったら二人も船に乗り込んでくれ」
「…隊長?本当に構わないんですか?シフルさん一人では…」
「構わん。早く伝えてこい」
「…分かりました」
隊長の後ろで喚いている親父を横目に見ながらその場を立ち去る。隊長命令だ、ここは従うしかない。決して親父が苦しむ様を見たかった訳ではない。決して。
そうしてターサと二人で隊員全員に隊長の言葉を伝え、俺達も船に乗り込む。
「しかし親父は大丈夫なのかねえ」
「そうね…結構な量があったように見えたけど…」
「ああ、本当に大変だったぜ…」
「…は?」
「なんだ?」
いや、なんだ?じゃない。なんで親父がここにいるんだ?
「親父まさか…逃げてきたのか?」
「おい息子よ。俺が職務放棄するような人間に見えるか?」
「…見えるか見えないかで言ったら見えるな」
「ああ、お父さんは悲しいよ。息子からそんな風に見られてたなんて…。なあターサ?」
ターサは驚いて固まってしまっている。
「ターサ?」
「…すいません。吃驚してしまって。本当に全て運んだんですか?」
「おいおい、ターサまでそんな事言うのか…。本当に運んだよ」
「は、早いんですね。一人では時間がかかるように見えたんですけど…」
そこで親父は悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「そりゃ一人では無理だろうな。でも俺には頼れる仲間が何人かいるからな。な?イスタウ?」
そう言うと後ろから近付いてきていた人影の方に親父が振り返る。
「…お前のために走り回った俺の気持ちにもなってくれ…」
「イスタウさん…。なんか親父がすいません…」
「いや、いいんだ。イアンは悪くないからね…」
「いやー、頼りになる仲間が多くて心強いな!」
ハッハッハッ、なんて笑っている親父を見ながら俺とイスタウさんは溜息をつく。しかしそれでもこんな短時間で運べる量ではなかったと思うのだが…。
「ああ、どうやら出発みたいだな。これからはもう遊んで等いられないな」
船が動き出す。それに伴い先程まで笑っていた親父が真面目な顔になる。
「俺達にはヘンリエットがいる。それに104隊もユルシアに向かうらしいしあちらにはレーシュがいる。俺達が負ける事は無いとは思うが万が一というのは常にケアしなければならないしな。気を引き締めろよイアン」
「なんだよ親父…。急に真面目になるなよ…」
「オンオフの切り替えは大事だからな」
「それならユルシアまで時間がかかるはずだろう?親父からしたらオンが長すぎるんじゃないのか?」
「…いや、ユルシアはそう遠くない」
「は?ユルシアは遠く海の果てにあるんだろ?」
「ユルシアは船で一週間もすれば着く距離にあるんだ。聞いてなかったのか」
「なんだよそれ…。どういう事だ?」
「アウトリカは魔法でユルシアとメリアからは見つからないようになっているのさ。ただ、魔法と言う存在を秘匿している以上国民には違う説明をする必要がある。ユルシアとメリアの存在自体を隠すのは難しいからな。だから海の果てにある事になっているのさ。そうすれば二国から誰も来ない事にも納得がいくだろう?」
「魔法ってのは何でもありかよ…」
「いや、決められた22の魔法しか無いんだから万能ではないさ。それに例外はいるが継承者一人では何の役に立たない魔法ばかりだ。まあ、その例外の筆頭みたいなのがヘンリエットとレーシュなんだがな」
「…ユルシア攻めにそんな例外を二人とも回して良かったのか?」
「ユルシアの方がメリアに比べて国土も人口も大きいからな。それに例外は他にもいる。ヘンリエットとレーシュ程ではないがそいつらがメリア攻めに向かっているから大丈夫だろう」
「聞けば聞くほど魔法が分からないな。聞いてれば二人もいれば戦況を変えられる。そんな風に聞こえるよ」
「ああ、なんなら一人で戦況を変える事だって出来るさ。…いけない、ヘンリエットがこっちに向かってきてるから俺は逃げる事にするな」
そう言うと親父は足早にこの場を去っていった。追いかけるようにイスタウさんもこの場を去る。まだ魔法について聞きたい事が…、なんて言う間もなく走っていってしまった親父の背中を見ていたら隊長が近くに来た。
「シフルの奴、相変わらず逃げ足だけは早いな…。イアン、あんな親父見習うんじゃないぞ」
「…あの、隊長。一つ質問してもいいでしょうか?」
「なんだ。聞いてみろ」
「隊長の使う第Ⅶ魔法とはどういったものなんでしょうか。」
「…ふむ。それは説明するよりも見た方が早い。戦争は宣戦布告した時点で始まっている。どうせすぐにユルシアと交戦する事になるんだ。そこで確認しろ」
「…分かりました」
「どうやら納得していないな?おい、ターサ。お前も納得出来ていないか?」
「…いえ。シフルさんがあそこまで言うなら私は信じます」
「ならばいい。イアンの不安を取り除いてやれ。私がいる限り負ける事は無いのだからな」
「分かりました」
そう言うと隊長は親父が向かった方へ歩き始める。
「なあ、ターサは魔法なんてものを信じられるのか?俺達はつい昨日魔法の存在を聞いたばかりなんだぜ?」
「軍の隊長ともあろう人があそこまで断言するのよ?信じる信じないじゃないわ。それにシフルさんが搬入を早く終わらせたのだって何かしらの魔法の継承者の手助けがあったと考えなければ不可能だもの。私は何も疑っていないわ」
「そうか。…それもそうなのかな」
確かに親父があれだけの荷物をあの短時間で搬入したのは魔法ありきだったと考えれば納得できる。信じるしかないか、とそう思い込む事にした。
「しかし一人で戦況を変える魔法ねえ…」
「もしかしたら魔法で変えられるのは戦況だけじゃないかもしれないわね」
「…例えば何を変えられるって言うんだよ」
「…例えば、錬金術とか。もしかしたら世界を変える、なんてのもあるかもしれないわね」
「錬金術なら有り得そうだなあ…。ただ世界を変えるなんてのはいくらなんでも無理だろ」
「…ふふ、そうね。例えばの話よ」
そう言ったターサの目は海の彼方を見つめていた。その視線を追って俺も海の彼方を見る。
「世界を変える魔法、ねえ…」
どこまでも続く蒼い空と蒼い海。
空には雲の一つもなく。
まるで無限に続いているように見えて。
その蒼の中に自分が吸い込まれてしまう様な。
そんな感覚に捕らわれた。
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