第一章-3 前に進むために
軍事長の言葉から一時間が経とうとしている時、俺は部屋で椅子に座り、目を閉じていた。当然遺書などは書いておらず、その分余った時間は心を整える為に使う事にした。急に行われた宣戦布告。そして自分の所属が軍事部である事。これらが意味するのは俺がいつ死んでもおかしくない状況に置かれたと言う事。先程宣戦布告した事を聞いた際はまだ正直に言って実感が湧いてなかった。でも今ははっきりと感じることが出来る。今日、この部屋を出たら最後死と隣り合わせの生活をしなければならないのだ、と。
目を開け、部屋を眺める。ここで生活したのは僅か一月だった。それでも少しは愛着が湧いていた。ここで同期の皆と生活していく事に期待さえ抱いていた。でも、それはもう叶わない。
深く息を吐く。未練を断ち切る。今すぐ駄々をこねてこの場から逃げ出したいという気持ちを心の奥に閉じ込める。これから死地に赴くための俺なりの儀式。頬を叩く。…もう十分だろう。そう思い立ち上がる。覚悟は決めたはずなのに。言う事を聞かない足は前に進もうとしない。その場で歪なリズムを刻むだけだ。
「…くそ。情けねえ」
足を叩く。もう一度頬を叩く。
「…覚悟を決めろ!甘えるな!お前が逃げる事で他の人が傷付いてもいいのか!」
怒鳴るように自分に言い聞かせる。そうだ。俺が逃げる事で何も状況は好転しない。なによりも。ターサを守ってあげたい。あの時ずっと震えていたターサ。間違いなく俺よりも恐怖心は強いはずだ。そんなターサの前でこんな姿は見せられない。ターサの事を考えると足は言う事を聞くようになった。我ながら単純だな、なんて感じる。
部屋の扉に向かって歩く。その途中で。ターサが逃げ出してくれたら嬉しいな、なんて。軍人としては間違えている感情。そして俺個人としてはとても正しい感情を抱いていた。そのまま扉を開ける。するとそこには…。
「…ターサ?何してるんだ?」
「イアンが怖くて震えてるんじゃないかって心配してたのよ」
少し笑いながら話してくれるターサがいた。
「…有難う。正直とても怖かった。でもターサの顔を見て少し安心したよ」
「…どうしたのよ急に。怖すぎておかしくなっちゃった?」
「失礼な。真面目に感謝してるだけだ」
つい口から出た言葉は全て本当だ。ターサの顔を見る事で未だに少し震えていた足が完全に落ち着きを取り戻す。ターサが逃げてくれないか、とかターサを守らなくては、なんて考えていたのにこの様である。
「…ターサは強いな」
「一時間もあれば覚悟なんて出来るわ」
「羨ましいよ。俺なんてずっと怖かったのに」
「まあ、イアンは昔から怖がりだったものね。そんな事今更じゃない」
「…む。否定できないけど凄く否定したいぞ」
「イアンの事はずっと見てたんだからそんな言葉だけで否定しても無駄よ。言ったじゃない、私が守ってあげるって」
「またそれかよ…。まあいいや、実際今は助かった。でも次は俺がターサの事を守る番だからな?」
「はいはい、期待しないで待ってるわ。…さ、行きましょ?」
「…そうだな」
ターサはそのまま階段へと向かう。その後ろ姿からは未練なんて感じ取れなくて。一時間でしっかり決意を固めたことが理解できる。改めてターサの強さを実感し、俺も着いて行こうとする。それなのに。
「…あ」
アルの部屋の扉が視界に入る。瞬間、昨日の楽しかった記憶がフラッシュバックする。あんなに楽しかったのに。あんなに未来への希望で溢れていたのに。それを思い出すと足がまるで鉛のように感じてしまう。もう一度あの日常を。そんな叶わない希望を抱いてしまう。未練なんて今断ち切った筈なのに。また少しも動けなくなってしまう。
「…イアン?行くよ?」
「…ああ、悪い」
着いてこない俺を心配してかターサが振り返り俺に声をかける。それによって硬直が解ける。情けなさ過ぎる。未だに未練だらけじゃないか俺は。
「…すまんな。有難うターサ」
「…?何言ってんの?」
またターサに借りが出来たな。今日はターサに助けれられてばかりだ。まさか俺がこんなに情けないとは思わなかった。ターサには感謝しかない。だからこそ…。
いつか絶対に恩を返そう。何があってもターサだけは守り抜こう。そんな思いが俺の中で強くなっていくのだった。
軍宿舎を出て広場を通り、軍本部の正門へと向かう。そこにはもう軍事部と警察部の大多数が集まっており、俺とターサ以外の四人の姿もあった。ミゲルと目が合うと手を振ってくる。
「おーい、イアン、ターサ!遅いぞ!ビビっちまったか?」
「うるさいな。そんな訳ないだろ」
「…見栄っ張りねえ…」
「…ミゲル君もずっと震えてた。私の部屋に来てずっとグルグル歩き回ってワンちゃんみたいだった」
「おいラフィー!今はそんな事言わなくていいぞ!」
「…こうやって幼馴染二人組で来るのを見ると僕も幼馴染がいたらなぁ、なんて思うなあ」
「全く同感だリース。俺達は同郷の幼馴染なんていないもんなぁ」
皆も緊張や恐怖で押しつぶされそうだろうに。それでも普段と同じ会話がここでは繰り広げられた。傍から見たらまるでこれから戦地に向かうとは思えない会話。お陰で俺の心は少し軽くなる。恐らく皆同じなのだろう。努めて明るくしようとしているのが分かる。それでも。やはり口元は若干引きつり、目は少し赤かったりする。だがそんなことに触れる人は一人もいない。今のこの空気を少しでも。それから戦争に向かうという恐怖を少しでも和らげようとしているのだ。しかし、そんな空気もすぐになくなることになる。
「時間だ。全員集まっているな?それではこれから隊毎にバスに乗ってドニーに向かってもらう。その中で各隊は動きを確認するように。では101隊はこのバスだ。他の隊はそれぞれの隊長の指示に従ってくれ」
軍事長がそう命令した。それまで自分達以外も和やかに会話している所が多かったが、それも止み、各自がバスに向かう。
「じゃあ、俺とリースは104隊のバスに向かう。…これからは次いつ会えるか分からん。だが、無事にまた会ってこうやって全員で話したいと思っている」
「そうだね、僕も同じ気持ちさ。折角こうやって知り合えたんだ。何があっても全員で再会したいものだね」
「ああ、その通りだ。俺達は大丈夫だ。俺の命はもちろん、ターサの命だって俺が守ってみせる」
「…まあ、この震えてるのは私が面倒みるから安心して頂戴」
「…うるさいな」
「お、俺もラフィーの事は絶対に守り抜くからな!また皆で笑顔で再会しよう!」
「…ミゲル君、また足がガクガクだよ?」
「気のせいだ!」
そうやって声を掛け合う。絶対に生きて再会しようと。そう誓う。無意識の内に俺は手を前に出していた。ターサがそれに気付くとターサも手を出し、重ねてくる。ラフィー、ミゲル、リース、そしてアルがそれに続いた。
「…みんな。絶対だ。絶対に生きてまた会おう。確かに一月と短い時間だった。だけど、ずっと同じ屋根の下で生活し、同じ講習を受け、語り合ったみんなの事を俺は親友だと思っている。誰か一人でも欠けて欲しくないと思っている」
皆の顔を見ながらそう告げる。みんな頷きや笑顔を返してくれる。
「それじゃあ、暫くの間さよならだ。絶対にこのアウトリカでまた全員笑顔で再会しよう!」
手を一度下げてから挙げる。全員がその動きに合わせてくれる。ラフィーはおー、なんて気の抜けた声を出してくれていた。皆に気持ちを伝えることが出来た。恐らく皆も同じ気持ちだと信じることが出来る。
「それじゃ、ターサ。行こうか」
「…そうね」
もう未練は完全に無くした。地面を踏む足は確かに地面の反動を伝えてくれる。後は俺の出来る事を精一杯するだけだ。
「イアン、さっきのはちょっと格好良かったよ。見直したわ」
「こうでもしないと俺が前に進めない気がしただけさ」
そんな会話を交わしながら、俺とターサは105隊が使うバスの一台に乗り込む。もう逃げられない。でももう大丈夫だ。震えはない。絶対に生きてこの戦争を乗り越える。そんな気持ちが俺を支えてくれていた。
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