第9話 煩い家

 あー、うっせぇ、うっせぇ、うっせぇわ。


 泣きじゃくる子供の声、それを落ち着かせるような甘い母親の声。コップに何度も注がれるアルコール飲料の音。外の雨音をかき消す程に家中に響いている。

 この音こそが馬飼琉助うまがいりゅうすけの日常を表すのには丁度いいだろう。

 こんな中じゃ、まともに勉強なんかできるはずもない。なら、塾や図書館に行ってすればいいと思うが、塾に行けるような金があるなら、こんなオンボロアパートに住んでなんかいないだろうし、またまだ小学生低学年の弟と妹の世話もする必要がある為、長時間は家を空けられない。

 最近は学校が再開したこともあり、夕方までは割かしフリーだ。


 現在この家に住んでいるのは、朝から厚底便でアルコールを飲む父の馬飼貴うまがいたかしと必死に双子を説得する母の馬飼紗悠うまがいさゆ。そして、泣いて駄々をこねる弟の聖夜せいやと妹の沙裕さゆうと俺を含めた五人だ。もう一度言おう、この狭い家に五人で住んでいる。


 今日は雨が降っているから、二人揃って学校に行きたくないとわがままを言っている。それを父の機嫌が損なわれないうちに説得しているわけだ。

 見る限りあと三杯ぐらいでアルコールが無くなるから、タイムリミットはもうすぐだな。

 親父は会社を倒産させて以来、まるで別人のように変わってしまった。新しい働き先を探そうともせず、母さんが必死に稼いだお金をギリギリの生活費だけ残してアルコールを摂取し、パチンコに明け暮れる。正真正銘のゴミ人間と化した。

 母さんは何でこんなクズと離婚しないなのだろう?と考えた事もあり、気になって自分で調べてみたが、どうやら廃棄物と結婚すると決めた際に実家からは絶縁されてしまったようで、実家は頼れない。また、銀行の通帳も嘔吐物に管理されているので、逃げることもままならない。それに、母さんは可燃ゴミのことを本当に愛している。いつかは昔のような優しい性格に戻ると信じている。恋は盲目と言うが、これでは盲目ではなく洗脳に近い。


 現在、俺は自室に篭り、パソコンを弄っている。

 これは中学に入ってからタンカスが、使わなくなった古い機種だ。

 俺の中にあるコミュニティはこの掲示板だけで十分だった。だからこそ俺は受験に失敗した。

 もともとIQは高かったが、それにかまけて勉強を怠った。いくら思考能力があれど勉強をしない人間が進学校に合格するわけがない。

 健には家族で問題が起きたからと嘘をついているが、きっとバレているだろう。アイツはそう言う人間だ。

 だから、俺は、馬飼琉助うまがいりゅうすけはアイツ、山門健やまとたけるのことが大嫌いだった。

 マスコミにアイツの住所や学校などをリークしたのも俺だ。どうだ、最低だろ?


 パソコンにカチャカチャと打ち込む。

 

『今日は大雨でずっと家に居るはずだから、今夜あの犯罪者、山門健の家を襲撃しようぜ』

 

『いいね!ワイが第一陣として夕方にでも行ってくるわ』


『おい、それって犯罪じゃないか?捕まらないのか?』


『大丈夫だ。それに怖いなら来なくて良いぜ。これは有志の参加だけで結構だ』


 数日前から練っていた襲撃計画をみんなに発表した。さすがに反対されるかもと思ったが、やっぱりこいつらは最高の仲間だ。


『念のためにヘリウムと仮面を着けた方が良い。カメラなどで身バレする可能性があるからな』


 この後、念入りな打ち合わせを終わらせて、電源を閉じた。

 その後に、健に今日は雨だから行けないという事をメールで送った。

 

「おい!琉助!酒が切れたぞ!ささっと買ってこい!」


 酒が切れた鼻糞が叫んできた。面倒臭いが聞かなければ、母さんに手を出しかねない。

 嫌々ながら、部屋を出た。見る感じ、二人は何とか学校に向かったようだ。


「何だァ、その顔は!それが産んでやった人に対する態度かァ?」


 相当酔っぱらっているようで、いきなり厚底便を投げつけてきた。

 俺はその場から動くことはない。酔っ払いの投擲物など当たるわけがない。


「もうやめて!」


 しかし、その事を瞬時に理解出来なかった母さんが俺を庇うように前に飛び出してきた。


「馬鹿ァ!」


 直後、瓶が頭にもろに激突して鈍い音が鳴った。そのまま、母さんは床に倒れた。頭から赤い液体が流れていることに直ぐに気付いた。

 このままでは、命に関わる咄嗟に携帯を取り出し救急車を呼ぼうとするが、排泄物に怒鳴り止められた。


「そんなことはどうでもいいから、早く酒買いに行け!」


 その言葉を受け、俺の中の何かがプッチンと千切れとんだ。

 床に落ちている瓶を掴み、社会の屑を睨みつけた。


「お、おい!なんだそ、その眼は。まるで台所に侵入してきたあ、蟻を見る眼じゃないか!」


 長年溜まった憎悪を宿した行動に対して流石の糞尿は何かを感じ取ったのか、言葉が詰まり焦りを見せ始めた。


「・・・・・・・・・。・・・・・・・・・・・ッ!」


 俺は返すことなく睨むのを辞めない。

 その姿にやがて徐々に脱糞糞野郎だっぷんくそたろうは生まれたてのバンビのように足腰が震えだし、やがて尻餅をついて後ろに後ずさる。

 

「ほ、ほ、本気じゃないよな。分かった、い、今すぐ病院に連れて行こう」


 すっかり酔いが覚め、冷静になった様子だが、俺はその頭上に迷わず瓶を振りかざした。


「ギャアアアアア嗚呼ァァ嗚呼嗚呼ァァ嗚呼嗚呼あ嗚呼あァァあ嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼ア!」


 その煩い悲鳴が外の雨音をかき消すように、アパート中に響き渡った。

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