第1話 かぐや姫

 高校を卒業した僕はIT企業に就職した。これが僕のやりたかったことかと言えばそういうわけではなく、ただ就職しようと思いこれを選んだ。

「お疲れさまでした」

「おう、箭内、今日飯でもどうだ、今から」

「お誘いはうれしいですが今日は帰ります、彼女が待ってますんで」

「おうおう、彼女持ちは良いもんだな、なら早く帰んな」

「はい、失礼します」

 仕事を終え帰ろうとすると、よく気にかけてくれる先輩の柳田さんが声をかけてくれた。しかし言ったように僕には帰りを待つ人がいるためお断りした次第。

 特に何か抜きんでた才能があるわけでもなく、平々凡々な人生を歩んできた僕にも自慢できることがあった。

 彼女がいる、正確には彼女がいた。

 高校生だったころ、代わりの効くような者だった僕に彼女ができたのだ。そして、彼女は亡くなってしまった。しかし、卒業して就職した三年目、携帯に一通のメッセージが来ていた。差出人を見た僕は驚きと困惑が入り混じった感情のまま本文を確認した。そこには高校のころ、思い出深かった、【近所の公園で待ってる】とだけ書かれていた。

 僕はその時疑うことよりも先に上着を羽織り外に飛び出した。

 風呂上がりだったことも忘れただ一人の女性を思い浮かべ、息を荒くしながら走った。


 公園に着くと、ブランコが揺れる音が聞こえ、急いで駆け寄る。遠くからは暗くてよく見えなかったが、走りながら音の原因に気づき、目を見開いた。そして涙が頬を伝るのを感じた。

 

 そこには確かに彼女がいた。


「久しぶり、健吾君」

 聴き慣れた声。懐かしい胸の高鳴り。全てのことがどうでもよくなるこの感覚。この三年間忘れることのなかった彼女は、紛れもなく、宮内桜だった。

「桜、そんな、なんで桜! いや、それよりもほんとに桜なのか!」

 頭の中に桜と過ごした日々が鮮明に思い出される。

「へへ、そうだよ、びっくりした?」

 人をからかうような笑い方。その声音。それらの事実が本人なのだと確信に変えていった。

「だって、桜は高校の時に……」

 言葉がうまく繋がらない。思い出したくもない出来事が脳裏を掠める。

 桜が死んでしまったのだという事実を、いくら疑おうとも葬式に出た僕は、それが真実だと認めざるを得なかった。しかし、目の前の彼女は、そんなことはどうでもいいと、ただ会いたかったと思わせた。

「そう、私は死んだ。だけど健吾に会いたくて戻ってきちゃった。これからはずっと一緒だよ」

 記憶に残るその笑顔、どれだけ願ったかもしれないこの瞬間を、僕はただただ幸福の色で染め上げた。

「そうか……そうか、きっとこれが、現実なんだ。良かった……ほんとに、また、会えた……ッ」

 顔がくしゃくしゃになることも気にせず僕は泣いていた。これが現実なのだと、彼女が死んだことはきっと夢だったのだと、ただそう信じた。

「そんなに泣いちゃって、変わらないな、君は」

「ああ、君も、あの頃から変わらない」

 寝巻の袖で涙を拭いながらブランコを降りこちらに歩み寄ってくる彼女を真っすぐに見た。

「もう冬だし、夜は冷えるから、僕の家に行こう」

「うん、そうだね、少し肌寒い」

 自分が寝巻だということも忘れ、僕は彼女に自分の上着を貸した。「あったかい」と彼女が良い、これがほんとに現実なのだと実感させた。




 家に着き彼女を中に案内した。

「うわぁ、汚れてる」

 ゴミが散乱した床を見て彼女は顔をしかめた。

「健吾君は部屋の掃除とかあまりしない人だったね。私が初めて健吾君の部屋に行った時も床の踏み場がなかったっけ」

「そうそう、それで一緒に掃除した」

 彼女との思い出を語り合いながら、あの頃のように部屋の掃除をした。

 彼女と付き合ってから、部屋の掃除や着る服などに気を付けるようにしていたが、彼女が死んだと知らされてから、また元に戻っていた。彼女はもういないのだと、前に戻った惨状を毎日目の当たりにしながら思い知らされていた。

 掃除をしながら彼女に告げる。

「また、綺麗にするよ、毎日、君と付き合ってた時みたいに」

「それがいいよ。私もその方が良いと思う。それと、私たち別れたわけじゃないんだから、過去形じゃないよ。あれ、もしかして彼女できた?」

「そ、そんなわけないさ。いつだって君だけを考えてたよ。ほんとに」

 突然のことでつい焦りながらもなんとか返した。

「あはは、冗談だよ、この惨状を見て、君がどんな生活をしてきたか分かるし」

「全く、勘弁してくれ、ほんとに変わらないよ、君は」

「私は変わらないよ。君も同じようにね」

 焦りが引いていき、ほっと胸をなでおろした。そして、僕たちはまだ恋人なのだと知り、胸が高鳴った。神様はきっと僕に希望をくれたのだ。これからの人生を全く考えていない僕に目的を与えてくれたのだ。そう、目の前の彼女を見て、考えずにはいられなかった。




 僕が住んでいるのはアパートなため、ごみ捨てをアパートの共有のスペースに行い、二人で部屋に戻り一息ついていた。

「今は何してるの?」

「IT関係の仕事だよ、特にやりたいこともなかったしとりあえずって感じだけど」

 彼女のいるこの状況に僕はまだ半信半疑でいた。というよりもふわふわとした説明のしづらい気持ちだ。いることは事実なのだけれど、理屈が追い付かない。あの日確かに彼女は死んだのだから。

「桜はこれからどうするの?」

 とりあえず気持ちを落ち着けるためにこれからの質問をしてみることにした。

「私は死んだし、家に戻るわけにもいかないから、健吾君がよければここに泊めて欲しいかな。期限は分からないけど」

「もちろん構わないさ! 僕もできるならそれが良いと思ってたところだし」

 もちろん反対意見なんか出るわけもなく、ただただ賛成した。むしろ、これが叶うならどれだけ幸せなんだろうと、何度も夢に見たくらいだ。

「良かった。これからよろしくね、健吾君」

「ああ、こちらこそ」

 これが先週の出来事であり、僕らの夢の始まりであった。







 先輩の誘いを断り、帰宅する途中、ふと前のことを思い出す。彼女が戻ってくる前は、家でろくに料理なんかせず、冷蔵庫の中も酒と水ぐらいしか入っていなかった。ご飯はどうしていたのかというと、コンビニ弁当だった。高校の友人が遊びに来るときは、出前を取ったりした。その度になんだかお前は変わらないなと言われていた。

 しかし今は彼女が家でご飯を作って待っていてくれている。

 そのままコンビニには寄らずに真っすぐ家へと向かった。

「ただいま」

「お帰り―、もうご飯できてるよ。今日は健吾君の大好物のハンバーグでーす」

 今までは誰に言うこともなかったただいまを言いながら家に入ると大好物の匂いとともに返事が返ってくる。とても心地の良い時間だった。

「ハンバーグか、良いね、久しく食べてなかった」

「健吾君がハンバーグが好きなの思い出してね。来た時に思ったけど、料理してないでしょ。駄目だよー、コンビニばっかじゃ、不健康だよ」

「大丈夫、今は桜がいてくれるから」

「ふふ、そうだけどさ、いつまで一緒なのか分からないし、いざって時は料理もできないと持てないぞーー」

「ずっと一緒だからそんな心配しないよ。それにモテないのはうるせぇわ」

 スーツを脱ぎ私服に着替えながらそんなやりとりをする。これが毎日の習慣となっている。一週間もたち、この現状に慣れてきた結果でもある。

 ふと彼女の方を見やると楽しそうにしながら配膳をしている。

「手伝うよ」

 着替えを終え、食卓の準備を手伝う。配膳を終え彼女と向かい合って座り、今日の出来事を話す。これも毎日のルーティンだ。これからもこれが続くのだ。

 食事を終え食器の片づけを共にし、僕はベランダに出て煙草を加えた。

 すると彼女もベランダに出て横に並ぶ。

「最初にも言ったけど、煙草吸うんだね、なんか意外」

「そうか、まあ、月日は人を変えるって言うし、人なんてそんなもんだろ」

「にしては変わってない部分が多いけどね」

「うっせ」

 月明かりが僕らを照らしている。今夜は雲がなく、星が綺麗に見えた。口から出る煙と相まって余計に幻想的な風景になっている。月は満月を過ぎ、少し形を変えている。満月は確か一週間前、彼女が現れたときぐらいだったはず。

「ほんとに変わらない。君は。きっとこれからも君のままで居続けるんだろうね」

「なんだよその言い方。ふぅーーー、何か思うことでも?」

 煙を吐き出しながら続ける。灰が煙草からこぼれ、夜風に乗って飛んでいく。

「別に。ただこれからのことを考えて私は不安なんだよ。君はちゃんと生きていけるのかなーって」

「桜がいるから大丈夫だろ」

「そーやって人任せにするの、良くないと思うなー、私は、それに――」

「ん?」

「いや、何でもないよ」

「……君がいてくれたらこれからの心配なんてないよ。中に戻ろう」

「……うん」

 煙草の火を消すためベランダの手すりに煙草をこする。そこから飛び散った火花は一瞬の輝きを見せ、風に乗って飛んで行った。その時の彼女の顔を、儚げに映るその顔を、僕は一生忘れないだろう。







 彼女が来てから二週間が立った。彼女が来たのが確か十一月二十六日、今は一二月十二日。金曜日。世間はもうすぐクリスマスでイルミネーションが目立つ時期となった。そんな中、彼女から一つ提案があった。

「もうすぐ今年も終わるからさ、これからの目標を立てない? 二人で何をしたいとかさ」

「目標……来年の目標か、良いね、立てよう」

 二人で炬燵に入りぬくぬくと温まりながら会話を弾ませる。

「来年も良いけど、まず今年の目標を立てよう」

「今年? もう終わるのに?」

「そう、まだ今年のイベントは終わってないじゃん、クリスマスとかさ、大晦日も」

 もうじき今年が終わるときに今年の目標とは少し不思議な感じもしたが、少し面白そうだったので乗り気でいた。

「桜は何したい?」

「そうだな、まずは一緒に料理したいかな、一緒に料理して、楽しく会話をしながらご飯を食べるの」

「料理はしてないけど他はもうしてるじゃないか」

「そうだけど、これからもってこと!」

「これからもするって意味ではそれでもいいかもしれんな」

 少し違和感を覚えながらも僕は続けることにした。

 彼女が一度死んでからというもの、これからの予想図を立てるなんてしようとも思わなかったが、今はそれがたまらなく幸せで、違和感なんて全く気にしなかった。

「他には?」

「一緒に買い物行ったり、一緒にご飯食べに行ったり、一緒に年を、越したり――」

 ふと彼女の喋りがおかしくなったことに気づき彼女の方を見やると、目元に光がこぼれるのが見えた。

「な、なんだよいきなり、泣き出して」

「いや、ごめん、なんだろ、これ、おかしいね。何も悲しいことなんてないのに、涙が、止まらないよ」

 何事かと思い、急いで声をかけた。彼女は顔では笑顔を作っているが感情がそれを邪魔している。皆目見当のつかない僕はどうしていいのか分からなかった。

「なんか、楽しくってさ。ここ二週間、幸せで。それに未来も考えたら、つい」

「なんだ、そういうことか、驚かせやがって」

「ごめんね」

 そんなことかと僕は安心した。僕と同じだったのだと思い安堵する。きっとこれからもこういう幸せがあるんだと思うと、人は感極まってしまうのだと思う。

 ただ一つの気持ちを押し殺し僕はそう思う。

「良いさ、楽しいことはどれだけ考えたって罪にはならんし、多いほうがいい」

「そうだね、これからもたくさん、辛いこともあるだろうけど、それ以上に楽しいことがあるんだ」

 彼女の言葉がすっと胸に入るのを感じる。

「明日、仕事は休みだよね?」

 不意に彼女は続ける。

「ん? そうだけど」

「じゃあさ、明日、日記でも買いに行かない? これからの楽しかったこととかをそこに書き記すの。途中でやめたりしないで。その日記のページを全部埋めるまで」

「日記か。書いたことないな。というか珍しいな。日記だなんて、二人で書いていくってこと?」

「ううん、君が一人で書くんだよ。約束」

 彼女が涙を流し終え、とても真剣な目でそう言ってくる。絶対にと、念をおしてくるように。

「ああ、まあ面白そうだし、約束する」

 これから起こるすべての楽しいことを記録していく、それはきっと幸せが詰まった日記帳となるのだろうと、僕は心で思っていた。一つの感情を残して。







 次の日になり、彼女と約束した、日記帳を買いに来た。近くのショッピングモールに入り、文房具屋へと寄った。

「いろいろな日記があるんだな」

「そうだね、どれにしよっか」

 二人でショッピングモールに来るのはいつぶりだろうかとふと思う。高校生の時はよく来ていた。デートをするとなった時にうちの高校生はここに来ることが多かったと思う。

「この黒の皮の日記帳とか似合うんじゃない?」

「それはありきたりすぎでは?」

 黒の日記帳など、かなり多いと思うのだがこれが良いのだろうか。

「いいんだよ、こういうので、こういうありふれたもので」

「ありふれたものが似合うってなんか悲しくなるな」

「あはは、そんなことないよ」

「笑ってるじゃないか」

 わざと肩をすくめて見せると、彼女は笑う。僕はほんとに彼女の笑顔が好きなのだと思わされる。そしてふとあることを思い出した。

「ちょっと他にも見たいものがあるからさ、先に一回の広場で待っててもらってもいい?」

「ん? 分かった。じゃあ先に行って待ってるね」

 そう言うと彼女はエスカレーターの方に向かった。

 僕が思い出したあることとは彼女の誕生日である。彼女は十二月二十五日、つまりクリスマスが誕生日であった。クリスマスプレゼントと誕生日プレゼントが同じだと嘆いていたことも思い出した。

 つい口元が緩んでしまい、笑わないようにこらえながらある店へと向かう。文房具屋に行く途中に彼女が視線を吸い寄せられていたものを思い出しながらその店へと着いた。そこはぬいぐるみが多く売られている店。ぬいぐるみ屋だ。彼女はここの外に出されている茶色のクマのぬいぐるみを見ていた。

 そういえばぬいぐるみが好きだったと思いながらそれを買おうとしていると、ふと横から声をかけられた。

「よ、箭内。楽しそうだな。そのぬいぐるみ買うのか」

 その聞き覚えのある声はと横を向くと案の定、会社の先輩である柳田さんが立っていた。

「はい、彼女にあげるんです」

 その様子を意外に思ったのか先輩は笑いながら続ける。

「ほう、そうか。そりゃいいな。それよりお前、最近笑うようになったよな。前は仕事に熱心というか何も考えていなさそうな顔してたのに、活き活きとしてやがる。彼女の影響か?」

「そう、ですかね。全然気づきませんでしたが」

 どうやら今までの僕と比べてかなり変わったようだ。確かに彼女が来てから百八十度と言っていいほど生活が一変したから、その影響は間違えないと思った。

「やっぱ、人はそういう風に元気な状態が良いよな。だがよ、たまにでいいから飲みに付き合えよなぁ。いつも『僕はいいんで』って言って帰っちまうし、たまにゃ腹割って話そうや。彼女の話、聞かしてくれよ」

「……気が向いたら」

「おう! 楽しみにしてるな!」

 そういうと先輩は手を振りながら離れていった。

 僕は今まで他と関わりをもってこなかった。きっとこれからもと思っていた。彼女が来てからもそう。彼女がいるし、こちらの時間を大切にしようと考えていた。でも……。

 少しだけ心が痛む。最近感じるこれは何なのか。まだよく分からない。

 それを感じないことにしようと、急いでぬいぐるみを買い、当日に家に届くようにした。

「戻ろう」

 彼女と合流し、家に帰った。







 世間はもうすっかりクリスマスモード。もう明日はクリスマスだ。日記帳は少しずつ書いている。彼女がやろうといった、料理や買い物をして、その都度書いた。

「その日記帳が埋まるのはいつぐらいかな」

「さあ、でも一瞬だよ、桜といると毎日がとても楽しいからね」

 少し赤面しつつも彼女にそう伝える。

 自分で言うのも難だが彼女のおかげもあり気分が晴れてきていると思う。先輩にも言われたがきっと彼女との関りは想像以上に大きいものなのだろう。

「あはは、嬉しいね。それにしても健吾君。一か月前に私と会ってからかなり変わった、というかあの頃に戻った感じ」

 彼女から見ても僕は変わったのだ。

「全部桜のおかげだよ。君がいてくれたら僕はずっと幸せでいれる」

「ほんとに嬉しいよ」

 これからもきっと、僕たちはこのままなのだと。当たり前のように思っていた。

「でもね」

これからの未来予想図に、二人で居続けるんだと。




「そういうわけにもいかないんだよ」




 現実は、そういうわけにはいかない。

「…………え?」

 僕の中が白くなるのが分かった。全ての感情が砕け散るような。この感覚。まるでいつの日か味わったあの感覚。

 あの日、彼女の死を聞かされた、あの日。

「それは、どういう」

「私はね」

 あの日の記憶が鮮明に思い出される。




「明日、消えるんだ」

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