第一章 魔眼覚醒

第1話 魔眼覚醒しそうなんで目薬出しときますね①

 

「は~い、次は下見てくださいね~」


 言われた通り、視線だけを動かして下を見た。


 暗闇を照らす僅かな光と、そこに浮かび上がる柔らかそうな乳房。


 胸元の大胆なトップスから見え隠れする二つの果実はあでやかで、呼吸の度にその色を変えて男を誘惑する。


「ん~? すごい充血してるねぇ……はい、いいですよぉ~」


 部屋が急に明るくなって正気を取り戻した。




 逢沖あいず悠斗ゆうと、一七歳。


 彼は今、下校途中に眼科で診察を受けていた。


 向かいに座っているのはかわいい女医さんだ。


 長い黒髪を前髪の左右だけ残し、後ろでまとめた髪を白いリボンでキュッと結んでいる。スカートは黒。そしてトップスの上に羽織る白衣は、彼女のかわいらしさを知的な印象へとうまく昇華させていた。


(よし、通い詰めよう)


 悠斗は永遠の誓いを心に刻む。


 ひとつだけ訂正、全く正気を取り戻してなどいなかった。


 意識が上の空のまま、女医さんの言葉が耳を右から左へ通り過ぎていく。




「魔眼覚醒しそうなんで、目薬出しときますね~」


「はい、ありがとうございます!」




「……へ?」


(聞き間違えたかな。もう一度……)


「えっと、診断結果……が?」


「魔眼覚醒、ですよぉ~」


 悠斗の問いに対して、女医さんが微笑みながら首をかしげた。


(いやいや、笑ってる場合じゃないでしょ! 診断結果が『魔眼覚醒』て、この人ヤブ医者だったのか⁉)


 仕方なく形式上の感謝だけ伝え、診察室を後にした悠斗は渋々診察代を払う。


 外は既に日が落ちて薄暗い。


「しょうがない、今日はもう帰るか……」


 悠斗はコンビニで軽く食べ物だけ買って帰路に就くことにした。




 家までの帰り道、悠斗がいつも通りがかる公園を横目に眺めながら歩いていると、公園の端に何か置かれているのが見えた。この公園は住宅地に造られたにしては少し広く、遠目にしか見えないが、茶色いものから白いものが飛び出ているようだ。


 興味を引かれた悠斗は公園に立ち寄って、その正体を確かめることにした。


(段ボールに入った捨て猫か? でもそれにしてはちょっと大きいような……)


 一歩、また一歩と進むごとにそれの正体は明白になっていくが、悠斗の頭はそれを素直に受け入ることができなかった。


「────」


 それの目の前で足を止め、悠斗はようやく事実を受け入れ息を呑む。


 段ボールの中でうつむきながら三角座りをしている一人の少女がそこにいた。


 人の気配に気付いたのか、少女が顔を上げて焦点の定まらない目で前を見る。


 そして悠斗の存在に気付いた途端、瞳をキラキラさせて何かを訴えてきた。


 声にこそ出さないが、確実に助けを求めているようだった。


 一方、それを見た悠斗は──


(これ絶対ヤバいやつだ! 関わったらダメなやつだこれ‼)


 こっちも助けを求めそうになっていた。


 が、悠斗は少女の頬に涙の跡を視た。ついさっきまで泣いていたのだろうか。


 このまま放っておくわけにもいかず、しゃがんで声を掛けてみる。


「あの~これ、いる?」


 さっきコンビニで買った三色団子を恐る恐る差し出す。


 少女は一瞬ためらったが、無言で団子を受け取ると、ゆっくり食べ始めた。


 そして団子を見つめたまま弱々しく感謝を述べる。


「……ありがとう。次はこしあんがいい」


『次も貰う気なんかいッ!』と大げさにつっこみそうになるのを我慢して、悠斗が話題を探して会話を続ける。


「こんなとこで何してんの?」


「ここがどこなのか分からなくて……しょうがないから、とりあえずこの公園で野宿するの。誰もわたしの話なんて聞いてくれないし……」


 少女の瞳が潤んできた。


「おれ逢沖あいず悠斗ゆうとっていうんだけど、君は?」


「……七瀬ななせ水月みずき


「ななせみずき──」




 言葉で聞いただけだから漢字までは分からない。


 でもすぐに思った──きっと『水月』だ。


 勝手にそう納得してしまった。


 透き通った水を想わせる綺麗な青い瞳。


 輝く月のような銀色の長い髪。


 水面みなもに映る月のように、れればどこかに流れて消えてしまいそうな、そんな儚さを感じた。




 少し落ち着きを取り戻すと、悠斗はようやくある事に気付いた。


 水月の着ている制服は悠斗の通う高校のものだった。ここがどこか分からないという事は、引っ越しで転校してきたばかりとか、そういった事情だろうか。


 そう思って水月に自宅の住所を訊きスマホで調べてみたが、その場所はオフィスビルが建っているところで水月の家ではなさそうだった。


 このままでは本当に水月が野宿する事になってしまう。


 そこで、悠斗は先程から言おうか迷っていたことを提案をする。


「ねえ……七瀬さん」


「水月でいいよ。だからわたしもユートって呼んでいい? その方が安心するから」


「あぁ、いいよ。その方がお互い話しやすいだろうし。じゃあ水月、このまま君を野宿させたくはない。だから……おれの家、使っていいよ」


「──いいの?」


 水月が目を見開いて悠斗の瞳を覗き込んだ。


 普通なら出会ったばかりの男子の家にお世話になるなど断りそうなものだが、今の水月にとってこれは天の救いだった。


「うちの親、二人とも海外出張でいないから部屋は空いてるんだ。おれ一人っ子だし、おれみたいなのに気を使う必要もないよ。落ち着いて何か分かるまで好きに使ってくれて構わない」


「ありがとう、ユート」


「じゃあ、これ以上遅くならないうちに行こうか」


 思いがけぬ出会いに戸惑いつつも、悠斗は水月を導くようにして歩き出した。



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