第2話 魔眼覚醒しそうなんで目薬出しときますね②


「ところで水月みずき……その段ボール持ってくの?」


「わたしは……これがないと生きていけないの。それにその辺に捨ててくわけにもいかないでしょ?」


 水月はその段ボールを折りたたみもせず、まるで自分の命そのものを扱うように、大事そうに抱えながら歩いていた。


「持ちにくそうだし、おれが持つよ」


「いいの、これはわたしが持ってくから」


 悠斗ゆうとにはよくわからない段ボールへの執着だったが、自分には何てことない物でも他人にとっては大切なものだったりする。だからそれ以上は何も言わなかった。


 それからつかの間の静寂が流れる。


(『あいずゆうと』って、あの逢沖悠斗? まさか……ね)


「ねぇユート、今って何年何月だっけ?」


「ん? 二〇七〇年の五月だけど?」


「そう、だよね……」


 何故そんな事を聞くのか気にはなったが、そろそろ悠斗の家に着く頃合いだ。


「着いたよ。遠慮せず上がって」


 悠斗の家は二階建ての一軒家で、芝生の生えているちょっとした庭があり、道路に面した側に植えられたオシャレな木で外からの視線を遮っている。


 天気のいい日はベランダに出て太陽を浴びるのが悠斗のお気に入りだ。




 玄関に入ると、水月はようやく段ボールを下ろして丁寧に玄関の隅に置いた。


 悠斗が二階にある自分の部屋へと水月を案内する。


 そこは一般的な男子高校生の部屋、と言えるだろう。


 もともと人を招く予定ではなかったので、マンガやゲーム機で散らかった様子を見られた悠斗は若干の恥ずかしさを感じていた。


 すると、部屋をキョロキョロ見渡していた水月が一冊の本に目を止めた。


「こーゆうの好きなの?」


 悠斗はベッドの下に隠している秘蔵の品が見つかったのかと思い冷や汗を流したが、水月が手に持っていたのは『量子論』についての本だった。


「あ、ああそっちか、読んでみるとすげー面白いんだ。それからアインシュタインの相対性理論とかも面白いぞ」


「ふーん、男の子ってそーゆうの好きだよね」


「そうなのかな。それ読むとさ、未来にはきっとすっごい技術が開発されるんだろうなってワクワクするんだ」


 悠斗が目を輝かせながら話す。


「未来に……?」


「そう、『妄想こそが未来を創る』──それがおれの行動理念だ」


「何それ。変なの」


 少し打ち解けてきたのか、出会ってから初めて水月が少し笑ったように見えた。


 水月がベッドにちょこんと腰を下ろす。


 そして悠斗をじっと見つめると、突然おかしな事を訊いてきた。


「ねぇ、ユートはわたしの事――見えてる?」


「へ? もちろん見えてるけど……まさかとんでもなく深い問いかけだったり──?」


「ホントのホントに⁉」


 床にあぐらをかいて座っている悠斗に、水月が勢いよく顔を近づけて目をじっと覗き込んできた。


 間近に見る水月の顔と息遣いに、悠斗の顔は赤くなり言葉が出てこない。


「────」


 そのままの態勢で硬直していると、突然何の遠慮もなく部屋のドアが開け放たれて、女の子の声が聞こえてきた。


「悠斗~? 誰か遊びに来てるのー?」


 その突然の来訪者は二人の様子を見ると時間が止まったように動かなくなり、やがてゆっくりとドアを閉めた。


「お邪魔しました~」


(やばい、絶対勘違いされた……‼)


 悠斗が慌てて立ち上がると、再びドアが勢いよく開けられた。


「ゆ、悠斗が……あの悠斗が‼ お、女の子を連れ込んでる⁉」




 信じられない光景を見たとばかりに驚いているこの女の子は、悠斗の幼馴染だ。


 名は九条くじょう莉奈りな、悠斗のクラスメートでもある。


 莉奈は、宇宙関連の技術開発で急成長した大企業社長の娘で、お金持ちのお嬢様だ。


 会社が成長前の苦しかった時期を知っているせいか、学校では一応優等生として振舞うものの、幼馴染である悠斗には素が出るようで意外と庶民派だ。


 母がドイツ人とのハーフなので、莉奈はクォーターということになる。


 瞳は不思議な赤みを帯びており、淡いピンクの長い髪をいつもツインテールにしていた。


「悠斗……今その子と、その──キス、しようとしてたの?」


 顔を赤く染めた莉奈が少し上目使いに、悠斗が危惧した通りのことを訊いた。


「違うんだ、これには訳が……」


 悠斗が事情を説明しようと思慮を巡らせていると、先に水月が状況を説明し始めた。


「餌付けされて連れてこられたの。わたしは幸せになったらいけないから」


「ちょっ……言い方‼ 余計勘違いされるじゃん⁉ しかも幸せになったらいけないって何⁉」


 恐る恐る莉奈の方を向くと、彼女はうつむきながら手をプルプル震わせていた。


「へぇ……女の子を食べ物で釣ってあれこれしようとしてたんだ……」


「ちが、誤解だ莉奈、話を聞いて……」


「最っ低‼」


 必死の抵抗もむなしく、莉奈の容赦ない右ストレートが悠斗を襲った。




「もう! あんたが紛らわしい事するからでしょ⁉」


「そっちが話を聞こうとしなかったんじゃないか」


「だってあんなの見せられたら……」


 落ち着いてきた莉奈に事情を説明して何とか疑いは解けたが、莉奈は居心地悪そうにそっぽを向いている。



「二人仲良しなんだね」



 寂しそうにつぶやいた水月の瞳は、どこか遠いものを見ているかのようだった。


「あ、あたしはコイツのご両親から、悠斗の事を頼まれててそれで様子を見に来ただけであって……そう! これはただの義務よ、義務!」


 我が幼馴染ながら実に分かりやすいツンデレだ。


 そんな事を思いながら、悠斗は二人が話し始めた事に安堵する。


 莉奈は悠斗の両親が海外出張に出る際に、悠斗を気にかけるよう頼まれており、悠斗の両親から家の合鍵も渡されていた。幼いころからよく遊びに来ている莉奈は面倒見がよく、悠斗の両親からの信頼も厚い。


 実際、莉奈がいなければ悠斗はとっくに落ちぶれていただろう。一人っ子で人付き合いも上手いとは言えない悠斗にとって、勝手に押しかけてきて一緒にバカ騒ぎできる莉奈の存在はとても大きく大切なものだ。


 一通り話し終えると、莉奈が水月に提案を持ち掛けた。


「行くとこないならウチに泊ってもいいわよ? 少なくともここよりは安全だろうし」


 そう言って、ジト目の莉奈がちらっと悠斗を見る。


 実のところ悠斗もその方がいいとは思っていた。


「ああ、莉奈の家はセキュリティーもしっかりしてるし、安心して眠れるぞ」


 普通ならその提案に乗るのだろうが、何故か水月は考え込んでいる。


「せっかくだけど……わたし、ここがいい」


「「ええっ⁉」」


 二人同時に驚きの声を上げた。


「悠斗はこんなんでも一応男だからね⁉ 変な気を起こしたりとか、それに……」


 莉奈がそこで言葉を濁す。


 散々な言われようだったが、悠斗にとっても理性を必死に保ちながら寝るよりは、莉奈の家に泊ってもらう方が気が楽ではある。


 しかし、水月は真剣な面持ちで心の内を話し始めた。


「わたしね、独りぼっちで泣いてた時、ユートだけがわたしに気付いてくれたの。わたしを助けようとしてくれた。その気持ちに応えたいの。だからわたしは、ユートを信じる」


 そこまで言われては、莉奈も引き下がるしかないと思ったようだ。


「分かった、そうしましょう。ごめんね悠斗、ちょっと……言い過ぎたみたい」


「いや、おれは大丈夫。莉奈が心配するのも分かるから」


「じゃあまた明日、ここに集まって水月のこと話し合おっか」


「そうだな。じゃあおれ、莉奈を家まで送ってくよ」


「ならわたしも行く。莉奈にもこれからお世話になるから」


「二人共ありがとう。そういえば悠斗、今日眼科行ってきたんでしょ? どうだったの?」


「それがさ、『魔眼覚醒しそうなんで目薬出しときますね~』なんて言われた。ヤブ医者だったのかな」


「何それ、違う眼科行った方がいいんじゃない?」


「いや、もう痛くないから大丈夫」


 すると、その会話を聞いていた水月が、誰の耳にも届かないような声で呟いた。


「〝魔眼〟………この人やっぱり――」



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