第4話
ザックと契約して半月、バートはアイザック・ウェストファルという人間をいまだ掴めずにいた。
正式な契約を交わす際、改めてザックが本物のアイザック・ウェストファルであることが判明した。
彼が身につけている青い石のピアスには、王宮学者だけに許される刻印があり、同時に王宮魔術師としてそこそこの階級であることまで判明した。
ザックは一言で言うならば不安定な人間だった。
周囲の環境に恐ろしく繊細で神経質なときもあれば、引くほど鈍感なときもある。
不躾で無神経かと思いきや、その場の空気感や他人の感情の変化に敏感だったりもする。
恐ろしく頭の回転が速いときもあれば、愚鈍なときもある。
どちらもザックの本質のように見え、その時々で印象ががらりと変わる。
この男は自分の興味と関心がないことであれば大抵の場合、大事なこともそうでないことも、気づけば全部忘れている。
そのくせ、どうでもよいことを突然思い出したりするし、覚えていないだろうと思っていたら覚えていたりする。
一度何かに集中したら、全てを放棄してその一点に集中し、丸三日食わず寝ずのフィールドワークに出かけたかと思えば、丸二日を惰眠に費やしたりする。
「普通の」人間ならば、一定期間ともに生活していれば何かしらのリズムが掴めるものだが、アイザック・ウェストファルは常に不規則で不安定だった。
バートが契約した仕事は、そんな珍妙奇天烈な男の護衛兼、業務補助であった。
古代史学者であり古生物学者でもあるザックは、学会の最先端をゆく現役の研究者だった。
宮廷内に留まり、執筆活動に勤しむだけの名誉学者とは異なり、自ら赴いてデータを集積し、常に新たな発見を重ねる行動派だった。
ザックの仕事は古代の遺跡や地層を見分し、バートには理解できない様々な方法を用いて遺跡の建てられた時代や地層を構成している成分などを分析することだった。
その結果から、その地に生息していたであろう生物の化石が埋まっていそうな場所を特定し、必要ならば発掘作業も行う。
時にはその土地の研究施設や図書館などに立ち寄り、調べ物をしたり、現地の研究員と何やら難しい議論を交わしたり、執筆活動を行ったりする。
古代生物の「末裔」が生き残っているのであれば、捕獲して生体サンプルを採取することもあった。
それだけ聞けば一人でできそうなものだが、古代の遺跡は大体人里離れた山中にあったり、道中が険しいことが多かった。
鶏がらのようなこの男に、身ひとつで野宿などできるはずがない。
さらに古代生物の末裔と推測される生物から生きたサンプルを手に入れるためには生け捕りが必須であるが、古代生物の末裔は、必ずしも小動物で捕獲が容易なものばかりとは限らなかった。
バートに求められたのは、さまざまな雑用をこなす用心棒だった。
王宮騎士団に所属し、常に前線で命を削るような戦いを重ね、小隊の長まで務めたバートにとって、当初ザックの提案した仕事はあまりにも些末なものに感じられた。
(こんなものは自分の引き受ける仕事ではない)
しかしバートの思いとは裏腹に、登録所でのバートの扱いは屈辱以外の何物でもなかった。
元王宮騎士という肩書や輝かしい経歴は、ここでは何の役にも立たず、王宮騎士として求められた厳粛な(というより横柄な)態度は依頼人を寄せ付けなかった。
割のいい仕事は、バートより剣の腕も戦いの経験も未熟な冒険者たちに根こそぎ奪われた。
冒険者としてやっていくには過去の経歴よりも冒険者としての実績が必要だった。
初級冒険者として登録所に所属してからふた月、バートには1件の依頼もなかった。
騎士をやめても元王宮騎士の肩書と剣の腕さえあれば、なんとか食べていけるだろうというバートの思惑とは異なり、現実は厳しかった。
今の仕事は、そんな焦りの中で気持ちが乗らないまま引き受けた仕事だったが、時が経つにつれて、この仕事は自分が考えていたよりも悪くないと思い始めていた。
やっていることの大半は雑用だったし、常に敵襲を警戒して神経を研ぎ澄ます必要もなければ、身の危険を感じるほどの緊張感もない。
かつてバートの日常であった戦場とはおおよそかけ離れた毎日だったが、充実感はあった。
なぜなら、ザックはとにかく手がかかる。
一人では一日と生きていけないだろうと思わせるほどに、何もしない。
できないのではなく、しないのだ。
それがこの男の最も厄介なところだった。
何かに没頭すると、ザックは自分の興味と関心があるもの以外すべてを放棄する。
まず人として生活することを放棄し、次に寝ることも、食べることも放棄し始める。
生きていく上で必要な活動を限界ぎりぎりまで排除して自分の世界に没頭する。
こうなるともう誰にも止めることができない。
ザックは目標を達成するか、あるいは倒れるまで自分の欲求を満たすためだけに動く。
ザックが調査に没頭するあまり己の限界を超え、睡眠不足と低血糖で倒れたとき、バートは自身の目を疑った。
野生動物の世界に生きていれば、真っ先に淘汰されている。
後先を考えることもなく、本能行動すら抑制し、ただ己の欲望にのみ忠実に生きる。
ザックの「生態」を目の当たりにしたバートは、理性と知性をもつはずの人にこんなことができるのかと愕然とした。
さらに驚くべきことに、この非常識な依頼主は、己の命の管理すらも契約条項に入れていた。
業務内容を読んだバートが即座に免責事項を確認したことは言うまでもない。
結果として、バートはザックの欲望以外の残り全てを管理する立場になった。
生活を管理し、生命維持を管理し、最終的には財布まで管理するまでになっていた。
戦場にいた頃とは全く異なる緊張感のもと、この半月を過ごした。
これまでとは異なる意味で緊張感のある日常に、不思議とバートはある種の充実感を見出していた。
腐っても鯛とはよく言ったものだ。
どれだけ人として成っていなくとも、ザックは王宮魔術師団長の息子という出自をもち、王宮屈指の古代史学者かつ古代生物学者だ。
家柄もさることながら、本人の経歴は輝かしいものであり、特に古代生物学に関しては最年少で王宮学者の称号を与えられている。
当然、ザックほどの学者がフィールドワークに出ていることを王宮が把握してないはずがなく(それなのに護衛騎士が付いていないことは甚だ疑問だが)、万が一ザックの命が危険に晒されるようなことが起これば、当然護衛として雇われた自分に明日はない。
(ある意味、戦場で己の命が危険に晒されるよりずっと緊張感が絶えない)
ザックは自分が元王宮騎士ということを知っていて依頼したに違いない、とバートは考えていた。
そもそも王宮学者という地位にありながら単独でフィールドワークに出ること自体、通常はありえない。
王宮学者ならば相応の護衛が付くはずだし、そもそも単身でフィールドワークに出ることに対して許可が下りることなど皆無に等しい。
加えて、わざわざ本人が身分を隠して冒険者登録所に護衛を雇いに来るなど万が一にもありえない。
通常ならば、だ。
恐らく通常でない何かしらの、さらに言えば決して真っ当でない事情があるのだろう、とバートは考えた。
そして自分を護衛に指名したのは、自分が元王宮騎士だからだ。
王宮騎士は下級騎士であっても出自を全て調べられる。
身元がはっきりしていて、なおかつ護衛としてのスキルも申し分ない。
そして、王宮騎士ならば現役を退いたとしても、ウェストファル家と聞いた以上無下に扱うことは決してない。
そのことを踏まえた上で自分を選んだのだ、とバートは確信していた。
(どちらにせよ、厄介なことに巻き込まれたことに違いはない。そして、もう後戻りもできない)
掴みどころのない男だが、史上最年少で王宮学者にまで上りつめたのだ。
外見や言動に惑わされてはならない。
(何が目的かなど、考えても仕方のないことだが)
やはり、この男は信用ならない。
今はまだ。
ベイの村に向かう馬車の中で、干し草に埋もれて眠るザックを眺めながら、バートは小さくため息をついた。
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