第37話 これからも…

 灯夜が自室のベッドで目覚めた時には、事件は全て終わっていた。


 警察が関西の旅館に潜伏していた池田達を拘束。その場にいた関係者も皆連行されたらしい。

 彼等の取り調べで、旅館の近くにあった古い塚から、既に白骨した遺体が見つかった。


 おそらく、それが母だったのだろう…。


 ある程度体力が戻った灯夜は、朝の冷え切った早朝、ホテル蒼月舘そうげっかんの総支配人、津神守つかもりに呼ばれて訪れていた。


 母の魂である小豆色の石が、ようやく朝露あさつゆを浴びて、白百合のつぼみに魂がうつったのだという。


「思っていたより時間がかかったな…」


「……あなたが動けるようになるのを、待っていたのかもしれませんな」


 好々爺が、穏やかに笑う。


 花に転るかも不明だった母の魂。灯夜が封じた小豆色の石だけ、白百合に魂を転して天に返してやる事ができる。


 何より、塚を守る彼等の努力があっての事だ。


 あとは…、蕾が開花すれば天に登る。


「今日は、空気が澄んでいます。おそらく開くでしょうな」


 五十年近く、塚の番人を務める彼が、そういうのだから間違いない。


 その花が開いた瞬間、母の魂と話が出来るのかもしれない…。


 真っ白な百合が群生する池のほとりに案内される。辺り一帯冷えた空気と、太陽が上がり始めた光で靄がかかり、幻想的な風景画のようになっていた。


 ほう…と、灯夜が息を吐く。背に隠しているがひしゃげた翼は、とてもじゃないが、まだ完治したとは言えない。


「…大丈夫か?」


 津神守について来た男は、葵の一番上の兄だ。


「辛ければ、抱いて歩いてやるぞ?」 


 さすがに今日は、コックコートを着ていない。


「…女じゃないんだから、よしてくれ」


 半分は諦めている様子の灯夜に、じゃあ…と抱えあげようとした腕を、葵が強い力で止める。


 兄弟の睨み合いに、灯夜の溜息がいっそう深くなった時、一筋の光が天から伸びた。


 今にも咲きそうな大きな白百合の蕾が、待っていたかのようにフワリと開く。

 光の中で人形をつくる影は……。そこにはもう黒い闇をかぶっていない、確かに灯夜の記憶にある母の姿があった。


「……あなたを、長い間助けてあげることができませんでした。…俺の声が聞こえますか?…俺が分かりますか?」


 彼女は優しく微笑んで何も言わない。そうして空からの光がうっすら揺らぐと、そのまま空の朝焼けと一緒に、彼女の魂は天に昇っていった……。


 その瞬間、彼女の送った映像が灯夜に流れ込んでくる。


 ―――あの激しい雨の中、山道を猛スピードで走っていた理由…。


 地方での案件を済ませて、休憩を取るために泊まったホテルに、ちょうど新野や池田がそこにいた。


 当時、意見の対立があったが、共に悪鬼と戦う術師同士。他愛もない話をしながら、出されたお茶を口にした…。だが、二人が飲んだお茶には薬が仕込まれていた…。


 どれほど強い薬だったのかは、今となってはわからない。


 だが、彼女は藤宮の長女として、毒への耐性を高めるため幼い頃から慣らされていた。


 意識を失った夫を医者に見せたくても、麓まで下りないと病院がない。


 彼女は夜の雨の中、車を走らせ…そうして土砂崩れに巻き込まれてしまったのだ。


 その土砂崩れが、人為的なものか…、自然災害なのかは不明。


 彼女に執着していた新野と池田は、事故のあった車から彼女の遺体を持ち帰った。


 そして悪鬼が封じられている塚に、彼女の遺体を寝かし続けたのだ。


 彼女の魂は天に帰ることもできずに、苦しみ、そこに封印され続けていた悪鬼の闇が、次第に長い年月をかけ、彼女を闇に引きずり落としていったのだろう…。


 憎しみや苦しみの中、彼女は自分の愛した男を殺したのが藤宮だと池田達に言われ続け…、あのような彼女が出来上がってしまった。


 だが…、どこまでが真実で、何を使って彼女を動かしていたのかは、わからない。

 彼女の魂は天に昇った。美しい笑顔を見せて…。 


 もう会う事はかなわない…。

 それでも…、笑顔で送れて良かった…。


 警察に捕まったほとんどの関係者は、素直に事情聴取を受けているという。


 ただ新野は黙秘を続け、池田は誰かの手引で再び逃走した。


 今も、何処かで藤宮を恨みながら逃げ回っているのかもしれない。


 だが、ほとんどの関係者は捕まった。池田一人では、何もできることはないだろう。



 蒼月舘の庭園を、灯夜と葵はゆっくりと散歩していた。

 数日ベッドで過ごしていたため、少し歩きたいと言った灯夜のわがままを、結局葵が許して一緒に歩調を合わせて朝霧の庭園をゆっくりと歩く。


「…兄は、相変わらずあなたを溺愛していますね」


「…いつまでも、子供扱いだよな」


 くくっと柔かく笑う様子に、母親の事を思い出にしまえたのだと密かに安堵する。


「…灯夜様」 


「ん?」


「…あなたは、今のままで良いのですか?」


 灯夜の顔を覗き込み、池から蒸発した水蒸気で、しっとりと水分を含んだ髪をすいてやる。


「もし…、藤宮というものから解放されたい…と、言うのであれば、私があなたをさらいます」


 灯夜のセピア色の瞳が驚きで見開かれる。


「……それ、義隆の前で言ったら、あいつに殺されるぞ」


「ええ。それでも私はあなたを守ってみせます。あなたが行きたいところに、私はあなたを連れて行きたい。……本当は、あなたが彼の腕の中で、意識を失った時…、横から奪い去るところでしたよ…。あの夜がなかったら」


 あの夜と言われて、目尻を染めた灯夜が葵を睨む。

 だが、葵の真剣な顔に視線を落とした。


「私をこんな気持ちにさせるのは、あなただけです」


「……知ってる」


 小さく呟いた灯夜も、あの夜が、ただっした欲求をぶつけられたわけでないと、ようやく気づいた。

 だからと言って…、どうすれば良いのかは、わからない。


 葵の仕草は黒田とかさなるも、不快を感じない。むしろ心地よくて、好きにさせてやる。

 なぜか……。


「…ひとつ聞いてもいいですか? 黒田支部長には、どこまで許したんです?」


「…そんなこと、聞いてどうするんだ?」


「それは……。あぁ。あなたは、言わないと伝わらないのですね?」


 葵は灯夜の耳に軽く唇でふれた。ピクリと緊張させた灯夜の身体を、なだめるように背中をさする。


「…嫉妬で、私が無理やりあなたの身体に聞く前に、教えておいて下さいね。…今は、まだやめておきます。ですが…、私もそう気が長い方ではありません。いつまでも待ちませんよ」


 耳にかかる熱い息に、セピア色の瞳は困ったように揺らいだ。


 だが、すぐに何か考える時のいつもの仕草で、自分の指を柔らかな唇に軽くおく。

 そうして考えがついたのか…、灯夜が顔を傾け流し目をおくりながらふわりと微笑した。


 葵の身体は、そんな些細な灯夜の仕草に熱を持つ。だが、負けまいと素知らぬ顔で見返した。


「……葵」


「…はい?」


「……二人でいるときは、呼び捨てで呼んでくれ。俺を呼び捨てで呼ぶ男は、義隆と、おまえの兄だけで他にいないし…。それに、プライベートの時まで、様をつけられるのは…ちょっとな」


 ああ…。かなわない…。この美青年の色香に贖うすべは、この世界にないのかもしれない。


「わかりました…」


 葵は、疲労でそげた灯夜の頬をなぞる。そのまま頭の後ろに手を回し、ぐっと引き寄せた。


「とうや……」


 いつも冷静で氷のような男の口から、信じられないくらい甘く熱のこもった愛しい名前が、紡がれる。


 わかっていないでしょうが…、あなたが私をこの世に繋ぎ止めたのですよ。


 もし…、あの病院で、落ちていく葵の腕を灯夜がつかんでいなかったら……。


 …この命は終わっていた。

 

「…私の全てを、あなたに捧げます」


 膝をついた葵に、灯夜は何も言わず広角をあげた。


 ――朝の光に反射した池が、キラキラ輝く。


 明日は、何処からの案件依頼が来るだろう…?

 今度、地方の案件の帰りには、露天風呂がある旅館に泊まるのも悪くない。


 ――白百合が咲き誇る。大きな真っ白な花びらを空に向けて……。


            終わり




 

 

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命がけで守ると誓った天使が先に逝くのを許さない 高峠美那 @98seimei

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