第36話 灯夜の夜明け

 ……私は、あなたがどれだけ努力しているか知っているわ。


 桜の母親の言葉を思い出す。


 本来なら…、自分が藤宮を継いでも良かったはずの叔母。それなのに…全てを灯夜に託してくれた。


 娘の桜にかける愛情とかわらない優しさで、灯夜をいつも愛してくれた。


 そして、黒田、葵、葵の兄二人。岸とジュリ、警備のみんなも……。


 今まで…、いったいどれだけ…自らの危険を顧みず任務を遂行してくれていたのだろうか…?


 悪鬼の母を正気に戻せるのは、自分だけ…。だが、もう…そんな悠長な事をしている体力がないんだ…。 


 ―――許して下さい。

 十八年もの長い間…、あなたは苦しんでいましたか? 

 あなたは、何処で眠っているのですか?

 そこには暖かな日差しを感じますか?

 花は咲きますか? 

 鳥のさえずりは…?


 俺は…、あなたがいなくなって…、悲しかった。寂しかった。それでも…、俺は、仲間に恵まれた。


 だから…俺は、あなたを封じます。これからも、仲間と藤宮の役目を守るために…。彼らと共に歩むために!


 いつか…、この身が天に召された時…、あなたに俺の仲間を紹介しますね…。どうしようもないくらい…大切な仲間たちを…。


 その時は…「あの時は熱かったのよ!」と怒って下さい…。

 

 ―――灯夜の身体に熾火が纏う…。青い熾火の揺らめきは、夜の闇から東の空を明るく染め始めた朝焼けのよう…。灯夜の夜明けだ…。


 闇を迎え入れようと両手を広げれば…、闇は黄金色に燃えながら灯夜に抱きとめられていく…。


 その場にいる皆の目が…、灯夜の動きに、酔わされていた…。

 見慣れたはずの悪鬼封じが、神々しくて…心臓が震える。脈打つ音は不規則なのに…、たまらなく、誇らしい。


 役目、義務、責務…。そんな簡便なものでないのだと、長く魂の奥底で訴えていた慨嘆がいたんが、角から溶けて眩しく照らした灯夜の光で満ちていく。


 彼こそ…、いにしえより続く悪鬼封じの頂点に立つ藤宮の当主。藤宮灯夜。


 どれほど闇が厚くても…、朝はくる。


 星は、闇夜で戦う者の道しるべであり…、東に昇り出した太陽は、悪鬼と戦う術師達への労いと、疲れた身体を癒やす方舟。


 ずっと、ずっと…昔からかわらない、いにしえのことわり


 ギギ――――!!


 悪鬼が黄金色に燃え上がった。

 …灯夜の母の悪鬼が。


 苦しい……! 熱い! 助けて……!!


 叫びと感情が、ダイレクトに灯夜の心臓に突き刺さってくる。


 それでも…、灯夜は力を最大限に研ぎ澄まして黒田の魔力に力を絡めた。


「くっ―――!」


 灯夜の力は、黒田の身体にも伝わり焼け付くような熱に、黒田も歯を食いしばって耐える。 


 一瞬だけ、黒田のあげた苦痛に、灯夜の腕が下がりかけた。


「駄目だ!! 俺にかまうな!! ここで力を弱めたら、又…、おまえの母は何処かへ隠れてしまうんだぞ!」


 黒田が叫ぶ。 


「頑張れ!! このまま封じるんだ!!」 


 ギギ―――!! 


 悪鬼の声ともつかない悲鳴。


 黒田も灼熱に顔を歪めながら、灯夜の背中から抱きしめるような形で、灯夜の腕を持ち上げた。


 身体が密着したことにより、どちらが自分の力なのか、わからなくなるほど魔力が溶け合う。


 灯夜の身体も熱い…。


 だが、黒田も自分の高めた魔力を、さらに灯夜の力にねじこむ。


 ―――ああ、熱いな。おまえの中には、こんなにも熱い魂が隠れているんだな…。


 灯夜の中に、黒田の感情が流れ込んできた…。


 ……おまえだって、凄く熱い。…無理に力を絡めるな。


 ―――無理? 心外だな。俺はいつだって君を感じていたいんだぞ?


 ……ばか。おまえが絡むと、葵の機嫌が悪くなるんだ。


 ―――ふ〜ん。秘書君ね。でも、俺の方が一歩リードしているだろう?


 ……どうだかな。


 灯夜の顔を見ていなくても、彼が笑っているのが気配で伝わる。


 おや? と、黒田の片方の眉が上がった。


 何かを気づかせてしまった…と、灯夜は黒田との感情のシンクロを遮断して、母を見上げた。


 ―――突如、炉の中に溶け出したように悪鬼の形が失う…。


 灯夜は、最後の一瞬まで目を離すまいと力を放ち続ける。


 そうして…、このまま自分も爆ぜてしまうのではと思った瞬間、ぐっ…と、力を握りこんだ。


 ぶわっ…と、空気が揺れる。辺り一帯が海ほたるが煌めくように、さざ波を作って灯夜の手の平に吸い込まれていく。


 急に静寂に包まれた病室に、灯夜の意識はぼんやりと薄れていった。


 手の平の中には、小豆色の小石が熱を持ったまま確かにある。


 …やはり、母の声を聞くことはできなかったな…。

 だが、それでも良かった…。あとは、この小豆色の小石が朝露を浴びて、天に登る事だけ願う…。


 そうしていつか…、輪廻転生リンカネーションできたときは、今度こそ、どうか…幸せになってください…。


 灯夜の願いが聞こえたのか…、手の平の小石が一瞬だけ、光ったような気がした。


 そして…、黒田に支えられたまま灯夜の意識は、完全に途切れた。



 葵も握りこんだ手の平に爪をたてて、黒田と灯夜の捕物を見つめていた。


 あの位置が自分でない事に腹が立つ。嫉妬で狂いそうなくらい黒田が羨ましい。以前の自分は、どうやって彼等を見ていたのか思い出せない。


 黒田の力を認めている。二人が、信頼関係で繋がっている事も。


 ……それでも、彼は譲れない。


 黒田の腕の中で目をつぶる灯夜を、じっと見つめた。


 汗で顔に張り付いた灯夜の髪を空いてやるが、意識が戻る気配はない。黒田のたくましい手は、宝物か、お姫様を抱くように柔らかく持ち上げていた。


「……黒田部長、お疲れ様でした」


 黒田の底なしの体力もそろそろ限界だろう。


「…灯夜様は、私が運びます」


「悪いが嫌だね。秘書君はここの後始末を頼むよ」


「……やせ我慢ですか? キザを気取るのも大変ですね?」


「……」


「もう、いいでしょう。そろそろ彼をお返し願いたい。そしてあなたは怪我の手当にいかれてはどうですか?」

 

 黒田が鋭い目を眇める。木下ならば縮こまるだろうが、葵は平然と睨み返した。


「…それとも、ここで私に服を脱がされたいですか?」


 黒田の光る目が緩み、諦めたように肩を落とした。だが、すぐにニヤリと笑う。


「…熱烈な誘いだが、みんなの前ではお断りするよ。それに、俺は彼一途でね」 


 灯夜の髪に口づけをしてから、思わせぶりに葵に向けウインクした。


「…まあ、さすがに疲れたし彼を頼むよ」


 灯夜の身体を葵に渡した直後、低めた声で言及する。


「…灯夜には言うなよ」


 手の甲が、ところどころ赤く腫れ上がり水ぶくれのようになっている。


 おそらく全身にわたって火傷をしているのだろう。

 灯夜の霊力に力を絡めた代償だ…。


「…いいませんよ。どうぞ完治なさるまで暫くは、九州から離れないで下さい」


 その方が、葵にとっても都合が良く、責任を感じた灯夜が黒田に気遣うのも面白くない。


「……じゃあな。秘書君。…彼の力は、めちゃくちゃ熱かったよ。イきそうなくらいにね」


 強く睨みつけた葵に、黒田は髪をなでつけながら、くっと喉の奥で笑い、しっかりとした足取りで二人の側近と病室を出ていった。


 ……夜が明けていく。


 東の空から、眩しい光が高層ビルを照らしはじめていた。




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