第33話 黒い悪鬼の正体

 灯夜は葵とともに、黒田が担ぎ込まれた病院に来ていた。


 その日のうちに帰ろうとした黒田に、病院が精密検査や、レントゲン検査の結果がでるまではと、なんとか足止めしていたのだが、二日が精一杯だったらしい。


 明日には退院すると聞いたものの、互いの情報を共有しようと灯夜たちが出向いてきたのだ。


「それで? 結論から言うと?」


 黒田の問いに、灯夜は無機質の病室の窓から、太陽が沈んでいくのを何となく眺める。


「……結論から言えば、できる」


「……どうやって?」

 

 真っ赤に染まった西の空を、東から支配するように暗がりが迫っていく。


 まだ燈していたいのだと訴える太陽に、夜の闇はただ黒く空を描く事だけを考えて、微かな灯りも許さない。


 まるで灯夜の存在そのものだ。どんなに光りを灯そうとも、悪鬼は消える事なく生まれ続け、自らの光りが消える瞬間まで、闇は灯夜と隣合わせでいる。


 いつか…、何も考える事などない夜が来るのだろうか…。


 月を見上げて…、ああ…綺麗だ…と。

 星空の下で…、誰かと指を絡めて歩く日が…いつか―――。


「……はかない望みだな」


「…何がだ?」


 小さく呟いた灯夜の声に、黒田が敏感に反応した。


 憂いを帯びた灯夜の頬を手の平でなぞり「ん?」と、暗く沈んだセピア色の瞳を覗き込み先を促す。


 灯夜は、そんな些細な言葉まで拾いあげようとするな…と、出かかった言葉を飲み込み首を振った。


「…いや、なんでもない。…どうやって、死者の魂をコントロールするかだったな…」


 長い足を組んだ灯夜が、椅子の背もたれに寄りかかった。


 ――――死者の魂をコントロールして、悪鬼封じに使う……。


 叔母から話を聞いた時、あえて口にはしなかったが…、出来なくもないと思った。


「……コントロールとはまた違うんだろうが…、正気に戻した悪鬼と…、会話できる事があるんだ…。話しを聞いてやると…、闇が抜けて純粋な霊魂になる。そういう心を許した魂に頼めば、こちらの言う事を聞いてくれるのかもしれない…。実際に何かを頼んだことはないけどな…」


「ふーん。君の魅力は霊魂にまで通用するんだな」


「別に…、そういうんじゃない」


「そうか? 少なくとも俺は、悪鬼からそんなふうに誘われたことはないけどね」


 灯夜にウィンクして、ニヤリと笑う黒田に怪我らしい所はおでこのガーゼくらいだった。


 だいたい、あれほどの事件に巻き込まれながら、二日後には退院する患者はそういないだろう。


 黒田の頑丈さに、つくづく呆れる。


「日頃から、鍛えているからな」 


 病院服が似合わない男は「全ておまえを守るためだ」と、歯を見せて笑う。


「……左馬武の意識は、まだ戻らないよ」


 少しだけ落とした声色に、黒田の心配が見えた。二人は同じ年で、互いに切磋琢磨して藤宮を支えて来たのだと思う。


 別に責任を感じろと、言われているわけではない事くらい、重々承知しているのだが、それでも灯夜は申し訳ないと思ってしまう。


「……ジュリの腕も、折れていたみたいだな」


 一企業のトップで、悪鬼退治の当主を務める灯夜の弱さを理解している黒田は、敢えて明るく振る舞った。


「ジュリ姉さんの腕は、数ヶ月もすれば元通りさ。左馬武だって、薬の影響で目覚めないだけで、あいつの頑丈さは知っているだろ? 大丈夫さ。心配するな」


「……」


「俺も、ジュリ姉さんもおまえを守れた事に満足しているんだぞ。そんな顔をするな」


「あぁ…。感謝してる」  


 事件後の二人の顔をみれば、灯夜だってわかっていた。


「左馬武の事も、信じてやれ。あいつは姫さんや、おまえを守る為に、おちたふりをしたんだ…」 


「…わかってる」

  

「じゃあ、あいつの元気な姿を見たら、今度は抱きしめてやれよ」


 ヒグマなみのでかい左馬武が…、灯夜が抱きしめたら…?


「……たぶん、また気を失うぞ」


「ははは―――」


 狭い病室に、愉快げに笑う黒田の声が響く。


「そうだな…。それでも、抱きしめてやれ」


「……ああ」


 そんな話をしながら、黒田の爆破までの経緯と、叔母から聞いた情報を絡めて行く…。

 

「…あの土地に眠らされていた悪鬼が、呼び起こされた時、確かに一体の黒い悪鬼が統率していたよな」


「あぁ。それは間違いない」


 ふむ…。と、黒田が考えを整理しながら腕を組む。


 灯夜も、合わさったピースにどうしたものかと考えていた。


「じゃあ、その黒い悪鬼が池田達が握っている切り札だな」


「ああ。本部が悪鬼の気配を追っているが、まだ場所の特定には至っていない」


「ふん。まあ、仕方ないだろうね。術師の魔力をあの悪鬼ははじいているんだ。おそらく俺達より上の力を持っている」


「……」


「…池田達は警察が探しているのか?」


「ああ。だがそっちもまだみたいだな。今回の件で、政界の一部で、知らなかったはずの政治家達に、俺達の役目を噂する者が出始めた。近いうちに、総理官邸と皇室に出向いて今後の事を話さなくちゃいけない…」


「そうか…。まあ、皇室とは付き合いが長いし、今の総理はおまえにぞっこんだから、予算は多めに頼んでおけよ」


 ああ…と、灯夜が答えたあとは、互いの考えをまとめる為に押し黙った。


 暫くの沈黙から、最初に口を開いたのは灯夜と黒田のやりとりを、黙って聞いていた葵だった。

 

「…灯夜様ほどの霊力がなくても、死者の魂をコントロールできる方法は…、一つありますよね」


「……」


 灯夜と、黒田の視線が葵に集まる。


「秘書くんの、考えは?」


 たぶん本部も気づいてる。

 黒田も…、灯夜も…。だが決定的な証拠がない。

 迂闊に口にしないのは、会長や灯夜の心情を憶測で傷つけたくないからだ。


 葵は灯夜の後ろ姿を見つめながら、ゆっくり話し出した。


「…黒い悪鬼の行方を追うも、探し出せない…。という事はふだんは眠らされているか、封じられてるのではないでしょうか…?」


「なるほど…」


 黒田が注意深く頷いた。


「じゃあ、なぜその特別な黒い悪鬼は、他の悪鬼を統率できる?」


「もともと、術師だから…」


「――術師か。だが俺達の魔力を弾いたぞ」


「……それは、普通の術師が持つ魔力より、の方が強いから…」


「……では、もともと術師だった者が、なぜ悪鬼なんかに落ちた?」


「……愛した人を、亡くした悲しみ」 


「!! ……なるほどね。……灯夜。きみも、それに気づいたんだな…」


「…………」


 気づいてしまったんだ。

 あの時、あの悪鬼に霊力を放った時、微かにのこる感情が灯夜に流れ込んできていた。


「……あの黒い悪鬼は、母だ」


 ―――夜の闇が、灯夜の思い出まで黒く染めていく気がした。

 身体の体温が徐々に…、徐々に低下していく。


 なぜ、母は悪鬼に成り下がってしまったのだろうか…。

 奴等が、悪鬼の母をどうやって動かしているかは、まだわからない。


 だが、あれが母だと確信できた以上…、なんとしても、封じなくてはいけない―――。 


 あの母を、正気に戻せるか……?


 できなければ、そのまま霊力で燃やし尽くして封じるしかない。


 灯夜は身体の芯から、何かがせり上がって震え出した指先をぎゅっと握り込む。


 思い出に浸った所で過去はかえれない。

 亡くなった両親は戻ってこない…。

 それでも…、もう一度母の声を聞きたいと願うことは罪なのだろうか…?


「―――や。――や!」 


「………?」


「とうや――!!」


 はっと顔をあげた灯夜は、病室の窓が小刻みにガタガタと震えている事に、やっと気づいた。


 指先の震えが、くだらない追憶にふけたからじゃない…と決めつけて、どす黒い靄で覆われた窓ガラスに慎重に近づいてみる。


 ピシ――…と、窓ガラスにヒビが入った。続けて、パリ…、パリ…と鈍い音がしたあと、窓は勢いよく弾け飛んだ――。


 

 



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