第34話 闇夜に広げた翼
バァ――ン!!!!
灯夜の目の前で、窓ガラスが弾け飛ぶ!
ガラスから身を守ろうと、瞬時に後ろを向いた灯夜の身体に、二体の悪鬼が絡みついた。
……ふわっと宙に浮いた不安定な体勢から、手の平に集中して霊力を放つ。
ボッ…と、青白い炎は悪鬼を包むと黄金色に燃え上がった。
正気に戻されることなく、小豆色の石に封じた悪鬼を思いやってやれる余裕はない。
バリン!! バリ…バリ…。
蛍光灯が割られた病室は、次から次へと襲ってくる悪鬼の群れで、悪臭が充満していた。
異変に気付いた黒田の側近二人が病室に飛び込むも、黒い塊となって襲ってくる悪鬼の群れに、思うように進めない。
ほんの一瞬…、灯夜が病室全体にいる悪鬼を鎮めようと自分の霊力に集中した…。
「!!」
その瞬間を待っていたかのように、灯夜の喉に、外の暗がりから伸びた悪鬼の腕が絡みつく。
氷のような冷たい腕…。憎しみと悲しみを含んだ…灯夜にとってはよく知る感情が流れ込んできた。
――母か?!
「く…うっ」
熱を奪って凍らすほどの冷たい腕が喉を締め付け、酸素が身体に入ってこない…。
母だと思われる悪鬼は、驚くほど強い力で灯夜の身体をズルズルと窓際に引っ張っていく。
窓枠に足がかかった。とっさに触れたガラスは鋭利な刃物となって灯夜の柔らかな皮膚を切る。
「――!!」
このまま、突き落とそうと言うのか!!
下から吹き上げた冷たい風に、つま先まで凍りついた。
手や足からは血が滲んでいる。
――母が? ……俺を殺したいのか?
正気でない事はわかっている。操られている事も。
それでも、絶望…と呼ぶには足りない喪失感に打ちのめされた。
幼い頃、両親が死んだと聞かされた時の自分はここまでの絶望を知らなかったのだろう。
失意のうちに…、暗く沈んだ身体が冷たい腕を受け入れようとしたその時―――。
「灯夜!! 前だけを見ろ! 後ろを振り返るな!! おまえは一人じゃないだろっ!」
黒田の罵声が、灯夜の落ちかけていた精神を浮上させた。
同時に、ぐいっ…と、灯夜の腕を葵が引く。
「…しゃくですが、彼と同意見です」
右手はバチを握ったまま悪鬼を弾き、左手は強い力で灯夜の腕を離さない。
灯夜は集中していた霊力を解放した。病室が眩いまでに光り輝くと、全ての悪鬼が灯夜の霊力に捕まり燃やし尽くされていく…。
ギィ―――!
一体だけ残った悪鬼が、灯夜の体力の低下を逃すまいと、首に巻き付けた腕に力を入れた。
灯夜の身体が窓枠をこえる。
一瞬だけ…、急降下した灯夜の身体は、バン!と、強い衝撃で壁に打ち付けられた。
もぎ取られるような肩の激痛は、右手を黒田、左手を葵の手によって九階の窓枠からぶら下がっているせい。
「……っ。今、引き上げてやるからっ」
黒田の腕の筋肉が浮き上がり、ぐっ…と灯夜の腕を引き上げていく。
息を合わせるように、葵も足を踏ん張って持ち上げた。
「ちっ!!」
が、何かに気づいた黒田が、鋭い舌打ちをして注意を促す。
「また、来るぞ!!」
東の方角から再び黒い闇が、近づいていた。
その速さは、鳥やコウモリでない事はあきらか。闇の塊となった悪鬼は、すぐに目の前に迫ってくる!
黒田と葵の身体は、あっという間に悪鬼の群れに絡みつかれた。
騒ぎに気づき出した病院側が、放送を使って入院患者に安全を呼びかける。
『カーテンを閉め、窓に近づかないでください! 天候が荒れています! 病院内に雷が落ちました! 絶対に窓に近づかないでください!!』
事情を知った藤宮の警備と、黒田の側近が死物狂いで悪鬼を封じていくが、一体封じるのにそれなりの力が必要なため、苦戦を強いられていた。
それに、どこからともなく集まってきた悪鬼が次から次へと湧いて、減る事はない……。
戦力の黒田が、灯夜に構っていてはまずい。
頼みの灯夜も、こんな状態では力が思うように発揮できない。ただの足手まといだ。
灯夜はめいいっぱいに手を伸ばした。窓枠を掴むと足を踏ん張る。
「つ―――!」
ガラスの破片が突き刺さり激痛が走るが、それに耐えながら、なんとかよじ登ろうと力をいれた。
ガラスが突き刺さった手の平から、つーと筋を引く赤い血。
…腕を伝って、肩まで垂れていく。
ギ―――――!!
血と臭いに刺激されたのか、悪鬼達が狂ったようにぶつかってきた。
自分の身体を支えて窓枠にぶら下がった灯夜が「いけっ!」と怒鳴る。
頷いて手を離した黒田が、両手から魔力を飛ばし悪鬼を封じていく。
葵は、窓ガラスに手のひらと腕を食い込ませて血を流している灯夜を放っておけない。
灯夜の背中から引き上げようと、身体を乗り出し腕を伸ばす…。
だが、灯夜の喉に絡みついていた悪鬼の目が鈍い光りで葵を見上げる。嘲笑うように黒い帯を伸ばし、葵の身体に巻き付くと強く引いた――!
葵の足が浮き上がる…。次の瞬間には窓の外にいて、身体は落下していた。
「!!」
が、今度は、灯夜の手が葵の腕を掴んだ!
病室二階ぶん落下した葵を、灯夜が辛うじて七階の窓枠に引っかけた右手で支える。
「――っ。灯夜様!!」
灯夜の血が…、葵の腕まで伝って袖口を赤く染めた。
黒い悪鬼は灯夜の熾火に捕まって、空中で大蛇のようにもがいている。
「くっ。だいじょうぶ…だっ」
灯夜の顔が苦痛に歪む。
――――無理だ!!
葵は、荒れ狂う感情を隠して灯夜を見上げた。
「……灯夜様。この高さから飛べますか?」
「……っ」
ポタリ…、ポタリ…と灯夜の流した血が伝って落ちていく。
「…あなた一人なら、飛べますね?」
驚愕な顔で見下ろすその顔は、葵が何を言いたいのか理解したのだろう。
乱流のビル風……。
羽を広げさせては、かなりの負担が翼にかかってしまう。
……それでも、気流に逆らわなければ、地上に降りられるのではないか…。
「…私は、あなたの事を…、
バサ―――!!
葵が言い終わらないうちに、暗闇に月光色の翼が広がった。
葵の身体が、重力を無視して宙に浮く。
しかし、束の間の空中遊泳も直ぐに苦痛をあげた灯夜の声と共に不安定に揺らいだ。
「!! 何をしてるんですかっ!!」
灯夜の背に月光色の翼が広がっていた。だが二人分の体重を支え切れず、灯夜の右手は七階の窓枠を震えながら握っている。
ぶわっと、風が灯夜の羽を押し上げて、なんとか葵の体重を支えているものの、翼がきしんで、闇夜に花びらが舞い散るように、白銀の羽が花吹雪となり飛んでいた。
「やめて下さい! 翼をしまうかっ、私を離して下さい!!」
「いっ…やだ!!」
「何を言ってる?! このままじゃ翼が!!」
怒鳴る葵のすぐ側で、バキ!!と、予測していた鈍い音がした。
灯夜の片方の翼が、ビル風に煽られ反対側に折れ曲がる。
目を見開いた灯夜の顔が、ひときわ高い激痛の声をあげた。
「うっ―――ああ!!」
両手から流れた赤い血が、闇夜に映えた月光色の翼に紅をひいていく。
ぶるぶると震えだした身体で、それでも、灯夜は首を振った。
「く―――っ」
離せるわけがない!
肩が外れても、翼がへし折れても!
両親を亡くしたあと、藤宮の名を冠した自分が、責務をまっとうできたのは葵がいつもいたからだ。
葵だけじゃない。多くの仲間に助けられて、今の自分がいる。
だから……。
「灯夜様!! 葵――!!」
灯夜の意識が薄れていく寸前、七階の窓が勢いよく開いた。
逞しい腕が灯夜の腕をつかみ、ぐいっと引き上げる。
七階の病室に引き上げられた灯夜と葵は、はあはあ…と、肩で息を繰り返した。
切れ切れの息を吐く灯夜の身体を、ヒグマのようにでかい男がやすやすと、ベッドに運ぶ。
「……ようやく、お目覚めか?」
膝をついて、荒い息を吐く葵の嫌味に、左馬武が厳つい顔を少しだけ崩して笑った。
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