第31話 葵の欲情

「……あいにく、私は眠れそうにないです」


 ピクリ…と、緊張させた灯夜の身体に、葵はゆっくりと体重をのせた。


「……ワインなら、もう一杯付き合うが?」


 訝しげに細められた灯夜の瞳が、挑むように葵を見返す。


 ―――何をするつもりだ?


 ソファーの背もたれに縫い付けられた身体は、本気で抵抗すればやすやす抜け出せそうなのに、なぜだか身体が動かない。


 いつも以上に真剣な眼差しで見下ろす葵の瞳が、熱い光りを宿している。

 黒く艶めいた瞳の中に、隠しきれない怒りが含んでいた。


「……あなたは、黒田支部長に何を差し出すつもりですか?」


「っ。……あれは!」


 思わずいい訳をしようとして、…だが、なぜ、わざわざこんな事までして言わなくてはならないのかと、唇を噛む。


 ――留意しておけ…とでも言いたいのか?

 ――当主らしくない態度だったと?


 ……灯夜は、生まれた時から定められた責務を果たしているだけで、藤宮の当主の座を欲しいと思ったことなど一度もない。

 それを、いつも一緒にいる葵は知っていると思っていた。


 だが、そうじゃなかったのか…?


 力が抜けるような喪失感に襲われた灯夜はなげやりに吐き捨てた。

 

「……義隆とのやり取りなら、…叱咤激励みたいなもんだっ」


 めんどうだ…と、言いたそうな灯夜の態度に、葵の目つきが更にきつくなる。


「…欲しけりゃ、奪え…が、叱咤激励ですか?」


「――っ。あの…時はっ、他に思いつかなかったんだから、仕方ないだろ…」


 押さえつけられた手に爪が食い込み、灯夜の顔が苦痛に歪んだ。


 今日一日の色々な怒りが、ふつふつと募って葵の頭を熱くしていく。

 

「……あなたは、私をおいて爆弾が積まれた車に乗り込もうとした」


「――見張りがいた。…仕方ないだろう?」


「……警備室では何度も、彼の名前を叫んでいましたよね…?」


「――――それも、仕方ないだろ…っ」


 諦めた灯夜が、葵の気が済むまではと、食い込む手の痛みをぐっと堪えているのに、そんな灯夜を、葵は淡々と追い込んでいく。


「……唇を噛み切る程、彼が心配でしたか?」


「…………あおい?」


「あげく、木下の息子に甘い顔を見せ、ヤツを虜にした…。色仕掛けはあなたのお得意の分野ですかね?」


「――っ! おまえっ。いったい、さっきから何が言いたいんだ?!」


 さすがに、腹が立ち灯夜が声を荒らげた。


「……木下を側におきたいですか?」


「―――は? いや…」


 灯夜は、本当に訳がわからないというように眉を寄せる。

 細めたセピア色の瞳が、部屋の灯りを反射して、不安と戸惑いで揺らいでいた。


 葵は、腕の中で自分だけを見つめる灯夜に、少しづつ怒りを溶かしはじめていた。


「黒田支部長はどうです…?」


「義隆は…、あくまで信頼している仕事仲間だっ」


 拗ねてそっぽを向ける灯夜の顎をとり、もう一度自分の方へ顔を向かせる。


「……では、私もあなたに信頼されていますか?」


「―――! あたりまえだろ!! いったい…、何なんだよ!!」


 灯夜が本来の気の短さで葵の手を払おうとした。


「……私も、あなたが欲しければ、奪ってもいいのですか?」


「!!」


 言葉に出してしまえば、身体はかってに動き出した…。


 セピア色の瞳が大きく見開かれたが、灯夜の動揺をみたくなく、頭の後ろに手を差し入れ強引に引き寄せて唇を重ねる。


 反射的に抵抗しようとした灯夜は、葵の腕を強く掴んだ。

 だが…、すぐにするりと腕をたらし、ソファーに身体を預けて、瞳の揺れを隠すよう目を閉じる。


「……なぜ、抵抗しないんです?」


 葵は重ねた唇を少し離し、息が触れる距離で灯夜の頬を撫でる。


 ねっとりと睨み返す灯夜は、壮絶な色香だった。


 エスカレートしていく自分の行動に、何とかブレーキをかけているのに、朱に染まった目尻を下げる灯夜は、上気した頬に微かな笑みを浮かべていた…。


 ゾクリ……と、身体に強烈な欲情が走る。


「――っ。とう…や様?」


 だが、このまま甘くほどけていきそうな灯夜の微笑に、溺れていく自覚を感じていた葵が、灯夜の発した言葉で危険な色に変化した。


「……今日は、普通の一日じゃなかったからな」


 ――すう…と、葵の頭に支配欲が生まれる。この鈍感で、色気をだだ漏れさせた美しい生き物を、めちゃくちゃにしてやりたいという欲に溺れ引っ張られていく。


「……なるほど。私が、あなたにこんな事をするのは、興奮した身体を冷ますためだと言いたいのですね…?」


「……別に恥ずべき事じゃない。おまえも人間なんだし。わかるから……」


「……へえ。それは、あなたも経験済みだからだと?」


 ―――この瞬間…、葵が必死にかけていたブレーキが…外れた。


 …何を、分かっていると?

 …どこまで、勘違いすればいい?

 ―――わかっていないのは、あなたでしょう?!


 葵は浮かせていた胸を合わせると、再び灯夜の唇を塞いだ。


「―――んっ」


 強引に歯列をわり、戸惑い逃げる舌を追いかけ、絡め取るときつく吸い上げる。


「――ちょ…っ。まて…っ!」


 さすがに抵抗を始めた身体をやすやすおさえ込み、ソファーと自分の身体で自由を奪う。

 頭に差し入れた手に力を入れ、どこも隙間などないくらいきつく灯夜の唇を味わった。


 あまりの強引なキスに、灯夜の息がすぐにあがる。

 それに…、どこで息をすれば良いかわからない。激しいキスは葵の欲情をぶつけられているとわかるが、あまりの激しさに頭が真っ白になって何も考えれなくなってくる。


 まずいと思うも、僅かに兆し始めた下肢を隠すこともできず、ただでさえ敏感になっていた感覚が、熱を拾い始めて贖うこともできない。


「っ!―――葵!!」


 葵の意志を持った左手が、内腿をゆっくりと撫でた…。

 慌てて脚を閉じようと抗うが、葵の身体が邪魔で閉じることもできない。

 

 正面にある葵の顔は、まっすぐ灯夜を射抜いていた…。欲情を隠すこともせず、自らも熱く脈打つ下肢を、灯夜の内腿に押しあてる。


「――――っ!」 


 灯夜の腰がヒクリと跳ねた。


 身体は強制的に追い詰められ、葵の手を払おうとすれば、逆に取られ、否応なしに望む高みに引っ張られていく。


 葵は躊躇ためらいなく、灯夜の硬く熱を持った下肢を握った。

 「よせ……」と、吐き出す息で訴える灯夜に煽られ、無理やり高みへと導いていく。


「あっ。――あおい…っ。それ以上は……」 


 …指の腹でなぞる葵の手を、灯夜は力が入らない手でおさえた。 

 

 目尻を染めて「やめろ」と切れ切れに訴える。

 支配欲を満たされた葵は、意地の悪い笑みを返した。


「…この状態で、やめて良いのですか?」


「――っ。ば…か! おまえのっ――」


 言葉を続けようとした灯夜は、早くなったリズムに耐えきれないように首を振る。


「……もうっ。よせっ。おまえの、手…が汚れる…だろっ」

 

 ふっ…と、気配で葵が笑ったのがわかった。


「…どうぞ、お気になさいませんよう」


 耳もとに葵の睦言が注ぎ込まれる。


 …こんなことをしている場合じゃない。考えることも、やらなくてはいけないことも、山ほどあるのに、何かが…うるさくて、考えがまとまらない。


 ……うるさい。……うるさい。


「――ああ。最高に、色っぽい声ですね…。でも…、私以外に聞かせたくない…」


 葵の激しいキスが、柔らかな口づけとかわる…。頬や目にキスし…、耳や首筋に所有権を刻んでいく。


 閉じていた目をあけた灯夜は、霞む視界の先に、珍しく余裕をなくした葵の顔を見た。


「――っ。あ……」


 うるさかったのは…、俺の声か…?

 

「あ…おい…っ」


 …もう、怒ってないんだな?

 ―――……良かった。


 ―――真っ白になった灯夜の思考は、全てを手放す。

 無理やり高みに導かれた身体は、限界を超えて爆ぜた。

 


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