第27話 黒田の本気と木下の地図

「義隆!! なんでっ、もっと早く連絡をよこさない?!」


 死ぬほど心配させた怒りと安堵で、灯夜は形の良い眉を吊り上げた。

 

『―――仕方ないだろう』


 そんな灯夜に、黒田はフッ…と笑って肩を揺らし、おどけた仕草を見せると、濡れた上着を、警備の者達の手をかりながら脱ぐ。肌に貼りついたシャツが黒田の浮き上がった筋肉をすかして、画面越しでも妙にセクシーだ。


 灯夜より十二も上のはずだが、計算されて鍛えられた筋肉は、長身の黒田に程よくつきダンディな大人の色気を醸し出している。


『―――でかい左馬武を担ぐ時、車の中にスマホを落としたんだな。見当たらなくて、すぐ連絡できなかったんだ。ジュリねーさんのスマホも、車と一緒に吹っ飛んでしまったし…。心配させたな…。悪かった……』


「……弁解は、あとで聞く」


 いやに満足顔の黒田に、灯夜はそっけなく突っ張った。


『―――ああ。そうだな』


 拗ねた灯夜を、乱れた髪を撫でつけた黒田が、ニヤリ…と笑った。


『―――灯夜…。…覚悟しておけよ』


 汚れた顔に意地の悪い笑みを浮かべたまま目を眇めてくる。


 何を…と、聞くほど灯夜もうぶではない。この男が、こういう顔をしている時、何を欲っしているかくらい、わかってしまう。


『―――灯夜。欲しけりゃ、奪え…だったよな?』


「……っ!!」


 言ったか? 言ったな……。


 おでこから流れていた血は、ガーゼで応急処置をされ、拍子抜けするほど、すっかりいつもの調子の男に、灯夜は怒りの矛先を見失った。


『―――次はベッドの中で、俺の名前を連呼して欲しいもんだ』


「――……」


 確かに…、何度も義隆の名前を叫んだ自覚がある。おかげで喉がカラカラに乾いていて、少しでもうるおえばと唾を飲み込むも、血の味しかしなくて舌で唇をなぞった。


 だが、そもそも爆弾を積んだ車に乗るのは灯夜だったはずだ。代わりに乗り込んだ黒田が爆破にまきこまれ、もし…死んでいたら…? 

 責任を感じるな…と言う方が無理だろう。


 正直…、爆破現場を目の前で見ていたら、正気を保てていたかわからない。


 今だって、両足に力を入れて立っていないと、膝から崩れてしまいそうなほど、心配したのに、何もかわらない黒田の口説き文句が悩ましい……。


 目尻を染めて画面を睨む灯夜に、黒田はよく光る目を凄めて、甘く囁く。

 甘く…、低く…、くすぶった欲をおしつけるように……。


『―――とうや……』


「………っ!」 


 黒田の本気度を、見せつけられる――。


 いつだってそうだ!

 誰が聞いていようと、誰が見ていようと、この男には関係ない。

 どこで会っても、挨拶がわりに耳元を無遠慮に触り、ゴツい指は的確な意思を持って訴えてくる。


 灯夜が黒田の感触を思い出して、身震いすると、後ろから腕を回して支えていた葵が、グイと強く引き寄せ身体を密着させた。


 葵の温もりのおかげで、黒田の絡みつく秋波から逃れた灯夜は、現実に戻って息を吐く。


 今はもう、藤宮グループだけの問題事ではすまなくなっている当主交代の裏に動く卑劣な悪事。

 警察や、政界も動き出し、なりふり構わなくなってきた池田の犯罪行為を、とにかく早く止めなければならない。


 黒田も灯夜の言いたい事を理解してか、熱を持った視線を遠くに向けた。


『―――なあ、灯夜。祭りでもないのに、隅田川に花火があがってしまったなぁ』


「……救急車が向かっているだろ? とりあえず三人とも病院に向え。あとは本部の奴等に任せろ…」


『―――了解。……ところで、今回の情報をよこしてくれた木下は、そこにいるのか?』


「…ああ」


 スタッフ達がいる皆の前で、木下の名前を出すのは、彼を許して、仲間として受け入れてやってくれ…という、黒田の思惑があってのことだろう。

 こんなところは、聡明な頭の良い黒田らしい。


「黒田さん……」


 灯夜に促され、画面の前に来た木下が項垂れた。


『―――木下、おまえさんの一報のおかげで、だれも死なせずにすんだ。連絡をくれてありがとな…』


「…いえ。僕は加担した側の人間ですので」


 その通りだ…と、警備スタッフ達に、再び嫌悪な雰囲気が纏い出す。

 しかし、重くなった空気を気にもせず、親が子供をあやすよう、黒田が穏やかに木下に問う。


『―――うちの当主灯夜とは、話が出来たかい?』


「はい。少し……」


『―――それで? 感想は?』


「……黒田さん。僕は…、宝の地図を、手に入れました」


 灯夜が怪訝な顔で木下を見る。しかし、黒田には何の事かわかったのか…、歯を見せて笑いながら頷いた。


『―――ふーん。そうか…。良かったな。その地図通りに、進めそうかい?』


「…はい」


『―――じゃあ、何があってもそいつを無くすな』

 

「……はいっ」


 画面上に映った救急隊が、黒田をタンカに乗せた。横に映ったジュリが、清々しい笑顔でペコリと頭を下げて消える。ダラリと下げたその腕が、折れていないか心配だった。


 木下は、この悪鬼封じの世界で生きて行くと決めても、今まで明確な目標を持てないでいた。


 でも僕は…、今回の件で、進む道を手にできた。冒険なんていう生易しいものではないかもしれない。それでも、危険は藤宮に関わりしものの宿命であり、藤宮灯夜という宝を、世に知らしめる為の醍醐味。


 もっと小柄かと思っていた灯夜は、自分より背丈があり、スラリとした均整がとれたしなやかな身体で、驚くほど俊敏。


 そして、一流企業のトップに立つ男のカリスマ性と、比類なき美貌の下に、短気と情に熱い人間臭さを隠し持っていた。


 歴代最高の霊力の使い手でありながら、偉ぶる事なく、社長業と悪鬼封じに真摯に向き合い、仲間と一緒に走り続けている。


 すっ…と、灯夜が複雑な顔をしながら自分のハンカチを渡してきた。なぜかと不思議に思い、顔を傾け、ほんの少しだけ上にある彼のセピア色の瞳を覗き込む。すると、頬を伝った温かい感触に、いつの間にか流れていた涙にようやく気づいた。


 ああ…。僕は…、この命を、この人の為に使おう。黒田さんや、左馬武さんのように。

 …いつかこの人の横に立てるように!


 そしていつか…、あの立ち位置葵の立つ位置に立てるように!!


 木下の決意が口から漏れていないはずなのに、誰かが「無謀だぞ…」と呟く。そこに嫌味を含んでいないとわかるくらい、警備スタッフ達の尖っていた敵意が緩んでいた。


 警備室が、やっと黒田達の無事に、歓喜を味わっていた頃、葵だけ一人、大きな溜息をついていた。 


 また、厄介な芽が生まれたな…。


 吐き出した溜息を寝不足のせいにして、そういえば…この人も、今朝方まで高熱にうなされていたのだったと、灯夜の血管が透き通った首筋に触れてみた。


 ピク…と、肩を奮わせた灯夜に、唇だけ動かし「熱は…?」と聞いてみるが、心配されるのが嫌なのか、冷ややかに手を払われる。


 ……そんな顔されても、男の欲情を煽るだけでしかないんですがね…。


「………現場へ、行かれますか?」


 灯夜の事だから、すぐに向かいたいのだろうと尋ねた葵に、灯夜は首を振った。


「いや、まだこっちでやる事がある」


 少し考え、いつものように唇に指を当てた。その指に血がついている。


「……新野親子はどこにいる?」 


「……十二階の、で待機してもらっています」


「わかった。…まずはそこに行こう。…葵?」


 顔をあげた灯夜の顔を、葵がじっと見下ろしていた。


「―――あおい?」


 どうした? 葵が何を気にしているかわからない。


 だが、わかっていないのは灯夜だけ。

 警備室にいる全ての目が見ているのは、赤く色をつけた灯夜の唇。

 赤く熟れた果実のような唇は、強烈な色香で、どんな大女優も裸足で逃げ出すほど。


 葵は黙ったまま、胸ポケットから自分のハンカチを出すと、灯夜の右手をゆっくりと取った。


 何をするつもりなのかと、されるがままになっていた灯夜の指先を擦って、ついた赤い血を見せる。


「……あっ」


「…その顔で、ここから出て行くおつもりですか?」


「……っ」


 葵が唇をハンカチでおさえるのを、仕方なく、見苦しくないようになるまで拭き取らせた灯夜は、警備スタッフ達に注目されている事に気づき、照れくささを隠すよう、彼等に今後の指示を出した。


「本部との連絡は、ここで頼む。警察が来たら通してくれ……」


 心なしか、警備の者達の顔が赤い。


「――――?」

 

「―――はい」


 返事をしたスタッフは、視線を無理やり剥がすように、キーボードを叩き出す。


 ……なんだ?


 葵の方を見れば、灯夜の血がついたハンカチを胸ポケットに戻していた。


 ……子供っぽい事をやらせたか?

 ……今更のような気もするが?


 考えた所で、葵が過剰に世話をやくのはいつもの事なので、すっぱりと考えるのを諦める。


 とにかく、今は新野親子に話を聞かなければならない。


 ……もともとの約束時間より、早く来た二人。二人が、到着していなければ、灯夜はラウンジに行っていない。


 ……叔母か? まさかな…。叔母は、両親を亡くした灯夜を、随分かわいがってくれた。


 じゃあ…、なぜ、木下はあの時間に灯夜がラウンジに来る事を知っていたんだ?


「木下…。君も一緒に来い…」


「はいっ」


 灯夜の呼びかけに、喜々として後ろについて来る木下は、主人の帰りを待ちわびていた飼い犬が、ハッ、ハッ、と舌を出し、尻尾をフリフリと振って玄関で出迎えている姿と重なる。


 こんな男を警察に付き出す気にならないのは、灯夜の甘いところかもしれない。


「…犬を飼ったら、こんな気分か?」


「―――は?」


 警備室から出る灯夜に、葵は怪訝な顔で後ろに続いた。


 

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