第26話 羅針盤は灯夜を指す

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 ホテルの警備室に飛び込んだ灯夜は、たくさんのカメラの画像と、爆破までのカウントダウンをとるデスクトップの前に飛びついた。


「く…っ。―――義隆よしたか! あと三分をきった!!」 


『―――ちっ!!』


 スマホのスピーカーから黒田の鋭い舌打ちが聞こえてくる。


 灯夜に続いて、葵と木下も警備室になだれ込んだ。


 だが、警備スタッフに腕をねじ上げられた木下は、警備室から連れ出されそうになる。両足を踏ん張り、踏みとどまろうと警備室の扉に両手を突っ張ってあらがうと、これだけは伝えておかなければと、灯夜の背中に叫んだ。


「社長っ! 左馬武さんは睡眠作用の強い薬を飲まされています!」


 …………振り返った灯夜が、スタッフに頷き手をふった。不服そうなスタッフ達が、拘束していた腕を緩める。


「彼は優秀ですっ。戦闘能力を奪うため、かなり強い薬を飲まされましたっ。おそらく、自分の力じゃ歩けません!」


 そうなると…、完全に弛緩した左馬武の身体を黒田が抱えて、車から降りなければならない。車が止まっていれば、それほど大変ではないだろうが、そんな余裕があるのか?!


 灯夜の側にいる事を許された木下に、警備の者達は、一様に警戒を許さない雰囲気だ。


「……逃げるなよ」


 吐き捨てるような葵の声も、怒気を含んでいる。


 もとより、木下に逃げるつもりなど、これっぽっちもない。


「社長っ。僕を池田の所へ行かせて下さいっ。刺し違えてでも、ヤツの悪事を…」


「木下!!」


 驚くほどの大声が、警備室に響いた。灯夜のセピア色の瞳が鋭く光り、その目が「あとにしろ!」と、木下を射抜く。


 ビクリ…と、身体に電流が走った。


 ――――魅入られる。場違いな勘違いだと、わかっているのに、彼の圧倒的な存在感と、比類なき美貌から目が離せない。


 ああ…、これだな……。上に立つ力がある優秀な人達が、この人につく理由。


 藤宮灯夜という人間は、金塊を積んだまま海の底に沈んだ海賊船と同じだ。

 どんな荒波がこようとも、どれだけ空が荒れ狂っていても…、そこに藤宮灯夜という金塊が眠っているかぎり、危険を冒す価値がある。

 唯一無二の輝く金塊…。藤宮の若き当主。


 木下の羅針盤が、藤宮灯夜を指した。だが、灯夜は、それに気づきもしない。


 警備スタッフの一人が、灯夜のスマホを受け取り、パソコンとつないでキーボードを叩いて操作していた。たいして時間を待たずに、警備カメラの一つがジュリの姿を映しだす。


 ジュリは、右側を気にしているのか、しきりに首を傾け、伸び上がるように覗いた。


『ミスター!! 川があります!』


「!! そうかっ。 隅田川だ!」


 ホテルから南に向かえば、隅田川の川沿いにでる!


「ジュリ! 義隆が鎖をきったら、川へ突っ込め!!」


『ラジャー!!』


 ガクンと、画面が大きく揺れた。車が河川敷に入ったのだろうか。

 いや、遊歩道かもしれない。


 なんとか信号や、コンビニの防犯カメラをハッキングして、レクサスを追っていたカメラも、車の画像を映さなくなる。


「っ…。義隆! まだか!」


『――まて! 爆弾の線にふれると爆破する! もう…少しだっ!!』


 ……不思議な感じがした。分割されたスクリーン画面に、ほとんどは変らないいつものホテルの日常の様子がうつっている。その中にジュリと…、黒田達が乗るレクサスを探して、せわしなく変わる画像が二つ。


 カウントだけが、無情にも数を減らし続けていた…。


「義隆!! もうっ、時間がない!!」


 無力感が灯夜の焦りを煽り立てる。怒ったところで何も変らない。ここにいては、何もできない! カウントダウンは意味を持たない! それでも言わずにはいられない! 焼け付くような乾きに唇を噛んだ。


「―――義隆!!」


『――――くそっ!』


 このままでは、三人の命が…。今なら、ジュリだけでも助けられる。


「――ジュリ! 十秒前になったら、おまえは車から飛び降りてくれっ」


『……!』


 目の前に映されたジュリの顔が困惑に揺れる。だが、三人一緒に爆弾に巻き込まれる必要はない。


 タイマーがゼロになる前に、義隆が左馬武から爆弾を引き剥がせなければ、最悪、義隆も車から降ろす!


 すまない!! 


 左馬武のいかつい顔と、桜の姿がチラつく。一生、この重みを抱えて生きていくから! 俺を恨んでくれていいから!!


 血の味が、口の中にひろがるが、痛みなど感じない。震えそうになる身体を、今は必死に抑えて血が混じった唾を飲み込む。


 ……カウントが残り十秒をきる前、灯夜は画像から目を離した。


「―――ジュリ。車から……」


『――よしっ。切れた!!』


 灯夜の声を打ち消すように黒田が叫ぶ!


 弾かれたように顔を上げた灯夜も叫んだ!!


「――ジュリ! 川へ突っ込め!!」


 グワッ… 車が大きく揺れて画面からジュリが消える。


『左馬武っ。俺の腕に掴まれ! 頑…張れっ。このままじゃ死ぬぞっ』


『く……っ!!』


 黒田の余裕のない罵声――――。


「義隆!!」


 画面が青い空をうつした。


「―――義隆!! 左馬武!」


 00 02 00 01 00 00 ………


 ―――――!!


 フッ…と、繋いでいた画面が切れた。


 ……静まり返る警備室。


 時間にしたら数秒間だろう。しかし、静寂せいじゃくに耐えきれない…。


 無事、車から脱出していれば黒田から連絡が入るはずだ。開口一番、あのキザな男は、どんなセリフを吐くのだろう。

 

 …どうせニヤつきながら「おまえの指示なら、なんだってやってやる…」とか言うんだろ?


 だが、これは俺のためか…? 本当は俺が乗るはずの車を、ジュリとおまえが、目の前でかっさらって行ったのだろう……。


 俺は、指示していない!

 命令してないっ! 

 死んでいいなんて、言ってないっ!!


「――――義隆!!」


 肩を震わせて黒田の名を叫ぶ灯夜。今にも倒れてしまうのではないかと、スタッフが椅子を勧めるも、頑として座らない。それは、黒田や左馬武達の苦労を、少しでも共有したい灯夜のわがまま…。


 灯夜の側にいた木下は、何を言っていいかわからない。

 唇をきつく噛み、滲んた血をぬぐいもせず、両手を真っ白になるまで握りしめて、黒田の声を待つ灯夜。

 痛々しくて、せめて身体の力だけでも抜けないかと、彼の尖った肩に触れようとした。


 パシッ!!


 木下の手が灯夜の肩に触れる手前で、葵が強くはたいた。

 木下に一瞥いちべつし、これ見よがしに灯夜の後ろから腕を回し、柔らかく彼を支える。


「……黒田支部長の携帯は出るか?」


 葵の平坦な低い声。冷静と言えば聞こえは良いが、感情の揺れが見えず、そこに、黒田達を心配している様子はまったく感じない。


「黒田支部長の電話は…、繋がりません」 


「間もなく、追跡車が現場につきます」


「本部の、警備班も向かっているようです」


 警備スタッフも、変わらず黙々と作業を続けていた。

 

「……救急車の手配、警察への連絡は?」

 

「救急車、向かってます」


「警察へは本部から連絡済みです」


 打てば響くような葵とスタッフ達のやりとり…。

 灯夜は、女のようにしなだれるわけではないが、それでも腰に回された葵の腕を許している。


 くやしい…。


 木下にふつふつと、嫉妬に似たものが生まれてきた。

 葵と警備スタッフ達のやり取りは、共に灯夜を支え、戦ってきた信頼関係が出来ている。

 そして灯夜も、葵の言うことに口を出さない。それは灯夜の指示を葵が代弁しているから…。


 ―――僕も、いつか…、この人からこんな信頼を得る事ができるだろうか…。

 

『センター(警備室)、聞こえますか? 現場につきました』


 レクサスを追いかけていたスタッフから、通信が繋がる。


「……報告してくれ」 


 乾いた唇を動かした灯夜は、傷付いた箇所が痛むだろうに、口角を上げて笑っていた。


 ゾクリ…とするその微笑は、美貌に凄みがくわわっている。


「灯夜様…?」


 優しく呼ぶ葵の声は、先程までの冷え切った声を発していた同一人物とは思えない。


「フッ…。俺は薄情な人間だな」


「薄情…ですか?」


「こんな時、泣き崩れれば美談になるだろうにな…」


「……随分センチメンタルな事をおっしゃいますね。御自分の声が、思っていたよりしっかりしているから、薄情な人間だと言いたいのですか? あなたの事を、そんな風に言う人間がここにいると、おおもいですか?」


 灯夜の腰に回した葵の腕に、力が入る。


『―――うちの当主を、薄情なんて言うヤツは、たとえ本人でも許さんぞっ』


「――――!!」


 目の前のカメラの一つに、髪を乱し、汚れてシワまみれなスーツを着込んだキザな男が映った。おでこから血を流しているが、穏やかに笑っている…。


『灯夜…。生きてるぞ。左馬武も、ジュリも無事だ』


「――――義隆っ」

  


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