第25話 爆破まで残り三分
「そっちじゃない!」
灯夜は、エレベーターに乗ろうとした木下の襟首をひっぱり、STAFF Onlyの扉のドアノブを回した。
踊り場の奥にある階段を駆け下りれば、エレベーターを待つより時間を短縮できる。
――ダダダダダダ…。
二人の階段を駆ける音。時折、数段とばした大きな音が階段ホールに響き渡る。
木下は、灯夜の背中を追いながら、正直驚いていた。
彼は藤宮グループの社長。こんなことがなければ、一生話すこともなかったかもしれない雲の上の存在。
それなのに、先に階段を降りきり、なんの躊躇いもなく地下駐車場の扉を開ける。
爆弾が爆破するかもしれないのに…、怖くないのか?
見張りが待ち伏せしているかもしれないとは思わないのか?
実は、木下は術師の父を持ちながら、悪鬼を封じる魔力がない。それゆえ、藤宮家とは今までほとんど接点がなく、実際に灯夜と会話するのも今日が初めてだった。
「さすがは藤宮の社長ですね。爆弾と一緒に連行されるのに、怖くはないんですか?」
灯夜は、乱れた色素の薄い髪の隙間から、目を眇めてこちらを見る。
「じゃあ、君は凶悪犯として警察に追われる覚悟があるのか?」
凶悪犯罪者…。そうだな。手を貸しただけなんて言い訳にもならない。
「…すいません。僕には、他に方法がなかった」
「左馬武とは、知り合いなのか?」
非の打ち所のない顔が冷たく見えないのは、灯夜がこうやって見せる人間くささ。
「…彼は僕の師匠なんです」
「師匠? なんの?」
「僕は…、術師の血を引いていながら、魔力がない役立たずなんですよ」
ずらりと高級車が並ぶ駐車場を、藤宮の若き社長と肩を並べて歩く。
肩書を知らないホテル客が見たら、友人同士に見えたりするだろうか…。
「…悪鬼を封じる魔力がない僕に、この世界での生き方と、戦い方を教えてくれたのが、彼でした」
「…今の時代、親が術師でも、魔力がない子供は珍しい事じゃない」
そうかもしれない。だが実際に自分に魔力がなかったら同じセリフを言えるか?
それは、悪鬼を封じる魔力があるから言える言葉。
…魔力持ちへの長年の嫉妬が、じわりと木下の心をドス黒く支配していく。
だが、灯夜のセピア色の目は静かだった。類まれな美貌を傾け、木下を労るように見つめる。
「君は…、悪鬼は視えるか?」
「視えますよ。視えなければ、まだ良かった。そうすれば、知らない世界でいれたかもしれません」
「視える事自体が稀なんだ。悪鬼封じの世界で、君にも立派な役割がある」
「でもっ、視えるだけだ! …左馬武さんに出会っていなかったら、たぶん僕は…、自分で自分の命を終わらせていた」
…こんな事まで、話す必要はない。わかっているのに、気持ちが溢れて口から漏れだす。
なぜ…? 自分の身の上話を聞いてもらいたい?
違う! 同情してほしいわけじゃない。同情なんて…、力のある奴が下に見せるただの優越感だ。
「…親のあとを継がなくちゃいけないきまりなんてない。普通の職につくことだって、できたはずじゃないのか?」
「父が…、許さなかったんですよ。僕に、魔力がない事は、父にとってもショックだったんでしょう。散々、罵声されて育ちました。荒れましたよ。それでも、僕は、役立たずで終わりたくなかった…」
「つらいな…」
「っ…!」
今、彼は「つらいな…」と言ったか? 過去形の「辛かったな」でも「大変だったな」でもない。
そうだ。済んだ事なんかじゃない。僕が生きている限り、魔力なしは一生ついて回る。
ぐうーと、腹の奥から熱い何かがせり上がって、視界が歪んだ。
父親からは、努力が足りないと言われ続けて、どれだけ血反吐を吐いたかわからない。
「…術師の力を引き出す修行とやらも、必死にやりましたよ。各地に赴いて、直に悪鬼封じを目前で学んで、少しでも真似できる所はないかって…。笑っちゃいますよね。魔力のない人間が、いくら努力したところで、所詮ただのものまねにしかならないのに…。それでもっ…、僕は必死に、必死に!」
完全な愚痴だ。それでも灯夜は黙って耳を傾けてくれる。
「そんな時、黒田さんと出会ったんですよ」
「義隆?」
「はい。彼が左馬武さんを紹介してくれたんです…。悪鬼と戦うだけが、術師じゃないと教えてくれたのも彼です」
「…そうか。義隆に情報を提供していたのが君だったんだな。だから、桜を助けたのか。改めてありがとう。感謝する」
藤宮の若き社長…。
歴代最高の霊力を使い、悪鬼を封じる組織のトップに立つ男が…、なんの魔力も持たない、たかだか一スタッフに頭を下げる…。
左馬武さんが、言っていた通りの人だな。
この人の元でなら…、僕もやっていけるかもしれない。
少し、心が温かくなった気がすると、灯夜を連れて行く事に躊躇いを感じる。
このまま、彼を車に乗せて良いのか?
目指した白い車が見えた。しかし、木下の目線を追った灯夜の足が急に止まる。
「…あれか? レクサスRX」
「はい。…社長のご両親が、事故で亡くなった時に乗っていたのが、これと同じ車だそうですね…」
そう。池田は、知っていてこの車をえらび、爆弾をしかけ、彼の部下の左馬武を人質にとっている。
どこまでも悪党で卑怯だ。
だが、灯夜は思っていたよりも、落ち着いていた。
「…あと爆破まで、何分だ?」
「…十三分」
「取り敢えずは、間に合いそうだな。そのあとは?」
「…一時的にタイマーは止まります。左馬武さんが持つ電話に、社長が出る事。そのあと僕が指示された行き先に、社長を連れて行く事。…あの、実は、ここに来る前に連絡を――」
あと十歩かそこらで、車に乗り込めるという時に、白いレクサスが勢いよく発進した。
ブボゥ!!
キュルル――!
狭い地下駐車場を信じられないスピードでカーブを曲がりきり、出口へ向かう。
「―――!!」
一瞬、何が起きたのかわからずに固まっていた灯夜と木下も、弾かれたようにレクサスを追って走り出した。
「っ…」
だが、相手は車。追いつくわけがない。一気に加速した車が一般道へ躍り出て、走り去ってしまう。
「灯夜様!!」
駐車場から出た所で、肩で息をしていた二人を追いかけ、葵とホテルの警備員達がバタバタと走って来る。目にした途端、灯夜は怒鳴った。
「葵!! 警備にあの白いレクサスを追うよう言ってくれ! あれに爆弾が乗ってるっ。左馬武もいるはずだ!」
「もうっ、やってますっ。警備部と岸が見張りを捕まえました。あなたも警備室に来て下さいっ」
すぐ踵を返してホテルの警備室に向かい走り出す。
灯夜の全力疾走に、葵と木下、警備員が必死にくらいつく。
ルルルル……。
灯夜の胸ポケットで、スマホの着信音が鳴った。こういう時の電話は、嫌な予感しかしない。
灯夜は急いで通話を押す。
『―――ミスター!!』
スマホ画面いっぱいに、ハンドルを握る勝ち気な顔立ちの美人が映し出された。乱れた髪を払う彼女は、一昨日会ったばかり。
「ジュリ?!」
『―――イエス!!』
キキキキ―――!!
『―――今、車の中っ――、です』
ジュリの声と一緒に、タイヤがけたたましく唸る。
「ジュリ! 爆弾が乗っているレクサスを運転しているのか?! すぐに下りろ!」
『―――灯夜!!』
スマホのスピーカーから、肺活量に任せた男の音声。この声は――。
「なっ?! 義隆――?!」
『―――ああ! 爆弾の遠隔操作は止めたが、タイマーが止まらないんだっ』
「!! おっ…まえ、何してるんだっ」
『―――詳しい事はあとだ! ジュリねーさんと俺が乗った時点で、一度はタイマーが止まったんだっ。たが遠隔操作を解除したら、タイマーが動きやがった。爆破まであと…。ちっ!!』
黒田の鋭い舌打ち。スマホ画面には、前方を見てハンドルを握るジュリだけが写っている。
スマホを固定したまま運転しているのだろう。
「タイマーは、あと何分だ?!」
『……』
「義隆!! あと何分なんだ?!」
灯夜のかなぐり捨てた声に、画面に映るジュリが優しく笑った。
『―――ミスター、あと五分です。今、海に向かってとばしてます。ミスタークロダが爆弾と、サマタケを繋ぐ鎖を切ってますが、間に合うかわかりません』
「…やれるだろ?! 義隆! 命令だっ。やれ!!」
『―――…っ。無茶言うね。鎖が切れても、爆弾の解除までは厳しい。こんな都会のど真ん中で、爆破させるわけにはいかないだろう? どうする?!』
「鎖が切れたら、どこか空き地か廃ビルを探せ。そこで車を捨ててお前たちは逃げろ。海なんか…、あと五分でつくわけないだろ!!」
『―――この東京で空き地か?』
「なんでもいいからっ、とにかく左馬武を連れて車を捨てるんだ!!」
『―――なあ、灯夜。俺は今のおまえの方がいいと思うぞ』
「――!! 何がだ?!」
『―――いや、おまえ…、本当は短気だよな。育てられた教育かなんかかもしれないが、俺は今のおまえの方がいい』
「こんな時に……っ!」
『―――だからさ、灯夜。無事に生きて帰れたら…、俺の欲しいものをくれるか?』
「っ…。何言ってる?! 欲しけりゃ直接言え! 欲しい物なら奪えよっ!! 戻って来い! とにかくっ、二人を連れて、戻ってこい!!」
爆破まで、残り…。
03 01 03 00 02 59 02 58 ……
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