第24話 爆破まで二十八分
「…何か、あったのか?」
ホテルに電話が入るなど珍しい。そもそも来客中に電話を繋げるなど、よほどの緊急事態でなければありえない。
「…電話の相手は?」
葵がただ事でない雰囲気を察し、低い声で問う。だが岸は険しい顔を崩さず、葵を見ようともしない。
「…ラウンジの電話に繋げてあります。先方は急ぎとの事ですので…、お願いします」
言葉遣いは丁寧だが、明らかにいつもの岸ではない。こんな急かすような無作法は、一流ドアマンの称号を汚す不心得者。岸はプライドを持ったラグジュアリーホテルのドアマンのはずじゃなかったのか?
「…本部からではないんだな?」
「はい。先方は…、サタケと名乗りました」
よほど時間を気にしているのか、葵が聞いた時は答えなかった岸が早口で答える。
「サタケ? …サタケ。…まさか
ガシャン!!
桜が急に立ち上がったために、マイセンのティーカップからコーヒーがこぼれた。琥珀色の飲み物はみるみるテーブルに広がっていく。
だが、桜の意識はこぼれたコーヒーより、電話の相手。
「ほんと? なお…なの?! わ、わたし電話でるわっ」
「まて! 桜っ」
言い終わらないうちに、駆け出す桜の前に…、立ち塞がったのは岸だった。
「…先方は、社長をお待ちです」
「…どうしてっ? なんでわたしじゃ、ダメなのよぅ?!」
一瞬…、桜の悲痛な叫びにラウンジが静まりかえる。途切れることなく聞こえていたグランドピアノの朗々とした伸びやかな音色も聞こえない。
「…発信元は?」
葵も違和感を感じていた。このホテルの警備システムなら発信源くらい追える。
だが、岸が答えた場所は…、だれも予測していなかった。
「…このホテルの地下駐車場です」
「―――!!」
「えっ? じゃあ、今、ホテルの駐車場になおがいるの?」
岸を押しのけ、ラウンジから飛び出そうとする桜。
「まてっ、桜。まだ本当に左馬武かわからない。とにかく俺が、電話にでてくる。ここで待ってろ。ちゃんと分かったら一緒に行くから」
桜を行かせまいと、急いで電話に向かう灯夜のあとを、いつも通りに葵がついて行こうと立ち上がる。
だが、何かが変な感じだった。何か…。いや、岸も、電話も、何もかも…。
再度、拉致されるおそれもある新野親子の側に、誰かいた方がいい。
今は、葵以外任せられないからしかたがない。
「葵、二人についててやってくれ。電話はすぐそこだから、俺の姿が見えるだろ? ちゃんとそこにいるからっ」
灯夜の指示に、葵はもちろん納得できない…。だが電話までが、数メートルも離れていないのと、いつもの岸ではないが、信頼してる友人が灯夜の側にいるなら…と、不満ながら承諾する。
しかし、数分後には、その判断は、間違っていたと強く後悔する羽目になるのだと、その時は気づけなかった。
ラウンジの電話を受け取った灯夜は、慎重に受話器を耳にあてた。
「藤宮灯夜だ…」
灯夜が名乗ると、受話器の向こうからは、「すいませ…。と…や」と、微かに絞り出す声が聞こえた。その声は、間違いなく左馬武のもの。
しかし、灯夜が何か言う前に、ツ―…と、通話が切れてしまう。
…どういう事だ?
不審に思うも、受話器を戻そうとした灯夜の腕は…、急に現れた男に、強く引っ張られた。体勢を崩しながら、後ろにいる男によろついて、もう片方の腕も取られてしまう。
「…社長。申し訳ないが、一緒に来てもらえますか?」
「っ!」
油断した! 電話に気を取られて対応に遅れた。
いや…、常に葵が後ろにいるので、後ろへの気配に鈍くなっていたのかもしれない。それに、つい先程まで後ろにいたのは、岸だったはず…。
身なりの良い若い男…。背中に押し付けられている硬いものは、おそらくナイフの類だろう。
「…目的は?」
「僕と一緒に来てください。でないと、ホテルの地下駐車場に停めてある車が爆発します。威力は半径十メートルですが、爆破の破壊力は横と上。ホテルが崩壊したら、どれだけの人命が失われるか、社長ならお分かりになりますよね」
「――!!」
「灯夜サン! その人…っ」
「まてっ。…みんな動くな。葵も」
血相変えた葵と桜が、テーブルを蹴って駆けつけるのを、グランドピアノの手前で灯夜が手を上げて止めた。
「…ちゃんと逃げ切れたんですね。桜さん。無事で何より」
「おまえ、…木下か?」
「流石は社長。洞察力をお持ちですね。僕は彼女を逃したことで立場が悪くなりまして。池田に忠誠を見せろと言われて、貴方を連れて来るよう命じられてしまったんですよ」
「…父親の命を、盾に取られたのか?」
「いいえ。父が池田についた時点で、親とは思っていません。あの男は自分がなすべき責任を忘れたのです。どこでのたれ死んでも自業自得でしょう。僕にとっては、ただの情報源ですよ」
「…では、誰の命を盾に取られている?」
「…左馬武直久」
「!!」
「彼は今、爆弾を積んだ車の中、身動きが取れない状態でいます。あと…、二十八分で貴方を車に連れていかないと、車ごと…、こっぱみじんです」
「…誰か、どこかで見張っているのか?」
「そうです。でも、見張りだけじゃない。もし見張りだけなら、僕もあなたにナイフなんか向けないで、自分で何とかしていますよ…」
木下が嘘をついているとは思えない。そうなると…。
「厄介な爆弾か?」
「そうです。作動させる遠隔操作がある事と…、車の座席自体に人体センサーが取り付けられてあります。僕と、社長。左馬武直久。時間までに三人分の体温を察知しないとドカンです」
「…よくナイフを持ったまま、ホテルのドアがくぐれたな」
「彼ですか? ここのドアマンが優秀なのはよく知っていますよ。ですから全て本当のことを話しました」
なるほど。岸は全て知った上で、時間短縮をするため、自ら動いたということか。
ラウンジの入口で、岸が苦悩した顔で頷いた。
「地下に降りることを考えれば、もう時間がありません。一緒に来て下さい」
爆弾が本当にあるなら…、確かに時間がない。
「見張りがいるなら、誰か代わるわけにもいかないな。…葵、行ってくる。地下駐車場の封鎖と、念のため、桜達を上の階へ連れてってくれ」
「―――!!」
「灯夜サン…」
心配する桜と、叔母。睨み合う葵と岸。
岸が事情を聞いているのなら、既にホテルの警備が見張りを探すため、動いているだろう。
詳しい事は、あとで木下から聞くとして、灯夜は今、時間迄に爆弾を積んだ車に乗り込まなくてはならない。
爆弾の解除までは、手に負えないな…。
それでも…、誰かを行かせるより、ずっといい…。
「大丈夫だ。絶対、爆破させないから。心配するな」
ゆっくりと後ろを見た灯夜が、本気で刺すつもりなどない木下に、ナイフをしまわせる。
あと二十五分…。
灯夜は木下と、駆け出すようにラウンジから消えて行った。
こんな時だというのに、皆を安心させるための灯夜の微笑は、ラウンジから見えるどの花よりも鮮やかで、狂おしいくらい美しい…、微笑みだった。
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