第23話 溺愛されてる?
「桜も来てるのか?」
フロントから
「思ったよりも早かったな」
「そうですね…」
昼に連絡があった時は、もう少し遅くなると言っていたのだが、用事が早くすんだのだろうか…。
桜も一緒だと言うのであれば、病院に行って来たのかもしれない。
部屋を出た葵と灯夜は、エレベーターに乗りこむと、一階直通ボタンを押した。
「あなたも、まだ顔色が良くありません。無理をなさらないように…」
微熱がのこる灯夜を葵が気遣う。
しかし灯夜は「お前に言われたくない」と、素っ気ない。
「いいか。これからは、どんな時でもちゃんと睡眠は取れっ」
灯夜としては、十分嫌味を込めて言っているはずなのに、葵はこちらの
「…まったく。あまりにもニブくて、呆れますね」
「何がだ?!」
「…いえ。なんでもございません。とにかく、お話は短時間で切り上げてください」
そんなに嫌なら、ついてくるなっ…と、出かかった言葉を、灯夜はなんとか飲み込んだ。
どうせ来るな…と、言ったところで、葵は必ずついて来る。断言できるだけでもたいした忠誠心だと思う。
ふだんは自分の後ろを歩く、大きな背中。こうしてエレベーターに乗る時、葵は必ず灯夜の前に立つ。その理由は、もちろん灯夜を守るため。
今まで…、葵がどんな顔で後ろを歩いているかなんて、気にした事なかったな…。
葵が後ろにいる。それが当たり前で、安心しているのだと気づいてしまった。
「…どうしました?」
視線を感じた葵が、口調を和らげ心配そうに振り返る。
「いや。頼もしいな…と思って。この背中がいつも俺の盾になる。頼りになる背中だよなぁ」
「…はあ。灯夜様。それは口説きもんくですよ」
「?! いやっ。ただ思っただけで…っ」
すっ…と、葵の手が灯夜の腰にまわった。
「…私の
「遠慮?」
これだけ長く一緒にいて、今更何を遠慮すると言うのか…。どうして…、そんな切ない目で俺を見る?
誤魔化すなと訴えてくる葵の熱っぽい視線。だが灯夜は、何を言えば良いのかわからない。結局、一瞬温度が跳ね上がったエレベーターは、何もなかったよう目的の階についていた。
一階はチェックインをする人と、これから出かける人とで、思っていた以上にざわついていた。
しかしフロントに隣接したラウンジは、日常から切り離された空間。グランドピアノがゆったりとした曲を奏でて、高級なテーブルや椅子が来客をラグジュアリーな気分に盛り上げる。
外側に面したガラスからは、季節の花と緑で溢れ、その風景に溶け込むよう、和服姿の女性と桜が待っていた。
二人は灯夜に気づくと、笑顔で迎える。
「大変な時に、無理を言ってごめんなさいね」
「いえ。お久しぶりです。伯母様もおかわりありませんか?」
桜の母親は、和服がよく似合う美人。若い頃は、女性でありながらかなりの藤宮の案件をこなした術師だった。桜は間違いなく母親似だろう。
「ありがとう。今回の事件で、娘を助けてもらった御礼を、どうしても、ちゃんと言いたかったのよ」
彼女はそう言うと深く頭を下げる。「ハンサムな甥っ子の顔を見たかったのもあるんだけどね」と、優しく笑う顔は年齢より若く見えた。
「それにね…、うちが預かった者から裏切りが出てしまった責任を痛感してるわ。あの
そう言って再び頭を下げた母親にならい、桜も黙って頭を下げた。事件の時よりだいぶ落ち着いたようだが、捨てきれていない情があるのは当たり前だろう。
「灯夜サン。あれから…、なおからの連絡は…、ない?」
「今のところは、何もないな」
「そっ…そう。そうよね! あんなきっぱりわたしを売った男だもんね! あんな薄情なボディガード、わたしから願い下げよ。必ずわたしが捕まえて、後悔させてやるんだからっ!」
無理に強がる桜に、母親は慰めるよう頭を撫でる。愛情深い彼女の仕草は、母親の記憶が乏しい灯夜には眩しかった。
「桜。…左馬武は、桜や藤宮を裏切ってないと思う」
それは、灯夜も半日考えてたどり着いた答えだった。
「え?」
「どういう事かしら?」
驚いた新野親子が、よく似たリアクションで灯夜を見る。
「桜。池田の所で、木下の息子だと言う男に部屋に連れて行かれたんだよな?」
「そうよ。でも彼が気が変わったのか、わたしを逃してくれて…」
「…その木下の息子を、桜にあてがったのは誰だ?」
「なおよ! わたしの事を、もううんざりだって…、彼を、わたしの好みに合うだろうから寝ろって…。え? あれ…」
「でも、木下は桜を逃してる」
「うん。そう。え…。まさか、逃してくれるって知っていてあの男をえらんだの…? ほ…ほんと?」
「桜を守りたかったんじゃないのか?」
まるで灯夜の声に重なるように、グランドピアノが優しい旋律を奏でていた。
肩を震わせた桜が、くしゃりと顔を歪める。
「っ…。でも! じゃあ、なんで…っ、あんな酷い事言うのよぅ! ううぅ…」
「左馬武を、信じてくれてありがとうっ」
娘と同じように母親も目に涙を浮かべ、膝の上に重ねた両手におでこがつくほど、深く腰を折る。
「顔を上げてください。伯母様。こちらこそ大事な娘さんを巻き込んでしまい、申し訳ない」
「何を言ってるのっ。この藤宮に関わる者にとってはあなたが一番大事っ。娘にもそう言い聞かせてるわ。もし、あなたのためにこの命が使えるのなら、それは
会長の娘であり、灯夜の母の妹。本来彼女が社長を継いでも、だれも文句を言わないだろう。むしろ、彼女が継いでいれば…、池田や木下は反旗しなかったのかもしれない。
だが、彼女は灯夜の力量を知った上で、灯夜こそ、藤宮の当主だと言ってくれる。
「叔母様。…私は、皆の力添えがあってこの立場にいる。誰かが…、私のために命を危険にさらすような事があるのであれば、それは、あってはならないことだと思っているんです。力が足りず助けられてばかりだが…」
「ふふ。藤宮の当主があなたのような人でよかったわ…」
眩しそうに彼女は笑った。母が生きていたら…、こんな風に灯夜の当主就任を喜んでくれただろうか。
しんみりとなった灯夜と新野親子の間に、ウェイターが、焙煎仕立ての豊かな香りのコーヒーを運んで来た。しかし葵は灯夜のコーヒーだけウェイターに返すと、小声で何か指示を出す。
代わりに持ってきたのは黄金色をしたホットレモネード。
「コーヒーはやめておいた方が良いです。風邪の時は、苦く感じてしまいますので…」
「そうなのか?」
「ええ。寒くはないですか? ラウンジはどうしても外気が届きますので。今からでも二十八階のクラブラウンジに移動しますか?」
「……しばらく会わない間に、随分溺愛されているのね」
桜の母に可笑しそうに茶化され、やっと灯夜も葵の手のかけ方が、秘書や補佐の認識から外れていると気づき慌てた。
「…っ。葵! 手をかけすぎだっ」
「いえ。新野様。社長はまだ熱が…」
「葵!!」
「ふふ。長篠の上二人は、あなたが子供の時から随分溺愛していたけど…、三男もそうなのね」
「
「あら、そうだったの?」
「叔母様っ」
溺愛の言葉に照れた灯夜が、勢いよく反論しようとしたその時…。
「お話中、失礼いたします。社長、お電話が繋がっております」
見上げた先にいたのは…、顔を強張らせた岸が立っていた。
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