第23話 溺愛されてる?

「桜も来てるのか?」


 フロントから新野親子桜と母親がホテルに着いたという連絡が入ったのは午後の三時を過ぎたころだった。

 

「思ったよりも早かったな」


「そうですね…」


 昼に連絡があった時は、もう少し遅くなると言っていたのだが、用事が早くすんだのだろうか…。


 桜も一緒だと言うのであれば、病院に行って来たのかもしれない。


 部屋を出た葵と灯夜は、エレベーターに乗りこむと、一階直通ボタンを押した。


「あなたも、まだ顔色が良くありません。無理をなさらないように…」


 微熱がのこる灯夜を葵が気遣う。


 しかし灯夜は「お前に言われたくない」と、素っ気ない。


「いいか。これからは、どんな時でもちゃんと睡眠は取れっ」


 灯夜としては、十分嫌味を込めて言っているはずなのに、葵はこちらの肺腑はいふをえぐるようなため息をついた。


「…まったく。あまりにもニブくて、呆れますね」


「何がだ?!」


「…いえ。なんでもございません。とにかく、お話は短時間で切り上げてください」 


 そんなに嫌なら、ついてくるなっ…と、出かかった言葉を、灯夜はなんとか飲み込んだ。

 どうせ来るな…と、言ったところで、葵は必ずついて来る。断言できるだけでもたいした忠誠心だと思う。


 ふだんは自分の後ろを歩く、大きな背中。こうしてエレベーターに乗る時、葵は必ず灯夜の前に立つ。その理由は、もちろん灯夜を守るため。


 今まで…、葵がどんな顔で後ろを歩いているかなんて、気にした事なかったな…。


 葵が後ろにいる。それが当たり前で、安心しているのだと気づいてしまった。


「…どうしました?」


 視線を感じた葵が、口調を和らげ心配そうに振り返る。


「いや。頼もしいな…と思って。この背中がいつも俺の盾になる。頼りになる背中だよなぁ」


「…はあ。灯夜様。それは口説きもんくですよ」


「?! いやっ。ただ思っただけで…っ」


 すっ…と、葵の手が灯夜の腰にまわった。


「…私のあるじはあなただけです。ですが…、私に遠慮はいらない…と、言う事でしょうか…?」


「遠慮?」


 これだけ長く一緒にいて、今更何を遠慮すると言うのか…。どうして…、そんな切ない目で俺を見る?


 誤魔化すなと訴えてくる葵の熱っぽい視線。だが灯夜は、何を言えば良いのかわからない。結局、一瞬温度が跳ね上がったエレベーターは、何もなかったよう目的の階についていた。

 

 一階はチェックインをする人と、これから出かける人とで、思っていた以上にざわついていた。


 しかしフロントに隣接したラウンジは、日常から切り離された空間。グランドピアノがゆったりとした曲を奏でて、高級なテーブルや椅子が来客をラグジュアリーな気分に盛り上げる。

 外側に面したガラスからは、季節の花と緑で溢れ、その風景に溶け込むよう、和服姿の女性と桜が待っていた。


 二人は灯夜に気づくと、笑顔で迎える。 


「大変な時に、無理を言ってごめんなさいね」


「いえ。お久しぶりです。伯母様もおかわりありませんか?」


 桜の母親は、和服がよく似合う美人。若い頃は、女性でありながらかなりの藤宮の案件をこなした術師だった。桜は間違いなく母親似だろう。


「ありがとう。今回の事件で、娘を助けてもらった御礼を、どうしても、ちゃんと言いたかったのよ」


 彼女はそう言うと深く頭を下げる。「ハンサムな甥っ子の顔を見たかったのもあるんだけどね」と、優しく笑う顔は年齢より若く見えた。


「それにね…、うちが預かった者から裏切りが出てしまった責任を痛感してるわ。あの左馬武さまたけが反旗したなんて、本当は信じられないのだけど…」


 そう言って再び頭を下げた母親にならい、桜も黙って頭を下げた。事件の時よりだいぶ落ち着いたようだが、捨てきれていない情があるのは当たり前だろう。


「灯夜サン。あれから…、なおからの連絡は…、ない?」


「今のところは、何もないな」


「そっ…そう。そうよね! あんなきっぱりわたしを売った男だもんね! あんな薄情なボディガード、わたしから願い下げよ。必ずわたしが捕まえて、後悔させてやるんだからっ!」


 無理に強がる桜に、母親は慰めるよう頭を撫でる。愛情深い彼女の仕草は、母親の記憶が乏しい灯夜には眩しかった。


「桜。…左馬武は、桜や藤宮を裏切ってないと思う」 


 それは、灯夜も半日考えてたどり着いた答えだった。


「え?」

「どういう事かしら?」


 驚いた新野親子が、よく似たリアクションで灯夜を見る。


「桜。池田の所で、木下の息子だと言う男に部屋に連れて行かれたんだよな?」


「そうよ。でも彼が気が変わったのか、わたしを逃してくれて…」


「…その木下の息子を、桜にあてがったのは誰だ?」


「なおよ! わたしの事を、もううんざりだって…、彼を、わたしの好みに合うだろうから寝ろって…。え? あれ…」


「でも、木下は桜を逃してる」


「うん。そう。え…。まさか、逃してくれるって知っていてあの男をえらんだの…? ほ…ほんと?」


「桜を守りたかったんじゃないのか?」


 まるで灯夜の声に重なるように、グランドピアノが優しい旋律を奏でていた。


 肩を震わせた桜が、くしゃりと顔を歪める。


「っ…。でも! じゃあ、なんで…っ、あんな酷い事言うのよぅ! ううぅ…」


「左馬武を、信じてくれてありがとうっ」


 娘と同じように母親も目に涙を浮かべ、膝の上に重ねた両手におでこがつくほど、深く腰を折る。


「顔を上げてください。伯母様。こちらこそ大事な娘さんを巻き込んでしまい、申し訳ない」 


「何を言ってるのっ。この藤宮に関わる者にとってはあなたが一番大事っ。娘にもそう言い聞かせてるわ。もし、あなたのためにこの命が使えるのなら、それはほまれよ」


 会長の娘であり、灯夜の母の妹。本来彼女が社長を継いでも、だれも文句を言わないだろう。むしろ、彼女が継いでいれば…、池田や木下は反旗しなかったのかもしれない。


 だが、彼女は灯夜の力量を知った上で、灯夜こそ、藤宮の当主だと言ってくれる。


「叔母様。…私は、皆の力添えがあってこの立場にいる。誰かが…、私のために命を危険にさらすような事があるのであれば、それは、あってはならないことだと思っているんです。力が足りず助けられてばかりだが…」


「ふふ。藤宮の当主があなたのような人でよかったわ…」


 眩しそうに彼女は笑った。母が生きていたら…、こんな風に灯夜の当主就任を喜んでくれただろうか。


 しんみりとなった灯夜と新野親子の間に、ウェイターが、焙煎仕立ての豊かな香りのコーヒーを運んで来た。しかし葵は灯夜のコーヒーだけウェイターに返すと、小声で何か指示を出す。

 代わりに持ってきたのは黄金色をしたホットレモネード。


「コーヒーはやめておいた方が良いです。風邪の時は、苦く感じてしまいますので…」


「そうなのか?」


「ええ。寒くはないですか? ラウンジはどうしても外気が届きますので。今からでも二十八階のクラブラウンジに移動しますか?」


「……しばらく会わない間に、随分溺愛されているのね」


 桜の母に可笑しそうに茶化され、やっと灯夜も葵の手のかけ方が、秘書や補佐の認識から外れていると気づき慌てた。


「…っ。葵! 手をかけすぎだっ」


「いえ。新野様。社長はまだ熱が…」


「葵!!」


「ふふ。長篠の上二人は、あなたが子供の時から随分溺愛していたけど…、三男もそうなのね」


かあさまっ。葵は前からこんな感じよっ。いつだって灯夜サンを独り占めしてるんだから!」


「あら、そうだったの?」


「叔母様っ」


 溺愛の言葉に照れた灯夜が、勢いよく反論しようとしたその時…。


「お話中、失礼いたします。社長、お電話が繋がっております」


 見上げた先にいたのは…、顔を強張らせた岸が立っていた。


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