第18話 黒い悪鬼の出現 前編

 …痛い。紐を解かれた筈の手も、足も、今だに絡みついているみたいな違和感がある。


 それでも、桜は起き上がる反動を利用し、怒りを込めた拳を、木下にぶつけた。

 きっとそこには、池田達への腹立たしさや、左馬武さまたけの裏切り行為に対する張り裂けそうな桜の心の叫びが込められた拳だろう。


「っ〜! ゴホ!!」


 しかし、気合が入りすぎたのか、顔を殴るつもりでいたのに、木下の喉に入ってしまう。木下が喉を抑え苦しそうに咳き込んだ。

 

 わ、わ。ごめんなさーい!!


 心の中で叫んでから、ベッドから抜け出ると、木下に言われた通り、鏡台の椅子を持ち上げる。

 『出たとこ勝負になりますが…』と木下は言っていた。


 じゃあ、やってみないとわからないのね。何が…起るか…。いいわ! やってやろうじゃないの!!


 桜は椅子を抱えたまま窓ガラスの前に立つ。カメラが部屋の何処かに仕掛けられているなら、この状況も筒抜けのはず。時間の猶予はない。


「いーく、わよ―――!」


 ガッシャーン!! 


 静かだった屋敷に耳を劈くような音が響き渡った。ガラスが派手に飛び散り、激しいザザー…ザザー…という雨音と、風で舞い上がった白いカーテンが、みるみる濡れそぼり窓枠に貼りつく。


 フッ…と、ベッドサイドに付いていた明かりが消えた。かすかにウーという振動の音を鳴らして動いていた冷蔵庫も押し黙る。


 …電気が切られた?


 すると…ガゴッ!!と、何かが屋敷にぶつかったのか、建物が震えた。急にガタガタと一階が騒がしくなる。


 よくわからないけど、今のうちに、ここから逃げ出さなくてはと、桜はガラスを踏まないよう注意しながら窓から外を覗いた。

 頭を少し出しただけで大粒の雨に濡れ、ショートの髪から水滴がしたたり桜の顔に伝う。


 ちょうどその窓枠に、ガタン…と梯子はしごのようなものが下からかけられた。


 バレた?!


 これだけ派手にガラスを割ってバレるのはあたりまえだが、下から来る影は池田の部下達なのか…。それとも灯夜達か…。

 緊張で震える手を握りしめながら暗闇の部屋で、外の激しい雨を見つめる。


「やあ、姫さん。遅くなったね」


「!! 黒田…支部長?」


 最初に窓枠から現れたのは九州地区の切れ者、黒田だった。


「ああ、彼もいるよ」


 続いて、灯夜、葵と続く。


「とぅ…や、サン!!」

 

 桜は灯夜を目にした途端、泣き出してしまった。雨の中レインコートを着ていてさえ、美しすぎる整った顔立ちの美青年。濡れそぼった色素の薄い髪と茶色い瞳は、桜が幼い頃からよく知る大好きで、心から尊敬している灯夜。


 必ず、灯夜サンが助けに来てくれる! そう信じてた。信じていたけど…。


「うううー、うわ~ぁぁぁぁん!」


 灯夜も、桜のあまりに酷い姿に驚いた。人質まがいな事をしても、桜は藤宮の血が流れた灯夜のイトコだ。まさか、このような扱いをされるとは…。


「…っ。桜、遅くなってすまない。よく、頑張ったな」


 灯夜は桜を濡らさないようレインコートを脱ぎ捨て、その下に着ていた黒田のロングコートで桜を包んでやる。そのまま桜をお姫様抱っこで抱え上げた。


 張り詰めていた桜の心は、灯夜の腕の中でプツリと切れる。


「一階は、藤宮の警備部が制圧したようだ」


 黒田がネックライトの明かりを調節しながら灯夜に言う。


「わかった。池田も抑えたか?」


「…いや、それが池田、浅野、木下、三人ともみつからないそうだ。だが、必ずまだ近くにいる」


「…わかった。取り敢えず、抑えた奴らは全員藤宮の本部へ連れて行け」


「了解」


 桜を抱いた灯夜と黒田達は一階へ降りた。前を黒田と彼の側近二人が歩き、後ろを葵で挟んでいる。


 一階は、池田を捜索する者と、誘拐に関わった池田の部下達を捉えて連行する者とで、男達が忙しく動き回っていた。彼等の間を通りぬけて、扉らしき壊れた入口から外へ出る。だが…外に出ようとしたその時、急にあたりが冷たく冷えた気がした。

 桜だけでなく、皆の吐く息が白い…。


「…まずいな」


 黒田の言う通り、桜とて術師のはしくれ。これが何を意味するかわかる。


「葵、桜を頼む。車まで連れて行ってくれ」


 後ろをふり返りながら言う灯夜に、葵は物凄い顔を返した。


「…私が、お受けするとお思いですか?」


 桜を連れて行けという事は、葵が灯夜の側を離れなければならない。

 この状況で、それをあなたが選択するのか?!


 葵の怒りがひしひしと伝わる。


「…いや」


 灯夜は、バツの悪い顔で濁すと、黒田の側近、浅黒い肌の男に桜を託した。


「お任せください」


 おちゃらけているように見えても、黒田の側近を務めるほどの男。


「あぁ。頼む」

 

 灯夜にとっても、桜は大事な家族だ。逞しい男の腕に桜を預け、彼女の頭を優しく撫でてやる。

 

「あっ、まって! 灯夜サン! あの、あ…のね、なお…が」

 

「桜。いい。大丈夫だ。何も心配するな」


 灯夜の静かな瞳に桜が涙目で頷くと、桜を抱えた男が車に向かって走り出した。


 同時に、屋敷の裏手から物凄い数のおぞましい悪鬼が飛び出て来る。


「予測はしていたが…、凄い数だな」


 黒田が目を光らせ、葵もバチを握った。


「…任せろ」


 警備部や周りの術師達も、冷静に対処している。

 悪鬼が放たれる予測はあったので、藤宮の警備部も術師のみを集められていた。

 だが、この雨の中での長期戦は不利になる。


 灯夜は自分の手のひらに霊力を溜め込むと、大粒の雨を降らせる空に解き放った。


 暗闇に閃光が放たれる。それは白い鳩を放つ祝いの放鳥のように、悪鬼に向かって羽を広げた。

 あっという間に、灯夜の青い熾火に捕らえられた悪鬼はボッ…と、黄金色に燃え上がる。


 降りしきる雨の中、長居は無用だ。


 皆が一斉に撤退の準備に入る。灯夜達もジュリが待つ車に向かおうとした。


 その時、地面が揺れた。否、雨でぬかるんだ地面から、大量の悪鬼が湧き出てきたのだ。とっさに足を取られ、転倒する者もいる中、誰一人、叫び声を上げる者がいないのは、ここにいる全てのスタッフが優秀な証だろう。


 灯夜は地面に手をつくと、再び泥水から人の形にかわる悪鬼を一瞬で捕らえ封じた。

 

 しかし、静まり返った地面が雨を受け止めるのは一瞬のこと。再び地面が盛り上がり崩れた人形のような悪鬼が湧き水のように現れる。


「この地は、おそらく昔の塚だ!」


「あぁ! 後で津神守に調べさせろ」


 皆が必死で、一体一体をとらえる中、三度みたび灯夜が霊力を放った。

 ぬかるんだ茶色の泥水が、一瞬で黄金の絨毯のように一面をキラキラ輝かせて…、静まる。


「っ! 灯夜様! 短時間で霊力の使いすぎです!!」


 葵の声に、黒田も頷く。葵のバチはホテルの襲撃事件同様、しっかりと悪鬼を弾いていた。


「俺がいる。信用しろ!」


 …別に、黒田を信用していないわけではない。ただ、桜を巻き込んでまで、灯夜をおとしいれようとする池田達に、灯夜もかなり腹が立っていたのだった。


 

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