第16話 ジュリのテク
「追ってきます!!」
ジュリがハンドルを固定しながら、再びアクセルを踏み込んで叫んだ。
「ミスター!! ストップしますか?! それとも、振り切りますか?!」
強く踏み込まれたアクセルに、雨で濡れたタイヤが唸り声をあげた!
どうする?! いざとなれば、今ここにいる全員が戦力となって戦える。だが相手が何人いるかわからない以上、下手に車から出ない方が良い。
「…振り切れるか?」
葵の腕の中で、灯夜がミラー越しにジュリを見た。
一瞬だけ目を合わせたジュリが、まるでクリスマスプレゼントをもらった子供のような顔で笑う。
「お任せ下さい!!」
「では、振り切ってくれ!」
「オー…ケー!!」
答えたジュリが、グルっと、ハンドルを回した。
キキキ…、キュルルルル!!
タイヤが悲鳴をあげると、後輪が道路との摩擦を拒否して車の後部を左右に振る。
たいしてスピートを落とさず、ジュリは車を逆向きに半転させ、そのままアクセルを踏み込んだ。
追って来ていたトレーラーとの距離は二十メートルもない。しかしジュリは意気揚々仕返しとばかりにヘッドライトを上に切り替え、不敵な笑顔でハンドルを握る。
互いのライトで車体の輪郭さえ危うい!
――――――!!
「…っ」
力を込めた葵の腕の中、灯夜が呻く。
誰もがぶつかる事を…、予想した。
耳をつんざくようなクラクションと、激しく降り注ぐ雨を車のライトが映し出す。
そんな中、ジュリは驚くようなテクニックで、トレーラーの横ぎりぎりをすり抜けた。
恐怖に駆られた男の顔がライトの合間に見えた…。トレーラーの大きなハンドルを片手で握り、ゴツい右腕は
どこかで見たことがある気がする…。
だが今は、そんな流暢なことを考えれる場面ではない!
ジュリはトレーラーの横をすり抜ける直前、赤く塗られたルージュを尖らせ「チュ」と投げキッスをプレゼントし、さらに車を加速させた。
「おっい…っ! 逆走だっ…ぜ―――!!」
「うっわ――!!」
パー!! パッパー!!
けたたましくクラクションを鳴らされる。降りしきる雨の中、正面から逆走して来る車に、目を疑っているのだろう。
だが、どの車も驚いてハンドルを切る前に、黒いミッドナイトカラーのワゴンは、激流下りのように隙間を通り抜けていった。
「ヒュー。さすがー! あんたの腕はたしかだぜ!!」
彼女の運転テクニックを賛称するのは黒田付きの浅黒い肌の男の方。座席のヘッドを、子供のように抱える情けない姿だが、どこかで身体を固定していないと、逆に自分の舌を噛みそうで危ない。
「まが…り、ますよ―――っ!!」
ジュリが言い終わらないうちに、「うわっ!」と、誰かが叫んだ。
すでに何度目かのタイヤの音と、クラクションの音が雨音を打ち消して派手に響き渡る。
ふわっと車体が浮いたような気がした。しかしそんな訳はなく、葵は右の窓側にグイー…と灯夜の頭を抱いたまま押し付けられる。反対側から灯夜を葵ごと支えていた黒田に二人分の体重がかかるが、灯夜を守る事で精一杯の葵は、黒田を気遣ってやる余裕はない。
「いてー!!」
後ろの座席から大げさな悲鳴があがる。男二人がハエ叩きで叩かれたハエのような状態で、車内の右側に不自然に重なっていた。潰れたハエ…、いや、黒田の側近二人が「うー」とうめき声をもらす。
暫くの遠心力から、やっと開放されホッと息をついた時には、車は何事もなかったように通常の車線を車の流れに乗って走っていた。
「…無茶な運転をするねぇ」
黒田が灯夜の腰と、膝の後ろに、腕を回し、不安定な体勢から彼の身体を座席に戻してやる。
やれやれ…と、自分の乱れた髪を撫でつけてから、後ろの抱き合うような恰好の二人に、憐れみのような目を向けた。
怪我がないか確認し、手振りで指示を出す。直ぐに側近の顔に戻った男達は、本来出来る男達。心得た…と、頷きそれぞれの役目のために、自分達のスマホを取り出しどこかに連絡をはじめた。
部下が的確な会話をしていると確認してから、黒田も藤宮本部に後処理の為、スマホの通話ボタンを押す。
「…そんなわけで、かなり一般の車を巻き込んでしまっているから、怪我人が出ていないか確認が必要かな。そちらに頼んで良いかい? あと警察と、一応、救急車の手配もね。もちろんマスコミの対応もよろしく。それから灯夜に怪我はないからと、会長に伝えといて。俺達は先に捜索に出ている本部の者達とこのまま合流するから…」
黒田の会話を聞きながら、葵は黒田の匂いを拭うように、灯夜の髪と乱れた服を整える。
「大丈夫ですか? どこかぶつけていませんか?」
灯夜は微かに眉を寄せるも、大丈夫と頷いた。
「…こちら側の被害かい?」
黒田の声が、若干大きくなったのは、ハンドルを握っているジュリに聞かせる為だろう。
「おかげ様でね。男顔負けの勝気な運転をするおねーさんのおかげで、俺の頭にコブができた程度ですんだんだよ」
黒田の言葉に、ジュリがバックミラーを見上げた。彼女は茶目っ気たっぷりにウィンクする。こういう顔をすると、弟の岸に良く似ていた。
「あとは…灯夜、何か指示はあるかい?」
灯夜の頬を、黒田の大きな手のひらが撫でた。
この男が本当に自分を心配しているという事は、十分に理解しているのだが、ゾワリ…とする感情には、どうしても慣れない。
じっと見つめる黒田の瞳は、こんな時であってもお前を欲している…と、訴えている。
「…トレーラーの所有者と、運転手の割り出し、それから…、こちらに迎えの一台を寄越すよう連絡を。たぶんもう大丈夫だと思うが…、一応護衛車を後ろにつけろ」
「了解。…聞こえたかな?」
黒田の相変わらずの無遠慮な指を、灯夜はため息をついて払った。
何かしらの危機に出くわすと、人間はただ人恋しさに、側にいる人間を欲する生き物だと思う。それはもう子孫を残すための本能に近い。
耳の後ろに触れる無骨い黒田の指も、腰に回された熱い腕も、以前はそんな性的欲求の発散なのだと思っていた。
術師であり、一地区を纒めるまで上り詰めたこの男は、日常的に危機を肌で味わって生きているだろうから。
それは灯夜とて、覚えのある感情だった。そう…、黒田との出会いであるあの大捕物の事件の後…。
気づけば…、灯夜達が乗る車を挟むよう、藤宮本部から連絡が入った二台の車が前後についていた。
雨が止む気配がないまま、三台の車は連なって一時間程さらに走り、木々が生い茂る別荘地として名高い地区に入って行った。
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