第14話 九州地区 参戦

「やあ、お帰り。待っていたよ」


 灯夜と葵の二人が乗ったエレベーターの扉が開くと、そこには思いがけない人物が立っていた。


義隆よしたか?!」


 驚いた灯夜に黒田義隆くろだよしたかが遠慮なく近づいて行く。葵は灯夜の後ろに下がりながらも小さく舌打ちした。


 よりによって…。この男がいるとは。


 葵は、黒田の実力を認めているが好きではない。常に冷静でいる葵にとって、黒田の灯夜に対する無遠慮な振る舞いは怒りに近いものだった。

 今もそう…。


「ああ。肩が濡れているな。降り出したか?」


「えっ。あ…。そうだな」


 灯夜の乗った車は、ホテルのメインエントランスに車寄せしたので、実際には雨の下を歩いていない。だが車から降りたときに、濡れた車にでも当たったのだろう。


 自分のハンカチを取り出した黒田が、灯夜の肩を拭きながら腰に手を回した。


 灯夜も、この男には気を許している所がある。ここ数年、灯夜の仕事には葵が常に同行している。だが、彼等の出会いである大捕物の案件の時は、葵はまだ灯夜についていなかった。その時、灯夜についていたのが左馬武である。

 

 何時いつもなら払い除けられる手が、拒まれない事を良いことに、黒田は彼の柔らかな髪にも指をさし入れた。微かに湿りをおびた髪が、黒田の指の間を舐めるように滑り落ちる。


「灯夜様…」


 葵がたまらず声をかけた。


「…あ」


 葵に言われ、やっと黒田が自分の髪の感触を楽しんでいる事に気づいた灯夜が、自分より頭一つ大きい黒田を押し退けて距離をとる。


 黒田は、先日のパーティーが終わった翌日には、九州に戻ったはずだった。ここ東京に来る時は、必ず藤宮本部から連絡が入るか、灯夜のスマホに直接事前連絡が入る。


 故に、灯夜も葵も、この男が来る事を知らされていなかったのだ。


 ……岸、わざと報告しなかったな。


 黒田は、藤宮…特に先代と現社長(灯夜)からの信頼がある事を、彼の部下であれば知っていた。

 おそらくこの男が「姫さんの事は聞いてるから、すぐに調べるよ。かわりに灯夜には、俺が来ている事は黙っといて」…とでも、ホテルスタッフに言ったのだろう。


「実は、俺も三十分ほど前にここに着いたんだ。新野の姫さんの事は聞いたよ。既に君のところと、九州地区うちの者、数名に動いてもらっている。東京こっちに着く前にあたりもつけていたから。俺も今から彼等と合流しようと思うが…。どうする? 一緒に行くかい?」


 黒田の後ろには二人。切れ長の目をした男と、浅黒い肌の茶髪の男。二人は、黒田の右腕と言われている術師と、ボディガード。彼等は、灯夜と目が合うと揃って深くお辞儀をした。


「…場所を特定できているのですか?」


 冷たく聞こえる葵の声に、黒田は特別気にした様子もなく自信たっぷりに頷く。


「まあね。たぶん、そこにいると思う」


「二人は無事なのか?」


 灯夜も、黒田の情報力を信頼している。


「今のところは、無事のようだ」


「…さすがだな」


 ニヤリ…、と黒田が顎をひいて灯夜を覗き込むように顔を近づけた。


「君に褒められると、快感で身体が熱くなりそうだ…」

 

 ダンディーな黒いスーツから大人の男の色香が漂う…。この男がなぜこの歳まで独身を貫いているのか…。

 聞けば「愛しい人に切ない片思いをしているんだよ」と答え、キャ――という女の歓喜の悲鳴がその度に響くのだった。


 黒田はおどけたように眉をあげると、灯夜に向けてウィンクした。


「とは言うものの…、元々目をつけていた奴が、大きく動き出したというだけなんだが…。向こう側に、うちの部下を潜らせていたから、情報も早かったんだ。昼ぐらいに、怪しげな動きがあったので、君に知らせようと思ったら、君が津神守さんの所に行っていると聞いてね」


「それで九州から飛んできたのか?」


「今では、飛行機を使えば福岡から二時間で東京に着く。そんなに遠い距離ではないが、今回ばかりは君の側にいたくてね。例のバチを左馬武に渡したのかい?」


「…あぁ。まさかすぐ、このような事態になるとは思わなかったが」


「君の秘書君も、長篠兄弟も例のバチを持っているんだよね。…妬けるね。君の一部をその手に四六時中握っているわけだ」


 黒田の挑発する目に、葵は無表情でやり過ごす。黒田はニヤリと笑うと、灯夜の背中を指ですうーと、なであげた。


「灯夜。君のその背にある物が、あの組紐に編まれているんだろう…?」


 灯夜にだけ聞こえる声で耳にため息のような息を吹きかけた。


「それを常に身につけ、いざという時はそれを手首に巻き、君の盾となって悪鬼と戦う。なんてロマンチックなんだろうね。俺も灯夜の一部が欲しい…」


「何を言っているんだ? 術師のおまえにバチは必要ないだろう?」


「確かにバチはいらないね。だからこそ、お前が、欲しいんだ…」


「…あんなもの、どうするんだ?」


「クッ。ククク…」


 たまらず黒田がダンディな笑い方をする。


「お前にとって価値のないものと思われても、俺にとってはこの腕に抱きしめて離したくない、大事なもんだったりするんだがな」


「…失礼。黒田支部長」


 目の前のやり取りを、なんとか冷静を保ちながら見ていた葵は、さすがに限界に近い事を悟ると、灯夜の腕を引いて出来た隙間に、自分の身体を滑らせた。


「黒田支部長。私がご一緒させていただきます」


「……」


 あまりに近い位置で言われた黒田が、よく光る目を眇めた。一瞬、黒田の後ろに控える二人に殺気が生まれる。

 いち早くそれに気付いた黒田が、片手を振ると、男達の殺気は何も無かったように静まる。


「…私が、桜サマの救出に参ります。灯夜様、あなたはここでお待ち下さい」


 葵は、まったく動じる事もなく淡々と続けた。この程度の殺気を向けられたところで、逆に頭が冷えて気持ちがよい。

 彼等もプロであり、黒田の危機を取り除く他は、そのあるじの灯夜にのみ、忠誠を誓っているはず。

 そこには、葵の存在など所詮、藤宮の飼い犬程度だろう。

 だが、それで良い。葵とて、灯夜以外は彼に仕えている術師とガード。今ここで、黒田から灯夜を守る事に、何かを言われなくてはならない理由は存在しない。


「いや、葵。俺も行く…」


 黒田と葵の少しの睨み合いのあと、灯夜が静かに口を開いた。


「いけません。おそらく彼等の目的はあなたかと…」


「だからだろ? 俺が行かないと第二、第三の人質がでてしまう」


 灯夜の言葉に黒田も頷く。


「まあ、そうだろうね。ただ、ここまで大胆な行動に出た、ということは…、向こうにもそれなりの切り札があるのだと思うよ。…かなり用心した方がいい」


「あぁ。あちら側に関わっている者はできるだけ捕らえて、何を企んでいるのか、全て吐かせろ」


九州地区うちの者は信頼してくれていい。あと、藤宮の本部からも二十人以上動いてもらった。今回は新野の姫さんも関わってきてるしね」

 

「既に手筈は整っているということか?」


「ああ。あとは君のゴーサインだけ。俺に…、動けと、言ってくれるかい?」


「…行こう」


 黒田の含みに気づきはしたが、今は桜達の事が優先される。


「…わかりました。では灯夜様。約束してください。絶対、私から離れないと。それと、もしも…不測の事態に陥った時は、あなた一人だけでも助かる道があるのなら、私達を捨てて逃げて下さい。いいですね」


「…わかった」


 灯夜も自分の価値を知っている。いざという時は、誰かを犠牲にしてでも自分は生き延びなければならない。そうして霊力が尽きるまで、悪鬼の封印を続けるのだろう。

 …死ぬまで。


「…連れてって良いのかい? 過保護な秘書君が驚いた決断だねぇ」


 葵は黒田の流し目をあえて見ず、エレベーターボタンを押した。まるで呼ばれることが分かっていたように、動きのなかったエレベーターがすぐに開く。


「行きましょうか?」


 灯夜が先に入り、葵が続いた。黒田と、彼の手の者二人も乗り込む。五人を乗せてエレベーターは再びロビーへ向かって降下した。



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