第11話 桜の危機

 ドサ!!


「ぐっ…。ゴホ…ッ。ゴホ!」


 すぐ横で…、何か大きな衝撃と、誰かが咳き込んだような声がする。

 桜は沈みそうになる意識に抗いながら、重い瞼を上げた。


 あ…れ? わたし、どうしたんだろう。


 蒼月館そうげっかんで、まだ用事があると言う灯夜達に、「それじゃあ、先に帰ってるわね」と、左馬武さまたけをつれて迎えの車に乗り込んだところまでは覚えている。


 ここは、どこ…?


 床に寝ているのか…、頬は冷たく、身体はそこら中悲鳴をあげていて上手く動かせない。 

 いや、ちがう。動かせないのではない。足も手も縛られている。


 途端、桜の額に冷たい汗が流れた。


 わたし、捕まった?!


 「一時間くらいですますから、ラウンジでケーキでも食べて待て」と言った灯夜に、桜は「ケーキなら、今日はキルフェボンのフルーツタルトが食べたいの!」と言ってホテルから出てきてしまったのだ。


 大人しく、待っていれば良かった…。


 長篠兄弟の二人のシェフから、何か言いたいことがありそうな雰囲気を感じたが、どうしても今日は藤宮のケーキでなく、自分でケーキを買いたい理由があった。


 だって…、直が特別なバチを灯夜サンから受け取ったのだもの。お祝いしたいって思うじゃない。


 油断していた訳ではない。だが浮かれてはいたのだと思う。


「はぁ」


 大きくため息をついて、辺りを見渡す。徐々に暗闇に目が慣れてきた桜は、自分の姿にぞっとした。

 朝、灯夜と一緒にランチに出掛けられると、ウキウキしながら、オシャレに決め込んだはずの買ったばかりのワンピースが、見るも無残なボロ布とかしていた。袖も胸元も、引き裂いたと言うより、鋭い刃物のような物で切られている。お気に入りのおニューがズタズタだ。

 思わず貞操を心配して、自分の身体に聞いてみる。でも、手足の痛みと、服の乱れ以外は大丈夫だとわかる。下着までは切られていない。


 たぶん…、わたしの事を知っているヤツが誘拐したのね。


 桜は灯夜のイトコだ。藤宮の血をひく桜をキズものなどにして、命などあるわけが無い。


 だからって、こんな事、絶対許さないんだから!!


 誘拐に、監禁。傷害、強姦未遂だって通る有様。人間というよりケダモノのやる事で、許されるわけがない。


 この場所は…、来たことがない所だと思う。どこかコテージか、旅館のはなれの部屋の一室。

 洗礼された家具といい、年代を感じる板張りの床。高い天井…。誰かの別荘かもしれない。

 ただこうした老舗旅館や歴史のある建造物は、藤宮グループでもいくつか持っていて、どこかとまでは見当もつかない。


 桜は、少しでも情報を得ようと、縛られている手足に力を入れた。なんとか身体を起こそうと、身体をひねってみる。


「!!」


 ひっ…と、声を出しそうになり固まるも、そこに横たわっているものは…。


「!! ―――なお?!」


 桜は、全身の血がサー…と、冷たくなるのを感じた。身体の中心から、わけも分からず震えだす。自分の唇がブルブルとわなないた。

 

 床にころがっている大柄な男は、桜の専属ガードの 左馬武 直久。殴られたのか、目のすぐ上の瞼が切れ、服にも血がにじんでいる。


「うそ…。ねえ!なお…っ。聞こえる?! ねえ…っ。返事、してよ!! なーおぉっ!!」


 桜は、手が後ろに縛られているのを忘れて、無理に腕を上げようとし、その勢いのままドサ…と、肩から左馬武の上に乗り上げてしまった。


「ふぐ……」


 意識を失っていただけの左馬武が、目を開ける。ただでさえ厳つい顔を、さらに嫌悪な細い目で桜を見た。

 その目が、みるみる歪んで眉毛と一緒にハの字に下がっていく。


「さっ、さく…らさま? ぐっ。ゴホッ!」


 苦しそうに咳き込むも、とりあえず生きていて、命に別状はなさそうな左馬武に、桜は全身の力が抜けて安堵した。

 

 後ろに縛られている腕がもどかしい。本当は桜が自分の手で左馬武の身体を触って確認したかった。


「すっ、すいません。桜 様。自分が不甲斐ないせいで…っ。新しいお召し物がっ」


 それを聞いた桜はガツンと頭にきた。


「何言ってるのよ! 服なんか、どうでもいいわ! また新しいの買えばいいじゃないっ。そんなことより、一体これはどういうことなの?」


「自分も、よく分かりません。奴ら、声も変えていましたし、自分も頭から布を被されていたので。ただ、残念ながら運転手は買収されていたようです。信頼していた者でしたが、申し訳ございません」


 左馬武は寂しそうな遠い目をした。彼としても信頼ある部下の裏切りはショックなのだろう。

 

「そう。何か理由があるのかしら?」


「彼の娘が、生まれた時から心臓移植が必要な病気で…。おそらく金が欲しかったのだと…」


「そうなの。だからって人を傷つけていいわけではないけどね」


 桜の言葉は正しい。相手の弱みにつけこんでくる輩はクズだが、その為に他の人を犠牲にしていいわけがない。


「桜 様は、お怪我はございませんか?」


「洋服以外は多分無いわ。とにかく、この紐を外せるといいんだけど! キツすぎるのよっ。女の子をわかってないわ。直はどうなの? その目の上の傷以外は?」


「いえ。あちこち殴られましたが、大きな傷はないです。元々頑丈ですので」


 足だけでも外せないかと、自由のきかない手で、互いの紐を引っ張ってみるが、肉に食い込む痛みに耐えきれず諦めた。


「それじゃあ…、私が気を失っている間に何があったの?」


 桜は、じっとしていても仕方がないので状況を整理してみる。


「はい。車に乗り込んで、灯夜様のホテルに戻るところでした。ですが道が違うことに気付いた時にはすでに…、催眠作用のあるガスをすわされまして。自分が気付いた時には、車からちょうど降ろされる所で、そのまま建物の中に連れ込まれました…」


「この建物に見当はつく?」


「自分達が意識を失って、車で二時間で動ける距離という事ぐらいしか今は…」


「どうして二時間ってわかるの?」


「車がこの建物についた時、自分はまだ意識が朦朧としていたんです。ですが自分を担ぐことはできないでしょうから、男に無理やり歩かされたのですが、そいつの腕時計が五時過ぎたところでした。空も夕刻を指していましたし、あえて時計をずらしているとは、考えにくい…。その後に、頭から布を被せられてしまい、今までボコられていましたから、それ以上の情報は…」


「それでも…、さすがね。やっぱり直は、わたしのボディガードだわ!」


「…恐れ入ります」


「向こうの目的は何かしら? わたしを誘拐して身代金要求っていうのも考えられるけど…、それにしては乱暴に扱いすぎよね。わたしに恨みがあるって言うなら、まあ、思い当たる事は、たくさんあるけど…、やっぱりこれは灯夜サン狙いよね?」


「はい。おそらく…」


「最近、わたしが家に帰れずに灯夜サンのホテルでガードされていたのと、何か理由があるの?」


「はい。実は、今まで黙っていたのですが…、九州の黒田支部長から、次は桜 様が狙われるのではないか…という情報がありました。そのためガードを増やして気をつけていたのですが、今日は自分が新しいバチを灯夜様から頂戴するお約束でしたので、自分と運転手しか桜 様についていなかったのです。行きは、灯夜様と、葵どのがおられましたし、蒼月館そうげっかんにつけば、長篠の御兄弟がおられます。そんな所に襲ってくるとは思えませんし」


 頷いた桜は、はっと何かに気づいた。


「ええ。その通りね。わたしが先に帰るって言わなければ、そんな隙はつくられなかった。わたしのせいね…」


「いえ。自分も止めなかったですし、このようなバチをいただき、己の力を打診したのだと思います」

 

「直は止めたわ。灯夜サンも長篠の三兄弟も止めた…。わたしがわがまま言って、先帰るって言ったのよ」


「……」


「ごめんなさい。わたし直の嬉しそうな顔が早く見たくて…。あの場所じゃあ、直は素直に喜べないでしょう?」


「桜 様…」


「わたし、あのパーティーの夜まで、みんなが使っているバチは同じものだと思っていたわ。それが葵が持っているものが特別で、その特別なものが、直に渡されていないと思ったら、すごく悔しくてっ。私に力がないせいだって、言われてるみたいでっ」


「…桜 様。自分は…」


 ガチャ! 


 扉が開いて、男三人が入って来た。一人の恰幅かっぷくのある中年の男が桜に近づきながら口を開く。


「これはこれは…、お目覚めでしたかな? 新野のお嬢様」


「関西支部長、池田克重いけだかつしげ…」


 桜は、中心にいる男を睨みつけた。

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