第10話 バチの秘密
悪鬼がパーティー会場を襲撃し、新社長が銃撃された藤宮社長就任パーティー。大事件であったにも関わらず、警察やマスコミが騒ぎ立てる事はなかった。
ただ新聞の隅に『藤宮グループ新社長就任パーティーの最中、会場の窓ガラス割れる』と小さく掲載されていただけ。
大きな怪我人がでなかったのは幸いだろう。
一番の怪我人である灯夜が、怪我の事実を隠してしまい、極一部の側近しか知らされていなかった。
その為、あら方、片付けが終わった会場に姿を見せた灯夜を、ホテルスタッフと関係者は一様に安堵した。裏腹に、灯夜にはかなり無理があった筈だろう。
だが、柔らかな笑顔を振りまきながらスタッフ達を労って歩く彼の姿に、それを気づく者はいない。
「かなり痛いでしょうに、良くそんな美しく歩けるもんですね…」
半ば感心しながら言った葵は、割られた窓ガラスを見上げながら呟く灯夜の言葉に、己の軽口に猛省した。
「自分の怪我の痛みには慣れているからな…」
…怪我に慣れる筈など無い。
歩く姿勢までもが、厳しく教育された躾と知っている葵は、何も言えずただ「余計な事を言いました」と、目を伏せた。
そんならしくない葵の様子に、灯夜も又、らしくなく自嘲の笑みを漏らす。
結局暫くは、シャワーも満足に出来なかった灯夜を、葵が世話を焼き、日常生活に不自由がなくなった今は、葵の楽しみもなくなったような感覚だった。
灯夜の相変わらずの美貌に、あの日見せた苦悶の表情は想像できない。
…あの時、葵は欲情のまま、何をしようとしたのか…。今となっては、彼にキスをしたかったのか、もっと先の事も求めていたのか…、それさえわからない。
黒田の通話が切れた後、葵は熱くなった頭で灯夜の肩をきつく掴んでいた。強引に顎を持ち上げ、自分の顔を近づけると…、灯夜の茶色い目とはちりと合ったのだ。
「……起きてましたか?」
「上から、お前の大声が聞こえたら、普通に目が覚めるだろ」
「…申し訳ございません」
「
全て聞いていた灯夜の口ぶりに、黒田とのキスの真相を問い詰めてしまいそうになる。
そもそも、恋人でもないただの侍従関係で、詰問して良い事柄ではない事はわかっていた。
葵は自分の爪を手のひらに食い込ませて、苛立ちも、愛執も、全てを胸の奥底へ追いやった。
すー…と、冷静を纏った葵に、灯夜は寂しそうな顔を一瞬させたように見えた。しかし何も言わず、身支度を整え黒田を迎え入れたのだった。
あれから…、三週間。
「あー! 嫌になっちゃう!! いつになったら家に帰って良いのよぉ」
椅子に座った桜が、開口一番不満を叫んだ。
「もう! 大学の授業まで愛想の無い男がついて来るし、行きも帰りも黒塗り車でガード付き。わたしの自由時間はトイレとお風呂だけなのよ! それだって
桜の専属ガード
「…桜 様。その言い方は誤解が生じるかと存じます」
「今はしかたないだろう」
灯夜は、桜の右隣の椅子に座りながら彼女を宥めた。
「灯夜さんと一つ屋根の下で生活できるのは、嬉しいのよ。毎朝一緒に朝ごはん食べてるって、青い小鳥に呟いてみたら、反響凄かったわ! ネット社会って恐ろしいわね」
「…桜 様、無駄に敵を作らんでください」
「桜。左馬武の言う通りだぞ。守られる者は、守る側の苦労を知っていなきゃいけない。それはもう、最低限のマナーだ」
「守る側の苦労? 直、苦労してるの?」
桜が後ろで立つ大男を、椅子に座るよう促す。
彼は灯夜の許可をもらってから、出入口から一番近い桜の左隣に座った。大きな身体のせいか椅子がかなり小さく見える。
黒田と同い年の左馬武だが、見た目はかなり年上に見える。桜と親子と言っても、通りそうだ。それだけの経験と現場での苦労があったのだろう。
「…いいえ。桜 様をお守りする事に苦労など感じません」
「ほら? 直も苦労なんて無いっていうんだから、大丈夫よ」
「…左馬武。お前も苦労人だよな。いつも桜をガードしてくれて感謝してる」
「いえ! 過分なお言葉です。自分は桜 様を幼少期より存じておりますので、貴方様 同様、大切なお方に代わりありません」
「そうか。ありがとう」
灯夜と、左馬武。葵までもが、桜の幼少期を思い出し懐かしむようにしんみりした。桜の幼少期…。それはもう、泥まみれで…。
桜は、生暖かい目を向けられて居心地が悪くなる。
「とにかく、桜 様。その青い小鳥とやらは削除するように」
灯夜の右隣に座った葵が、厳しい目で桜に言った。
「もう消したわよ!」
拡散されたぶんはどうしようもないけど…。
ふんっ…と、拗ねた桜は「はい、灯夜サンお茶♡」と甲斐甲斐しく急須からお茶を注いだ。ついでだから!と、葵と、左馬武にもお茶を配る。
今日は、ランチをとるため、灯夜の就任パーティー会場であった
ホテルの新館一階にある和食割烹
椿と竹で店を囲い、入口は格子ガラスで店内は見えない。
ランチタイムと言ってもランチ営業が過ぎたニ時過ぎ。
他に客は無く、
カウンター内には、コックコートを着た大柄な男が、ショーケースから取り出したマグロの
葵に背格好がよく似ているのは、彼が葵の歳の離れた二番目の兄であるからだ。
刺し身を食べた桜は、さっきのやり取りを忘れたかのような上機嫌。
今日このホテルに来た理由を思い出せば当然といえば当然。
実は例のバチを左馬武が受け取れる手はずになっているのだ。
アサリの出汁がよく効いた味噌汁をすすっている頃、ホテルの総支配人 津神守が藤色の風呂敷包みを大事そうに抱えて光琳に来店した。
津神守の一歩後ろで控えるのは、三週間前会場に白馬の騎士(コックコートの騎士?)の如く乱入してきた男。津神守と男が恭しく灯夜に頭を下げる。
一同が、カウンターからテーブル席へ移動すると、津神守が風呂敷包みを丁寧に置いた。そこにいる全員の目がその一点に集中する。
灯夜は、そんな雰囲気を気にしたふうもなく風呂敷包みを開いた。
そこには綺麗に研磨された五十センチほどの木刀。
灯夜は、ひょいと軽く持ち上げ柄についている組紐をまじまじと見つめた。
大太鼓のバチの由来は、長さだけで無く、この持ち手についた組紐。日本刀で言う鍔の役目をこの組紐が担っている。組紐に手首を通すことで命綱であるバチを落とす確率を低くし、悪鬼を弾じいた時に、一緒に勢いで持っていかれない為。
「……いかがですかな?」
穏やかに尋ねる津神守に、灯夜は微笑して頷いた。
「あぁ。良く、馴染んでいる」
ふわりと、バチに灯夜の熾火が纏う。組紐がボッ…と、一瞬燃えあがり黄金色に輝く。その後吸収されるかのようにすー…と、バチは静かに光を吸い込んでいっだ。
「すごいわぁ〜♡ どうやったの? 見た感じ今までのバチと何も変わらないけど、この組紐から灯夜サンの霊力を感じるわ!」
「それ以上は詮索しないように」
桜の興奮を葵が突っぱねる。
「何でよ! 葵はいつも秘密主義ね。灯夜サンを独り占めはずるいわよ」
「独り占めとは、聞き捨てできませんね」
「独り占めよ! だってこのバチだって葵は持っていたんだし。あっ、あなたのもそうなの?」
桜が津神守と一緒にバチを持ってきた男を見る。あの時、戦場と化した会場に飛び込んで来たコックコートの男。葵の一番上の兄。
そう、この特殊なバチは長篠の三兄弟だけが持つ、灯夜の羽根を組紐に編み込んだ特別なバチだった。
「とにかく! 左馬武、キミが受け取るバチは灯夜様が認めた者のみ。心して扱って下さい」
葵の言葉に、左馬武は誇らしげに胸をはる。
桜もそんな左馬武を見て嬉しくなった。
「それにしても…、今敵が襲って来ても、軽く返り討ちにできるわね! 大男が四人! それに無敵の灯夜サン。術師のわたしと、塚の番人の総支配人!」
この時の桜はどんな悪鬼だろうと、卑劣な人間だろうと、負けない自信があった。
だが、敵の卑劣さは、桜のさらに上をいくものである。
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