第9話 襲った者と襲われた者
暗がりの殺風景な部屋の一室。肘掛けのソファーに男がゆったりと座っていた。貫禄たっぷりのこの男がこの部屋で一番の権限があるのだろう。歳は五十くらいか…。
中央のテーブルを挟み、横長のソファーには、年格好の似た男二人が並んで座っていた。
「…失敗か?」
男のその声に落胆の色はない。
「まあ、この程度で消えてくれるなら初めから苦労はないんだがな…」
「……」
「例の男は?」
「九州の黒田に捕まった時点で諦めたようです。奴に取り押さえられてすぐ、自害しました…」
「…そうか。それは残念だ」
残念? 薄ら笑いの男の口調に、到底残念などという感情があるとは思えない。
「ヤツの妻と、子供はどうしますか?」
「身内の悲しみを背負って生きていくのは辛いものだよ。一緒に行かせてやればいい」
「…承知しました。それにしても、藤宮当主の霊力があれ程とは…、驚きましたな」
「そうかね? うっかり手を出した…で、すむ相手ではない事くらい、最初から君等も知っていたのではないのかね? 我々が束になってぶつかっていった所で、到底かなわんさ」
「…では、
「ふん。九州の若造が! まあ…、いい。今すぐ我々をどうこうできんよ。我々が何かした証拠もない。藤宮のお若い当主とて、どれだけ力があっても、身内の情には弱い。そうだろう? 例えば…、そうだな。子供の時からよく知っていて、自分を慕っている大事な女とか…」
「…
ひゅ。―――ガシャン!!
一瞬、池田の殺気で二人の血の気が引く。側にあった酒瓶を池田が壁にぶつけたのだ。壁で粉砕した瓶は、残っていた酒で壁を汚し、タラリ…と、床に滴り落ちる。
向かい側に座っていた男の鼻筋からは、酒瓶が掠ったのか、ツーと傷から血が滲み出た。
「ぶ! あはははー!!」
池田は一瞬見せた殺気を隠すよう豪快に笑った。
「なに、たいしたことじゃないさ! これからの時代、我等が国を動かし、世界を動かす! 我等のような特別な人間が、上に立つのだ! 何の苦労もせず、ふんぞり返って国を動かすろくでもない人間どもに、なぜ我等は使われなければいけない?! 理不尽極まりない。違うかな?」
「…くそっ! 忌々しい政治家共め!!」
「だが、それも終わる。藤宮の血など消えてなくなれば皆が、我等に賛同するだろう。もうすぐだ! もうすぐ…。ふふ…っ。あははは――――」
「あぁ、そうだ! 我等が国を動かし…、世界を手に入れる!」
「もう、この身を削って悪鬼と対峙する事もない。池田どの、やっと我等は解放されるのですな!」
男達の異様な高揚感に包まれた部屋の窓辺に、雲から顔を出した月が光をさした。そこから、一羽の鳩が飛び去っていった事に気づく者はいなかった。
* * *
ヴー、ヴー、ヴー…。
葵は、スマホ画面が明るく光った事で閉じていた目を開けた。ベットの上部の壁に枕と布団をあてがい自分の身体を支え、両腕は静かな寝息をたてている男の身体を包んでいる。
ちっ!
スマホ画面に出ている名前に舌打ちし、それでも通話ボタンを押すために手を伸ばした。
「はい?」
「やあ、秘書くん。彼の具合はどうだい?」
妙に軽い黒田の声に、怒りさえ感じてしまい、舌打ちしそうになりながらも冷静を保つ為にため息を吐いた。
「…灯夜様に出血はありません。防弾ベストを着ておいででした。ですが、銃で撃たれた衝撃で肋骨にヒビが入っている可能性があります。霊力はだいぶ消耗していますが、この三時間程である程度は体力は戻ってきているでしょう」
「そうか! とにかく良かった。彼は起き上がれそうかい?」
「…そちらも、この三時間で収穫はありましたか?」
「まあな。彼の寝顔を君が独り占めしていると思うと、俺は嫉妬で集中できなかったんだけどね」
「…ご苦労さまでした。では十五分後に部屋へおこし下さい。ルームナンバーは…」
「あ〜、秘書くん? 彼に触れたのはどこまでかな?」
黒田のニヤリとしている顔が見えるようだ。葵は至って冷静を装う。
「……どのような、意味でしょうか?」
「君が、欲情のままに彼を押し倒していないか…と、いう意味だよ?」
「…もし、そうしたと言ったらどうするんです? 私を排除しますか?」
「いや。俺はそんな事しないよ。灯夜の色気に抗い続ける事ができる男の方が、腑抜けだと思うしね。ただ…、一時の欲や、その場の勢いの軽い気持ちでって言うなら…」
「は?! 軽い?! そんなちっさな感情、私には持ちあわせていない!!」
――――暫くの沈黙。
お互いが、お互いの気持ちを探っていた。
「あー、コホン!」
黒田が先に沈黙を破る。
「…声を荒げるなんて、君らしくないね」
「…ええ。本当に」
こんな男の挑発にひっかかる程、自分は余裕を無くしていたのだろうか…。
灯夜の身体の暖かさと重み。色素の薄い髪が彼の顔にかかるのを払い、耳にかけてやるとピクリと眉をよせる。
汗ばんだ服を脱がせ、ホテルのバスローブに着替えさせれば、灯夜の肌の色と匂いを感じずにはいられない。
胸に直にあたる彼の寝息も、目の前にある
故に葵は目を閉じていたのだ。
「なるほどね。君が忍耐強い事はわかったよ。せいぜいこれからも頑張ってくれ。ただ、君がその程度なら、俺が先に彼を頂いても、悪く思わんでくれよ?」
「!!」
「あ、そうだ。彼の唇は味わったかい? 柔らかいだろ…。霊力が強いぶん、体温も高いから、彼の熱に溺れそうになるんだけどね…。じゃ、十五分後」
黒田の通話が切れた。
今、なんて、言った? 柔らかい? …あのキザな男の唇が、灯夜のこの唇に…、ふれ…た?
―――っ!!
葵は、始めて欲情のまま灯夜の肩をきつく掴んでいた。
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