第8話 翼持つ種族

 あおいは、津神守つかもりから渡されたカードキーで部屋に入ると、電気もつけず灯夜とうやを抱えたままベットサイドに座った。

 腕の中の灯夜は、ギュッと目を閉じたまま微動もしない。


 気を失っているのかと覗き見ると、暗がりでも美しい顔が、何かに耐えるよう微かに睫毛を震わせている。


 葵は、灯夜が体重をかけやすいよう少しだけ身体を倒し左手を後ろについた。右手は灯夜の腰を強く支える。


「灯夜様……」


 自分の声が吐息のように甘い。それに気づかないフリをして灯夜を促す。


「っ……も、う、いいか?」


 灯夜の熱い、苦しげな声。


「はい…」


 部屋の鏡台には、自分の独占欲に駆られた顔が映っている。幸い灯夜からは見えないだろう。


「……カーテンは?」


「閉まっております。大丈夫です。身体を解放して…」


「っ! はあっ!」


 暗がりの中、灯夜の一際ひときわ高い声が響いた。

 同時に、バサリ! と、大きな羽音が響き、灯夜の背に影が被う。


 大きく、あでやかで、金とも銀とも違う月光色げっこうしょく

 灯夜の背にあるそれは、世間一般でいうつばさだった。


 羽根はねと羽根の重なり合う影があおく、一羽ひとはねごとに発光してるのかと見まごう程。


 普段は、霊力ちからで背の中に隠しているのだが、霊力が弱まったり集中が切れたりすると、本来そこにあるものは隠しきれない。

 背の皮膚を突き破り、広げようとする翼を抑え込むのは、かなりの激痛をともなうものだった。


 葵は、横抱きに支えた灯夜の荒い息づかいが落ち着くまでじっと待つ。


 人の体重を持ち上げるほどの翼はとても大きく、葵が座った膝抱ひざだきの状態では、彼の翼は柔らかな曲線上を描きドレスの裾のごとく床に流れていた。


 暫らくすると上下に揺れていた肩がおさまり、ふーと、熱い息が直接胸にあたる。


「……会場は?」


「支配人と、黒田支部長がおりますので問題         ありません。撃った男もおさえてあります。

あなたは、大丈夫ですか? 撃たれた傷の   具合は?」


「…息をすると、痛みがある。たぶん、肋骨あばらにヒビが入った」


「出血が無いか、調べても良いですか?」


「ああ」


「私がやります。……どうか、そのままで」


 葵は、灯夜の火照ったような熱い身体を支え直す。

 真っ白なウィングカラーシャツに血痕けっこんは見えないが、慎重に胸のプリーツ部分にあるボタンを、ひとつずつ外していった。すべてのボタンを外す前に、目にした防弾ベストに、ほっと肩の力が抜ける。

 だが、自分の胸元にある灯夜の柔らかな髪を、嫌味と分かるよう睨んでしまった。


「珍しいですね。普段は、私が強制しても絶対に着ようとしませんでしたが?」


 葵に身体を預けたままの灯夜は、クッ… と、くぐもった笑い声を出した。


「桜の直感を信じたまでだ。あれでも一応、藤宮の血が流れているからな」


「そうですか。では、あなたは直属の部下の言葉は聞き入れないのに、身内の直感は信じるんですね? 桜サマが聞けば、飛んで喜ばれます事でしょう」


 葵の嫌味に、灯夜は再び微笑した。形のいい口角が上がる。ただそれだけでまとう雰囲気が色濃いろこいものに変わる。


「葵…、おまえ、俺の信頼度を、桜と天秤かけてどうする?」


 つやめいた瞳で上目遣いに見られれば、葵とてただその瞳に魅入るだけだ。


 薄暗い部屋の中で、灯夜に熾火おきびともる。


 はだけた胸の灯夜は、ダブルカフスが辛うじて引っ掛かったしなやかな腕を、だるそうに上げた。背中の翼は腕に呼応こおうするよう、大きく開く。

 ホテルの一室では窮屈きゅうくつそうな翼。しかし圧倒的な月光色に目が奪われ、思わず両腕で抱き締めそうになる。


 葵の揺れる感情を知ってか、月明かりに花びらが舞い散るよう、翼から離れた美しい羽根がふわりと葵の頬を撫で落ちた。


 珍しく驚いたように目を見開く葵に、灯夜は満足気に笑う。

 葵は、灯夜の腰にまわしている自分の右手に、力が入るのを自覚した。


 こんなふうに見せつけなくても、自分の一生は、灯夜に捧げる覚悟でいる。


 敵が前にいれば盾となろう。

 不安があれば取り除こう。

 何よりも代えがたい……。

 葵が守るべき、唯一無二の存在。


 灯夜と初めて会ったのは中学の時。両親に荘厳そうごんな雰囲気が漂う老舗旅館しにせりょかんに連れてこられた。そこでうやうやしく頭を下げる両親の目の前に、当時の藤宮の社長がいた。


 長篠ながしの代々だいだいえる家系だった。その為、両親も、祖父母も共に藤宮グループで働いていた。大学を出たばかりの一番上の兄も都心の藤宮のホテルへ配属になっている。

 二番目の兄はまだ大学生ではあるが藤宮の案件を手伝っていた。

 子供ながらに葵は、歳の離れた二人の兄を尊敬し、長篠の名に恥じる事のないよう日々説き伏せられていた。


「これが私の三男、葵でございます」


 父親に促され一歩前へ進み出る。射抜くような男の目にひるむも、ぐっとこらえ前を向いた。


「あおいです」


 威風堂々いふどうどうたる目の前の男に頭を下げる。


 子供を目の前にニコリともしない男は、初老と呼ぶには、不似合の威厳いげんがあった。


「……長篠の力は備わっているか?」


「はい。上の二人の息子以上と感じます」


「ほぅ…」


 男が光をさした目をすがめる。


「では、葵。私には七歳の孫がいる。娘夫婦を昨年亡くしていてな。心細い思いをしていよう。おまえには、歳の離れた兄がいる。孫にも、そんな兄のような存在を与えてやりたい。おまえに任せれるか?」


 初めて男の顔に人じみた愛しみを感じた。


 呼ばれて姿を見せた幼い少年に、両親は片膝をついて平伏へいふくする。


 葵は、ゆっくり少年に近づいた。


「はじめまして。あおいと言います」


 怯えさせないようにっこりと笑うと、小さな少年はペコリとお行儀よく頭を下げて微笑んだ。


「とうやです。なかよくしてください」


 柔らかそうな髪に、茶色かかった目。

 綺麗な顔立ちの少年は、大人になるにつれ美貌にさらに磨きをかけ、確固たる実力と結果を残し、藤宮の当主が務まるほどの霊力を身につけていった。


 己の立場を理解し、経験を積み、決しておごること無くただひたすら役目を果たさんとする姿は痛ましいほどに…。


 輪廻転生リンカネーションの霊力をあわせ持つもう一つの秘話。


 翼持つばさも種族しゅぞく


 藤宮こそ、その種族であった。実際に生まれたのは五百年ぶりとされる。


 灯夜に翼があると知る者は少ない。日常では常に神経を尖らせて生活し、国や地方から来た不可解な案件や依頼には、睡眠や食事を削ってでも真摯に向き合っていた。


 そんな彼を側で見て来た葵にとって、自ら志願して彼の補佐についたのは、必然的だったと言えよう。

 


 ふわり……と、風が流れる。


 視界いっぱいの月光色が揺らぐ……。


 灯夜がゆっくりと目を閉じると熾火は光をうしない、暗闇の中、翼は先ほどと同じように床へビロード状に流れた。


 静けさと暗闇の中、身体を預ける灯夜の重みが葵の心情を満たしていく。


「少し眠ってください」


「このままの体勢でか?」


「横になると翼を痛めてしまいますから。今は霊力が弱まっています。無理に背にしまわない方が良いでしょう」


「……うつ伏せでもいいぞ」


肋骨あばらを痛めてる人が何を言っているんです? 後ほど医者を呼びますので…。私を、布団だと思ってくださって構いませんよ」 


「布団は嫌味を言わないぞ。……少し眠る。 いいか?」


「はい」


 起きれば修羅場が待っている。


 桜もバチの件で追求してくるだろう。


 葵は、西との衝突を視野に考えを巡らせた。

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