終戦
幼い少年は地面に座り込んで、アリの巣を埋めていた。
今日、ここではお茶会が開かれており、少年は両親に連れてこられていた。お茶会には婚約者探しの側面もあって、彼の元には次々と女の子が寄ってきた。
最初は我慢してベンチに座っていたが、両親の目が離れた隙に逃げ出してきた。
久しぶりの両親とのお出かけなのに、なぜ他人と話さなければいけないのだろうか。
少年は少し、拗ねていた。
「あっ、ターゲット発見!」
後ろから、明るい声がした。振り返ると、ドレスを着た女の子が駆けて来ようとしていた。
可愛らしいその子は、途中で豪快に転んだ。頑張って立ち上がり、シリルの横にやってくる。
ぜぇぜぇ肩で息をしながら、女の子は言った。
「ねえ、遊びましょう!」
「僕と?」
「そうよ! これからやるのは遊びよ!」
「何して遊ぶの?」
女の子が胸を張って、どこかから取り出した箱を突き出してきた。正面にハテナマークが書かれており、上面には手を入れられそうな穴が空いている。
「ドキドキ! 箱の中身当てゲームでーーす! パフパフパフー!」
大人しく座っておけば良かった、と少年は思った。
■■
シリルは、3階の教室で人を待っていた。
夜の空は、雲に包まれていた。美しい月は雲に隠れて、少しも見えない。
ドラゴンのステンドグラスも闇に沈み、目だけが不気味に光っていた。
アリシアがまだ帰ってきていないと、ブラウン家の執事がシリルに連絡してきた。彼女が奇行に走るのはたいていシリル関係だ、と家人たちは理解しているらしい。なにかあれば毎回早馬が来て、苦情を言われるのだ。
仕方ないので、シリルは学園まで探しに来た。そうして、アリシアの居場所を見つけたという手紙を拾った。
顔を上げる。
一人の少女がシリルの前に立っていた。
普通なら気付かないほど静かな足音と、薄い気配。でもアリシアほどではない。
「来てくれたんですか? 会えて嬉しいです」
少女――フェリスは魅力的に笑った。シリルはにこりともせずに応答した。
「今婚約者を探してて忙しいんだ。君のせいでね」
「私のせい? 私がさらったと思ってるんですか?」
「睡眠剤の匂いが残ってる」
フェリスが息を吐いた。髪をかき上げ、素に戻る。
「へえ、分かるのね。まさか使ったことがあるのかしら?」
「いや逆……まあいいや。それで、何の用で呼び出したの?」
「取引しに来たのよ」
「アリシアは攫ったわ。殺すように言われてる。でも、あなたに居場所を教えてあげる。救出する手助けもしてあげるわ」
シリルは訝しげにフェリスを見た。
「ネブラ公爵を裏切ると?」
「初めから仲間じゃないのよ」
「対価は?」
「金よ。領地と爵位を買うための資金援助」
「故郷を買う金か。俺はただの生徒だよ。そんな金は持ってない」
「貴方たちにとってはお小遣いレベルでしょ? 平民には一生かかっても夢みたいな金額だけどね」
シリルは首をひねった。
「分からないんだけど。ネブラ公爵が君に土地を売ってくれると思ってるの?」
「……ネブラ公爵の汚職の証拠を見つけたの。想定外に時間がかかったけど、他にもいろいろ。アリシア誘拐とその証拠があれば、ブラウン侯爵がネブラ公爵を潰せるでしょう。その後、ウレイユをブラウン家から買い取るのよ」
シリルは頷いた。
「なるほどね。確かに、俺はアリシアを助けないといけない。でも、君のことを信用できないな。ネブラ公爵を裏切るなら、この取引を裏切らないとは思えない」
「初めから仲間じゃないって言ったでしょ? あいつは私との約束なんて守るつもりはない。それどころか、私を犯人として突き出すつもりなのよ。始めから分かってたわ」
「約束?」
「アリシアを殺す手伝いをする代わりに、故郷を寄越せって取引よ。いい取引でしょ?
アリシアが学園に入学してくれたおかげで、作戦がやりやすくなったわ。いろいろなことを知れたしね」
「取引相手に俺を選んだのはなぜ? 身代金要求ならブラウン家にするべきだろ」
「アリシアは愛されてないから、あの侯爵は動かないわ」
シリルならアリシアのために動くと思ったらしい。
「照れてんじゃないわよ!」
シリルは、にやけ顔を引っ込めた。
「……君はブラウン侯爵と話すべきだ。君の故郷はゴミじゃない。アリシアも――」
「うるさいわね! アリシアを助けたいんでしょ? 早く返事を」
「わざわざ姿を現して取引するほど焦ってるの?」
シリルはフェリスを遮って言った。
フェリスが顔をしかめる。
「嘘をつくのは良くないよ。救出を手助けする、これは嘘じゃない。でも、犯人として突き出されるから、これは嘘だ。君は一人で戻りたくないんだろう? 殺されるから」
「何言ってるの?」
「俺ならそうする。死者は弁解しないからね」
フェリスは反論しなかった。しかし、余裕げに嘲笑を浮かべた。
「だから、何? 私が殺されようが殺されまいが、アリシアは死ぬのよ。
私が焦ってるって? そう言うあんたは、さっきから時間稼ぎばかりしてるわね。ご親切な質疑応答タイムは終わりよ。返答を伸ばして、今のうちに探させようと思ってるわけ?
いい気味だわ、もうすぐアリシアは殺される」
シリルは立ち上がった。顎に片手を当てて考えるしぐさをして、歩き回る。
教室の真ん中で立ち止まり、窓際にいるフェリスを振り返った。
「交渉は決裂だ」
「婚約者に情がないの?! 死んでもいいのね?!」
雲の隙間から、月が顔をのぞかせた。明るい光で、ドラゴンが浮かび上がる。
「あー、まあ、前提が間違ってるから」
次の瞬間、ステンドグラスの窓が大破した。ガラスの破片が降りそそぎ、それと一緒に、人が落ちてきた。
■■
私は窓をぶち破ると、勢いのままフェリスに掴みかかり、床に押し倒した。動けないようにがっちり固める。
「ごめんなさい! でも動かないで聞いて!」
「何?! なんなの?! なんであんたが! ここ三階よ?!」
「騒がないで。敵の応援が来るわ! 一緒に逃げましょう!」
「あんた見張りはどうしたの?! 男どもがいたでしょ?!」
「倒してきたわ!」
「倒した?!」
「フェリス、あの人たち詐欺師だわ! 犯罪のプロとしてお金をもらうにはあまりに未熟! 腹が立つわ!」
縛り上げた彼らに、プロ意識がないのか!と怒鳴ってしまったほどだ。
フェリスが素っ頓狂な悲鳴を上げた。私が首をひねっていたら、笑い声がした。聞きなれた声にはっとする。
「え、どうしてシリルがいらっしゃるの?」
「浮気じゃないよ」
急いでる時にどうでもいい茶々を入れるな。
シリルは笑いながら、私たちに近づいてきた。
「彼女はね、ネブラ公爵と取引してたんだ。君を殺す代わりに、故郷を貰うって。でも、ネブラ公爵が約束を守らずに自分を殺すだろうってわかってたから、俺に交渉しに来た。
君に命の危険がないせいで、決裂したけど」
「ああ、そうでしたの。関係ないのに災難でしたわね」
「関係ない……? よくここが分かったね」
「シリルがメガロドン号を寄越してくれたでしょう? 感動してしまいましたわ」
「喜んでくれた?」
「ええ、強さに本当に感動しましたわ! 共に男達を蹴散らした時、成長した子供を見る親のような気持ちでした……!」
「……」
なぜ不満げなんだ。よく分からないので放っておくことにする。
「フェリス、私を殺すつもりじゃなかったのね」
「もう終わりだわ……」
フェリスがつぶやいた。
「終わりって? どうして?」
「とぼけないでよ! 私を犯人として突き出すんでしょう?!」
「そんなことしないわ」
突き出されるとしたら私の方だ。
「私はあなたを殺そうとしたのよ?!」
「気にしなくていいわ」
私の方が回数重ねているのである。
「同情のつもり?! どうせあんたも、不毛の地の娘だって馬鹿にしてるんでしょ!」
「不毛の地なんて、そんな」
「あんた、視察に父親と来てたじゃない! よっぽど過ごしやすかったことでしょうね! あれからウレイユは、ブラウン侯爵すら見捨てた土地だ、とあざ笑われているのよ!」
フェリスが私を憎々しげに睨みつけて、でも力なく下を向いた。
「ブラウン侯爵も、ウレイユなんていらないでしょう。どこかの貴族に売り飛ばされて、ずっと虐げられるのよ」
私はなるべく言葉を選びながら、フェリスに言った。
「ねえ、聞いてほしいの、フェリス。お父様は、確かに結果的にはウレイユを選ばなかったわ。私、その時、どうしてこっちなの?って聞いたの。そうしたら、『ウレイユは自分がいなくても再建できる』って仰った」
フェリスが目を見開いた。
「その言葉を聞いた時、意味が分からなかったの。でも、今は分かる。貴方のような、故郷を大切に思って自分で行動する若者がいるって、気付いていたんだわ」
私は腕を緩めた。フェリスは抵抗しなかった。
「お父様はウレイユを見捨てたりしないわ。
ねえ、諦めないで。まだやり直せる。私、フェリスが罪に問われないように、お父様にお願いするわ。ちょうど借りが残ってるから聞いてくれるはずよ。だから、フェリス、貴方は領地再建計画を出してくれないかしら。
あなたが有用な人材という証明と、ウレイユに投資する説得材料があれば、お父様はお金を出してくれるわ。フェリスが卒業したら、ブラウン家で登用してくれるはずよ」
フェリスはひどく狼狽していた。それから、信じられないというように私を睨んだ。
「な……なんであんたがそんなことまでするのよ?!」
「あなた、ずっと故郷の為に必死に勉強してたんでしょう? ほら、あなたの発表、とても良かったわ。
私があなたを助けようと思ったのは、そんな姿勢を見てきたから。
私は……あのね。あなたのやってきたことを、無駄にしたくないの。あなたが、自分のやってきたことには全部意味があったんだって、領地の為になったんだって、そう胸を張っていられるような未来であってほしいの」
それはきっと、私が欲しかった言葉で―――でも、もう手に入れられない言葉だった。
私はフェリスを開放して、彼女の背に手を添えながら上半身を起こさせた。
「シリルも手伝ってくれる?」
「アリシアが望むなら、当然だよ」
フェリスが肩を震わせて泣き出した。両手で涙をぬぐいながら、小さな声で、ごめんなさい、と呟く。
フェリスの涙が収まるのを待って、シリルが言った。
「さて、和解したところで提案なんだけど、これから3人で、悪人を全員捕まえるなんて、どうかな?」
■■
応援にやってきた暗殺者たちは、10分ぐらいで片付いた。
三人で、全員並べてさるぐつわを噛ませ、木に縛りつけた。
「ほ、本当に強いのね……」
フェリスが私を見ながら呟いた。いや、フェリスの動きもなかなかすごかった。
シリルが私を見た。
「アリシア、自白剤持ってるよね?」
「え、ええ」
……何で知ってるんだ。
自白剤を飲まされ、暗殺者たちはペラペラ話し始めた。これだけの証言があれば、ネブラ公爵も言い逃れできないだろう。
ふっと一息ついたその時、視界の端がチカっと光った。
もう一人いた! 投げナイフだ。正確に、こちらに飛んでくる。
ナイフはシリルを狙っている。私はシリルに飛びかかって、押しのけた。
―――衝撃と痛みが、一瞬遅れてやってくる。
ああ、死ぬのか。当然の報いだ。
走馬灯のようなものが、頭の中を駆け巡る。
転生の神様とかいるのだろうか。いるなら、願いたい。前の世界には生まれ変わりたくない。でも、こっちの世界にはもう一度生まれてみたい。きっとこの国は滅びないから、その未来を見てみたいんだ。
ああ、やり残したことがあった。ちゃんと、謝らないと……
意識が遠くなって、力が抜けていく。遠くの方で、誰かが名前を呼ぶ声がした――。
■■
光で目が覚めた。
見慣れない天井と、サラサラのシーツの感覚。かすかに聞こえる、小鳥の鳴き声。ふわりとした柚子の匂い。
――生きてる。
ひどく体が重くて、節々が痛い。なんとか上半身を起こすと、傍らにシリルがいた。ベッドに突っ伏して眠っている。
無事でよかった、と安堵して、シリルを起こした。
「ア、アリシア……!」
目を開けたシリルが、私に抱き着いてきた。ぎゅうぎゅう締め付けてくる。
「もう目覚めないかと思ったんだ……ああ、夢みたいだ」
シリルがうっと言葉をつまらせた。目には涙が浮かんでいる。
「よかった、目覚めてくれて。酷い重傷でね、二日間、目を覚まさなかったんだ。もうこんな無茶はしないでくれ」
そうか、それでこんなに体が重いのか。
「あの、フェリスは……」
「フェリスはブラウン家で保護されてるよ。今回のことはネブラ公爵が主犯で、フェリスは脅されて従わされてたことになってる」
「よかった……」
展開が早い。さすがである。
シリルが私から手を離した。じっと私を見つめている。
「君が隣からいなくなるんじゃないかって思うと、目の前が真っ暗になって、冷静でいられなかった。どうか、二度といなくならないって約束してくれ」
こんなに素直な心配の言葉を、彼が口にするのは珍しい。
でも、その気持ちを受け取る前に、ちゃんと謝って償わなければ。
「あの、ご存じないかもしれませんが……私、貴方を殺そうとしてましたわ」
「ご存じないわけないだろ」
「……バレてたんですの?」
「君と初めて会った時に、中身当てゲームだっけ? それをやったでしょ。その時から気付いてたよ。君は箱の中に、スズメバチを入れてたよね?」
過去の未熟な計画を持ち出すのはやめろ、と言おうとして、結局殺せなかったから進歩してないのか、と気づいてしまった。
「でも、知っていたならなぜ今までずっと……?」
シリルが目をそらした。顔が赤い。
「殺されなければ、ずっと構ってくれると思ったから……。それに、君の計画を崩したとき、驚いたり悔しがったりしてくれるのが楽しくて……」
「そ、そうなんですか」
なんとも複雑な気分だ。
「それより、君がなんで俺を殺そうとしたのか気になるんだ」
「……あなたが私を殺して、この国を滅ぼすかもしれないと思ったからです」
シリルがよく分からない、という顔をしていた。
「そういう未来だって、私は思ってたんです! でもあなたはそんな人じゃなかった。ちゃんとその可能性に気づくべきでしたわ。
でも……自分を、自分を正当化するために、目をそらしました」
視界が滲む。堪えきれなくなって流れた雫を、シリルがハンカチでぬぐってくれた。
「よくわからないけど、君にとっては大事なことだったんだろうね。でも、未遂とはいえ償いは必要だ」
「当然ですわ……」
「さっきの自白は、証拠として文章に残しておくよ。これにサインしてくれる?」
ペンをもたせられた。後で証言をひるがえすつもりはない。でも証拠を残すのは、被害者からしたら当然だ。
私は、滲んだ視界のまま慣れた動きで署名した。
「よしこれで僕らは夫婦だ」
「は?」
ガチャリと音がして、人影が入ってきた。 涙の引っ込んだ目をこすると、それは保健室の先生だった。
「おや、邪魔しましたかな」
「いいタイミングだよ」
シリルが、サインした紙を掠めとり、丸めて仕舞いこんだ。早い、早すぎる。
「泣く元気があるなら大丈夫ですなぁ。やれやれ、シリル殿がナイフの軌道を変えなければ、あわや大惨事でしたよ。かすり傷でよかったですね」
「は? かすり傷?」
「うん。君は二日間グースカ寝てただけだよ」
「なっ……騙しましたわね!! それに婚姻届! なにが自白の文章ですか!」
「この紙に残しておく、とは言ってないよね」
「屁理屈!」
シリルは真剣な顔をした。
「婚姻はきちんと償いになるよ。君がこれから、公爵家の妻としてきちんと務めを果たすなら、それはこの国の為になる。僕を殺そうとした分、沢山の人を幸せにすればいいんだ。
僕は君に、そのチャンスを与えられるし、与えたいと思ってる」
「……分かりましたわ。それが償いになるなら。もうあんな馬鹿な真似はしませんわ」
「もう暗殺しに来ない?」
「ええ」
「誓う?」
「誓いますわ」
ばあっと顔を輝かせ、シリルがベッドに乗った。……ん?なぜ乗る?
シリルは私に覆いかぶさると、ネクタイをしゅるりと外した。
「は?え?」
「初夜に暗殺しに来たら、防げる自信がなかったからさ」
「やっ……先生!! 不純異性交遊です!!」
傍らの大人に助けを求めたが、非情にも先生はそそくさと出ていこうとしている。
「体力もバッチリで問題ないでしょう。妊娠検診はぜひ
先生がサムズアップして去っていく。鍵がかけられる音がした。
「ここ、あのイケメンと女子生徒の逢引部屋なんだよ」
「は?!?!?!」
「賭けポーカーでイカサマしてたから、ばらすって脅して借りちゃった」
彼は仕事してたんじゃないの?!
「一目惚れした時から、ずっと我慢してたんだよね」
抵抗を試みるが、どうも逃げられないらしい。
吐息と鼓動が分かるほど彼が近くなって、私は諦めて目を閉じた。
悪役令嬢に転生したので、断罪までにスパダリを殺る ガブロサンド @gaburo
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