停戦

「今日は子猫と遊ばせてあげますわ! 特別ですわよ!」


私は、子猫の可愛さにふにゃふにゃしながら宣言した。


今日は休校日だったので、子猫を見せるためにシリルを家に呼んだ。


「この子たちは、私が幽霊に打ち勝った成果ですわ!」

「子猫を育てることで命の大切さを知れる、いい機会だね」


命の大切さならよく知ってるとも。


家のみんなに可愛がられてつやつやになった子猫たちは、高い絨毯の上で遊んでいた。抱き上げると暖かくて、ふわふわだ。

 メガロドン号も子猫を気に入ったようで、くっついて甲斐甲斐しく世話を焼いている。


「もふもふ~」


アホな声で子猫と戯れながら、シリルの幽霊度をチェックする。

足よし、透明度よし、血行よし。あとは体温のみ。


「私もその子撫でたいですわ!」


猫のお腹を撫でているシリルの手に、偶然を装って自然に手を重ねる。それをシリルがじっと見つめていた。

うん、平均体温! シリルは幽霊じゃない。ちゃんと、生きてる。


満足したので、「すみません」などと言って他の猫を撫でる。


「調子狂うなあ」


シリルがぽつりと言った。


……今、暗殺のチャンスだった!

何たる失態か。もう一度シリルの手に触れたその時、執事がやってきて時間を告げた。シリルが帰る時間である。

最近任せられる仕事が多くなって、忙しいらしい。


シリルが名残惜しそうに立ち去ろうとする。体温がゆっくり離れていく。


扉が閉まり、部屋に一人になった。私はぼんやりしながら子猫を撫でた。


急に、一匹の子猫がげえげえし始めた。元気だが、食欲のない子だった。

何か飲み込んでしまったのだろうか? 焦りながら背中を擦ると、うえっと何かを吐き出した。

よだれにまみれた、ブルーのリボン。金の刺繍に見覚えがある。


「フェリスのリボンだわ……」


とりあえず、メイドを呼んで対処してもらい、思索にふける。

なぜ、フェリスのリボンが子猫から出てくるのだろう。


……このリボンは、ゲームで重要なアイテムだ。

断罪シーン。そこでいじめ疑惑をかけられたアリシアは、容疑を否定する。しかし主人公が無くしたリボンが、アリシアの持ち物から見つかり、いじめの決定的証拠となるのだ。


子猫が外で飲み込んだだけならいい。でももし、旧校舎にあったなら?


リボンが自分で歩くわけないから、誰かが旧校舎に置いたことになる。

鍵を持った誰かか、ピッキング修得者か。

あの南京錠はただの生徒に開けられるものじゃなかった。無理やりこじ開けられた形跡はなかったから、ピッキングなら相当の熟練者ということになる。


でもなんのために? 旧校舎で何をしていたのだろう?


気になるが、下手に動くわけにはいかない。リボンがこちらにあるとバレれば、自動的に断罪行きかもしれないからだ。


私は心を鎮めるため、猫との戯れを再開した。


■■


シリルは、仕事で学園を休むことが多くなった。


週末に、遊ばないかと手紙を出した。返事は、領地に行かなければいけないから遊べない、とのことだった。

また今度と返事しておいたが、こっそり領地に行って暗殺してやろうと思う。


さて、シリルはライラック領のどこにいるだろうか。断片的に聞いた仕事の話から、いくつかの町に目途をつけた。早速、馬車で向かう。


町に着き、私は、別の領地の平民の格好に着替えた。懐に暗殺セットを忍ばせて馬車から降りる。人ごみに紛れながら、町を歩いていく。


少しして、首をひねった。


前に来た時より人が多くて、綺麗になっていた。前回壊れていた石橋が直されて、広くて歩きやすいように改良されていたり、壊れていた看板や標識が新品になっていたりするのだ。


今日はフリーマーケットの日らしい。配られたビラによれば、第一回目らしく、力が入っているようだ。

道に並べられたカラフルなシートの上には、いろいろな商品が並べられていた。楽しそうな声と音楽がかかり、そこにいるだけでスキップしてしまいそうな雰囲気だった。


商品を見る風を装って、裕福そうな商人に声をかけた。前に来た時よりも活気がありますね、と言うと、商人は嬉しそうに答えた。


「領主の息子さんが、後を継ぐために頑張ってらっしゃるせいかな。まだ若くて経験は足りていませんけど、頭がよくて、平民の話もしっかり聞いてくださいます。あと、一生懸命さが伝わっているのでしょうね。難しい顔した職人たちが、若いものに負けるかと奮起していますよ」


商人がふふふと笑った。


あいずちを打ちながら、私は月の形をしたネクタイピンを手に取った。


「それは愛しい人へのプレゼントにもってこいですよ! 昔から、この辺りでは恋人を月になぞらえることが多いので!」

「うーんでも、こっちの方が可愛いわ」


私は『元気の出るトーテムポール(小)』を指して言った。商人は少しも表情を崩すことなく、「ほんとですね! お似合いですよ!」と言った。


夜中、父の枕元においてやるとしよう。元気な声が聞けそうだ。


■■


シリルは見つからなかった。ただ、彼の噂だけは沢山聞いた。

日が暮れたころ、私はライラック公爵家に忍び込むことにした。


心の中の疑問を否定したかったからだ。この気持ちを無かったことにして、早く忘れたかったから、直接確認することにした。


屋敷に入るために、公爵家の庭の抜け穴を使わせてもらう事にする。

これは、幼少期に、シリルと私がいつでも遊べるようにという目的で、シリルが作ったものだ。

これでいつでも暗殺できる、と幼い私はほくそ笑んだ。

……なぜまだ殺せていないのだろう。


公爵家には結構な数の家人がいる。しかし、各人の行動パターンは正確に把握しているので、簡単にシリルの執務室にたどり着くことができた。


執務室の中はごちゃごちゃだった。部屋中に本が積み上げられており、まるで本の森の中にいるようだ。


ざっと背表紙を確認していく。ライラック領や隣接領の過去数十年分の資料に、気候の本、農作家畜の本、交易の本、製鉄の本、金融の本。どれも大量だ


ライラック領は広くて縦に長い領なので、場所ごとに特色が違う。端と端では、気候も領民の特色も正反対だったりするから、幅広い知識をそろえておかなければいけない。

机の上に、今日の分、と赤文字でメモられた書類の山があった。しかし、椅子は空っぽだ。


森の中に、シリルはいない。寝室だろうか。

そろりと寝室につながる扉に近づく。ピッキングして扉を開けると、中は真っ暗だった。


忍び足で、ベッドに近づく。寝息とともに、小さな声が聞こえてきた。


「……は…………収穫量……低……」


足を止めた。


「……の……疫病……原因……」


何か言っている。そっとベッドの端に近づいた。

シリルは、ベッドの上で、倒れたようにうつぶせになって寝ていた。眉間にしわを寄せ、ぶつぶつと寝言を言っている。


「……」


シリルにその辺の毛布をかけてやって、私は黙って寝室を出た。執務室を後にしようとして――机に近寄ってトーテムポールを置いた。ちょうどいい角度を探して何度か置きなおす。満足したので、そっと人のいない廊下に出た。


屋敷から出る途中で、レイの部屋の前を通りかかった。


『レイ様、最近本をよくお読みになっておりますね』

『そう! いっぱい読んで、兄上お手伝いする!』

『あらあら、きっとシリル様も喜ばれますよ』


私はそろそろ、向き合わなければいけなかった。


ライラック家の敷地から出て、馬車まで歩きながら考える。

多分、この世界はゲームの世界で、でも私の思っているゲームの世界ではないのだ。

みんなこの世界で、決まったストーリーでもキャラクターでもなく、自分の人生を生きている。自分で考え、決断して、行動している。


それはシリルも例外ではない。彼には悪役以外の道があった。そして、彼はそちらを選んだのではないか?


彼を殺す理由はなかったのだ。

私に、正義など無かった。生きるべき人を殺そうとした、悪役だった。


■■


私は、シリルに会うのをやめた。もう会う必要が亡くなったからだ。


向こうも仕事が忙しいらしい。たまに学園で顔を合わせるくらいで、手紙のやり取りをするだけになった。

もう国が滅ぶことはない。だから私も、これからの身の振り方を考えなければいけない。


教室で授業が始まるのを待っていると、窓の外、離れたところで男子生徒と女子生徒が並んで歩いているのを見つけた。


二人が誰かはすぐに分かった。シリルとフェリスである。

私はさっと視線を外して、適当にノートを開いて眺めるふりをした。


授業が始まって、先生が教卓で何か話し始めた。

セミの鳴き声が頭に響く。生ぬるい風が肌を撫でた。汗を吸った髪が張り付き、鬱陶しくてたまらない。


学園は、夏を迎えようとしていた。


■■


ある日の放課後、掃除夫を見かけた。気になることがあり、声をかけることにした。

子猫を助けた後、旧校舎に何回か忍び込んだが、一向に掃除はされていなかった。でも、足跡も消えていないのだ。


「こんにちは!」


努めて明るく挨拶したが、掃除夫はちらりとも目線をあげず、去ろうとした。よくあることだ。


「待って、ねえあなた旧校舎を掃除しているわよね? 鍵を見せてもらえないかしら?」

「あそこは生徒立ち入り禁止だ」

「見るだけよ」

「普通の鍵だ、お貴族様が見るもんじゃねえよ。掃除しないと…お貴族様と違って働かなけりゃ食っていけねえのよ」


そそくさと行ってしまう。私は諦めたふりをして一度離れ、バレないように後を付けた。


掃除夫は埃っぽい小屋に入っていった。私がドアをバンッと開けて乗り込むと、ぎょっとして怯えだした。


「あんたが勝手に入ってきたんだ! 勝手にほこりをかぶった!」

「ほこりぐらいで首にしないわ! ……南京錠、付け替えてあげる。同じ形で、違う鍵に。掃除をしてなかったのは、鍵を開けられないからでしょう?」


掃除夫が静かになった


「学園に言ったりしないわ。その代わり、鍵の心当たりがあるなら教えなさい」

「……」


掃除夫はしばらく黙っていた。私が床に座り込み、出ていかないアピールをすると、やっと話し始めた。


「そうだよ、鍵は持ってねえ。鍵を失くした日、俺はやけに気分が悪くて……。困ってたら、ある生徒が掃除を手伝ってくれてよ。最後に鍵を閉めてくれるっていうから、渡して帰ったんだ。

でも鍵は返ってこなかった。犯人を探したが、そいつはこの学園のどこにも見当たらない」

「それっていつ?」

「4か月ぐらい前だ。まだ寒かった」


フェリスがリボンを失くしたのは、鍵が無くなったのより後になる。

しかし、おかしい。鍵が無くなったのは、入学式より前なのか。


「学園には報告してないのよね?」

「あいつら、俺たちを人間とも思ってない! 首にされちまうよ! 前だってひどい目にあったんだ!」


取り乱した掃除夫をなだめていたら、ポケットからフェリスのリボンが落ちた。慌てて拾い上げる。

掃除夫が首を傾げた。


「あんたウレイユの出身なのか? お貴族様なのに?」

「私のじゃないわ。知人の忘れものよ」

「そうかい、懐かしいな、その刺繍」

「刺繍?」

「ウレイユに伝わる伝統的な山の刺繍さ。ウレイユでは、子供が生まれたときに、お守りとして刺繍を渡すんだ」




鍵を変える手配をしないと、と考えながら、私は小屋から出ようとした。

扉を開いたら、フェリスが立っていて、私はぎょっとした。


「アリシアさん、少し歩きませんか?」


フェリスが言って、歩き出した。私もフェリスに言わなければならないことがあるので、後に続く。


今日はひどい曇りで、外はもう暗くなっていた。雲があまりにも近くて、圧迫されそうだった。


私は意を決して口を開いた。


「私、あなたに話さなければいけないことが……」

「アリシアさん。私今、すごく幸せなの」


フェリスが遮って言った。急に立ち止まって振り返ったので、私も立ち止まった。

瞬間、甘い匂いとともに、くらりと視界が揺れた。


「やっと手に入るの。あなたのおかげでね」


■■


目を開けると、埃っぽい天井が目に入った。体に力を入れて、現状を確認する。

どうやら、縄で縛られ、口にテープを張られた状態で床に転がされているようだ。

噴射型の睡眠剤だ。私も使ったことがあるのに、見抜けなかった。不甲斐ない。

頭をかすかに動かして、あたりを見回す。


この光の加減と埃っぽさは、おそらく旧校舎である。


私は、フェリスに嵌められたらしい。


いや、違う。私は、近くにいる見張りの男たちを見た。

男が3人、黒っぽい服を着て座り込んでいる。そこらのごろつきではなく、随分な手練れだ。フェリス一人ではなく、ネブラ公爵も噛んでいるのだろう。


フェリスと、ネブラ公爵に嵌められた。

しかし、ネブラ公爵はウレイユを苦しめている立場だ。ウレイユ出身の彼女が、ネブラ公爵につく理由があるだろうか?


実はウレイユにうんざりしていた? でも、故郷の調査をしたりして、フェリスは随分思い入れがあるようだった。

故郷のことで脅されている? でも、脅されている相手の奥方とウィンドウショッピングなんてするだろうか?


一番可能性が高いのは、お互いメリットがあって組んでいる、というところか。


例えば――共通の仇の娘を殺し、恨みを晴らす、とか。


ウレイユはブラウン領にならず、未だネブラ公爵に苦しめられている。アリシア父が選ばなかったせいだ、とフェリスに逆恨みされていてもおかしくない。


「おい応援はまだか」

「さっさと殺してえな」


私は殺されるのか。

これが断罪か。でも、私がやったことを思えば、仕方がない。


悪い事ばかりではない。

ネブラ公爵は、私が死ねば父が悲しむとでも思っているのかもしれないが、それは違う。


私が死んだら父は、これ幸い!チャンスチャンス!とネブラ公爵家を潰すだろう。ネブラ領がブラウン領になれば、領民は今より楽になるはずだ。私の存在が少しでも寄与するなら、本望だ。


フェリスの顔が浮かぶ。目を伏せて、唇を噛んでいる。

『――苦しんでる人たちが沢山いるのに』


……駄目だ!

あの言葉は、きっと嘘じゃない。フェリスはやり直せるはずだ。

彼女に言って、こんなことは辞めさせよう。私はフェリスを悪役にするわけにはいかない。


間違えるのは、私だけでいい。


私は深呼吸して、自分を捉える縄を睨んだ。

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