揺らぐ世界


春から学園に入学し、それから一週間ほど経った、放課後。学園の3階、南向きの一室で、私とシリルはにらみ合っていた。


「今日の遊びは、カルタですわ」

「へえ」


教室には大きな窓があり、そこからの春の陽気が、教室に充満していた。一つの窓だけ、ステンドグラスでドラゴンが描かれており、光を通して美しく輝いていた。


私たちの前には、表向きに並べられた札がある。

私は、相手より早く札を取るのが大事、と強めに主張しながら、カルタの説明をした。


私はすでに読み札を暗記している。いざ正々堂々勝負である。

シリルが用意した執事が、札を読む役だ。執事は興味津々に読み札を見ながら、口を開いた。


一言目を聞いた瞬間、札に向かって最短距離で手刀を繰り出した。はじかれた札が、時速150キロで一直線にシリルの首元に飛んでいく。頸動脈を掻き切って窓の外に消える、計算された角度だ。


「これかな?」


札を探して、シリルが横にずれた。札が空に消えていった。


「……私、取りましたわ」


事前に袖に隠していた札をこっそり手に出し、取ったふりをする。読み札はランダムの為、全部の札を袖に入れてある。重い。


「早いね。俺も本気出そうかな」


シリルがネクタイを外して腕をまくり、絵札を見回している。

学園の服装は、女子は自由で、男子はジャケットとネクタイが指定されている。ネクタイはしてない男子も多いが、シリルはきちんと付けていた。


「君も腕まくりしない?」

「肌を見せるなんて淑女にあるまじき行為ですわ」


ふふん、これからずっと私のターンだ。残念だったな!


戦いはあっという間に終わった。

札は一枚も取れなかった。


■■


あくる日の朝。珍しくすっきり目覚めたので、張り切って準備をした。


「制服よし、教材よし、筆記用具よし、眠剤よし、自白剤よし、煙玉よし」


学園で注意しないといけないのは、フェリスと攻略対象と、悪役令嬢的冤罪である。なるべく生徒の心証を良くするように心がけているが、ゲームの強制力に逆らえる自信はない。

だから、冤罪を吹っ掛けられたとき用に、護身グッズは欠かせない。毒薬などの暗殺セットとともに、胸元に隠す。


今日は生徒の発表がある。一人一人が好きなテーマで資料をまとめ、壇上に立って(前世でいう)プレゼンをするのだ。


鏡の前に立って、壇上のイメージトレーニングをする。婚約者がいるから社交も特にしなかったし、暗殺訓練ばかりしてたから、人前に立つのは始めてだ。


メイドが呼びに来たので、外に出る。緊張しながら、深呼吸して一歩踏み出した。


■■


午前の授業で、発表は行われた。


私の発表はフェリスの後だった。時間節約のため、次発表者は壇の端っこに置かれた椅子に座って待つように言われた。

プロジェクターなどはないので、数枚の大きな紙に手書きでまとめて、黒板に張り付けるやり方だ。準備を終えたフェリスが、壇上で話し始める。私は、フェリスが動くたびに揺れる、青リボンの金の刺繍を見ていた。


題材は『ウレイユでの噴火と地震の関係性』。


ウレイユはネブラ領の一区画で、荒れた地だ。大小さまざまな火山がしょっちゅう噴火していて、同時に地震も多発する地区である。


前に父と視察に行った場所だ。ウレイユとラブラ谷のどちらにするか、父は迷っていた。最終的にはラブラ谷が選ばれ、谷はネブラ領からブラウン領になった。


「ネブラ領でもっとも枯れた地を問うと、皆がウレイユを上げます」


フェリスが言うと、生徒たちからどっと笑い声が上がった。

私は生徒たちを見た。笑ってないのは、シリルと、そのほか数名の生徒だけだ。


フェリスは笑顔で発表を進めていく。内容はしっかりしていて、下調べと現地での記録が子細に、分かりやすくまとめられていた。


ゲーム中に、ヒロインが勉強している描写はなかった。結構優秀だったのか。


ネブラ公爵は、領民を締め上げて豪遊する領主だと有名だ。でもフェリスは、その影響を受けていないようだった。私は安心した。


フェリスが発表を終え、席に戻る。私の番がやってきた。

私の発表は、メガロドン生存説だ。自信作である。


半分ぐらい進んだところで約半数の生徒は寝ていて、父が金を貸している家の子女だけが最後まで起きていた。権力者の悲哀を感じた。

シリルも寝ていた。次の暗殺で確実に仕留めると誓った。



■■


放課後、教室で帰る準備をしていたら、廊下に攻略対象を見かけた。正統派イケメンの王子である。攻略対象の動向は探っておかなければ。私は、気配を消して後を付けた。


角を曲がったところで、王子とフェリスがぶつかった。しりもちをついたフェリスに、王子が手を差し出す。

恋が始まる最初のイベント! これゲームで見たやつだ!


……なんか違うな。


立ち上がったフェリスは素っ気ないし、王子も余所行きの笑顔のままだ。恋が始まるような、そんな雰囲気ではない。


そこに、一人の先生が通りかかった。

この学園で数十年教鞭を執っていながら、お姉さんのように若い顔をしたキャラである。眼鏡と胸がとても輝いている。

王子がぱあっと破顔して先生に寄っていく。ゲームで、ヒロインにしか見せない笑顔である。

嘘だろ王子様、年上好きなのか。そんな設定だったっけ?!


愕然としていたら、フェリスが踵を返して立ち去ろうとしていた。その後ろ姿を見て、首をかしげる。

青いリボンがない。ゲームでは、あのリボンは母親の形見で、いつでもつけているはずだった。午前の授業でもつけていたのに。




さっきのあれはいったいどういう事だろうか、と考えながら廊下を歩いていると、声を掛けられた。

 攻略対象の脳筋キャラである。父親である騎士団長に反発して、文官を目指している設定だ。ヒロインに心を解かされ、父と和解し、ラストは騎士団長になる。


「君! 君すごいな! そんなに鍛えてるの?! 騎士団入らない?!」

「あの……?」

「失礼、淑女相手につい興奮してしまった! いや淑女だからというべきか! 君の筋肉には驚いた! 二度三度の修羅場では足りないほどだな! 安心してくれ、女性騎士は最近増えてるから、心細くはないぞ!」


いつでも入団希望だ!と目を輝かせている。

私は尋ねた。


「あの、貴方フェリスと仲はよろしいの?」

「フェリス? ああ、フェリス・ネブラか! 彼女も騎士団に勧誘したが、フラれてしまった! 骨のある令嬢だな!」


つまり、フェリスに会う前から騎士団に所属しているということだ。

私は勧誘をかわしながら、もう一人の攻略対象を訪ねることにした。


攻略対象は四人。王子と筋肉と悪役と、もう一人が、養護教諭――いわゆる保健室の先生である。


保健室の中はしんとしていた。不在かもしれないので、適当な椅子に座った。

5分ぐらいして保健室奥の扉が開き、薬瓶を抱えた白衣の先生が出てきた。先生は私を見て驚いたらしい。慌てて扉に鍵をかけると、薬瓶を棚に置いてこちらに来た。


「失礼、仮眠しておりまして。仕事が終わらなくて泊まり込みだったものですから」

「大変ですね……」


先生は社畜キャラである。研究者気質で、集中すると何日も徹夜で没頭する設定だ。ちなみに実家も医者だ。しかも儲かっている。

あくびをする先生の髪はぼさぼさで、カッターシャツはボタンを掛け違えていた。

そうそう、これだよ。なんだかずれた攻略対象を見ていたから、少し安心する。


「それで、今日はどうされました?」

「頭痛がするんです」

「ふむ……寝不足かもしれませんな。心当たりは?」


 先生が私の顔を覗き込んで言った。しかしイケメンだな。堀の深い、渋めの顔だ。


「少し気になることがあり、眠れないことが多いんです」

「寝不足はよろしくないですな。お肌に悪いし。ほら私の肌カサカサでしょう?」


「つやつやじゃないですか」と言いながら、私はぷっと吹き出した。


「安眠にはお風呂が効きますな。あと好きな香りを嗅ぐとか。あ、しばらくそこのベッドで寝ていただいて構いませんよ。今日は誰も来なさそうですから」


私はお礼を言って、一番近くのベッドを使うことにした。

予想通りのキャラがやっと出てきたおかげか、ぐっすり仮眠をとることができた。


■■


次の日の昼休み。ナイスな暗殺場所を探すためにうろうろしていたら、旧校舎に人影を見つけた。

旧校舎は、昔使われていた理科実験棟だ。今は使われていない。敷地の一番端っこにあるせいで、理系の怠け者学生が実験棟に住み着いている、と問題になったのである。


無駄に大きくて豪勢な建物は、2週に一度の清掃時以外は施錠されている。

その扉の前で、女子生徒が鎖をガチャガチャ揺らしていた。


「何やっているの?」

「ブ、ブラウン令嬢?」


女の子は驚いたようにこちらを見た。私を捉えた真ん丸の目が、嫌悪で細められた。

この子、ルルだ。


ルルは、ゲーム序盤の説明キャラである。設定や操作の説明をしてくれたり、攻略対象の情報をくれる。序盤では主人公と一緒に行動するが、終盤では空気だ。


ルルは私にいい感情を持っていないようだ。別に気にしてない。ちっとも気にしてないとも。

そういえば、この子がフェリスと一緒に居る所を見ていないな、と思った。


「アリシアでいいわ。どうなさったの?」

「その……」


ルルは男爵家の令嬢である。学生とはいえ、高位の貴族を無視するわけにはいかない。私はルルが口を開くまで待っていた。

どこからか、にゃあにゃあ、とかすかに声がした。

ルルがためらいがちに言った。

「子猫がいるんです」

「子猫?」

ルルは猫が苦手なキャラだったはずだ。


いや、今はそんなことはいい。それより子猫だ。


『この学園には噂がいっぱいあるんだよ。図書館の呪いの本とか、女子トイレの情報屋とか、旧校舎の幽霊とかね』


この前、シリルが言っていた言葉が蘇ってくる。

私は幽霊が苦手なのだ。


旧校舎の扉には、重い鎖と大きな南京錠がかかっていた。窓も鍵が掛けられている。見る限り、人が入れそうな隙間はなさそうだ。

鍵をピッキングするのは簡単だが、ルルに見られるのはまずい。ルルを帰してから鍵を開けて、先生を読んでこよう。


「朝、親猫が馬車にひかれて死んでいて……」

「あら鍵開いていたわ!」


驚いた顔を作って、南京錠を外す。振り返ってルルに言った。


「入りましょう!」




中はホコリっぽかった。掃除夫がサボっているんだろう。

二人で、薄暗い廊下を進んでいく。ホコリでぼんやり白くなった床に、大きめの靴跡が残っていた。


私はぎゃあっと叫んだ。


「幽霊の足跡だわ! 怖い!」

「幽霊の足跡なら素足では……」

「靴を履いて歩いたのよ! 怖がらせるために!」


腰が引けて動けなくなった私を、ルルが追い越した。振り返って、手を握ってくる。


「これで進みましょう」


私は、嬉しさと怖さが混ざったお礼を言った。


「幽霊苦手なんですか?」

「だって勝てないんだもの」

「アリシアさんは、勝てないものが怖い……」


その通りだ。そういえばシリルにも勝てない……シリル、すでに死んで幽霊なのか?!

そうだったら、シリルは絶対に殺せない。国が滅ぶことが確定してしまう。


「あ、いました!」


ある教室の棚の後ろに、3匹の子猫が身を寄せ合っていた。小さな体が、ふるふる震えている。


ハンカチで二匹の子猫たちを包み、抱き上げた。もう一匹はルルが抱く。

ひとまず外に出るため、来た道を戻ることにした。


「どうしよう……うちでは飼えないし……」

「私が引き取るわ。早退して家に連れて帰らなきゃ」


そう言うと、ルルは目を丸くした。


「アリシアさんって不思議な人ですね。私みたいな貴族に話しかけるし、野良猫を飼おうとするし」


ルルの言う、『私みたいな貴族』というのはおそらく、領地や爵位をお金で買った貴族のことだろう。男爵家や子爵家にはそういった貴族が多く、高位貴族から見下されている。


合法で売っているものを買って何が悪い。グレーな方法で土地を奪う侯爵家もいるというのに。


「普通よ。ねえ、ルルさん。あなた猫好きなの?」

「ええ、好きです。あっでも、昔は苦手でした」

「そうなの。どうやって克服したの?」

「うーん克服っていうか……。昔、猫に噛まれてから苦手になったんです。でも……」


ルルは子猫の背を撫でながら言った。


「後で、ふと思ったんです。私が猫に嫌な事されて猫が嫌いになったように、あの猫も人に嫌な事されたことがあったんじゃないかって」

「ええ」

「相手のことを知ると、嫌えなくなっちゃうんです」


ルルはそう呟いて、私を見た。


「あの、遊びに行ってもいいですか? 子猫に会いに……」

「もちろんよ!いつでも来て!」


私はニコニコした。胸に浮かんだ疑問に、知らないふりをして。


■■


ルルと図書館にいると、フェリスに会った。私は、チャンスだ、とフェリスに絡んだ。ルルがいるなら、意図せず冤罪を掛けられることはない。


「ネブラ令嬢! これ呪いの本だと思うんですの!」

「えっ、えっと……違いますよ」


戸惑いながら完全否定されてしまった。


「呪い系は大丈夫なんですね……」


隣でルルが呆れていた。


「失礼、名乗りもしませんでしたわね。私は」

「ブラウン令嬢ですよね? お気になさらないでください」


ヒロインに名前を知られているとは。断罪の足音が聞こえてきそうだ。

フェリスの腕の中には、地学の本と農耕の本がたくさん乗っていた。力持ちだなあ、と私は思った。


「リボンはどうなさったの? 素敵な青いリボン」

「え、ああ、汚れちゃって。洗濯中なんです」


敬語なのは、平民だったころの名残だろうか。


「ネブラ令嬢はどうしてこの学園に来たのですか?」

「この学園の卒業生に、国王補佐についた人がいると聞いたんです」


フェリスが言った。ゲームの設定では、周りの環境に流されるように入学していた。


「国王補佐なら、爵位と領地が与えられるでしょう? 領地経営をしたいんです。この国の領主教育は最悪です。苦しんでる人たちが沢山いるのに」


そう言って、フェリスは唇をかんだ。


「ねえ、アリシアさん。アリシアさんは幸せですか?」

「え? ええ、そうですわね」


フェリスは笑った。


「よかったです」


私は、ずっと燻り続ける違和感を無視して、曖昧に笑った。

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