悪役令嬢に転生したので、断罪までにスパダリを殺る
ガブロサンド
いざ、遊びましょうか
冷たい盤を挟んで、私達は対峙していた。
「今日は……」
「うん」
「オセロで遊びましょう!」
私は、テラスの机のオセロ盤に、真ん中に石を4つ、慎重に、しかし自然な動作で並べた。
対戦相手は、ライラック公爵家嫡男、シリル・ライラック。私、アリシア・ブラウン侯爵令嬢の婚約者である。
「へえ、相手の石を挟んで陣地を広げるのか」
シリルはオセロのルールを知らない。当然だ、私の前世に存在していたボードゲームだから。簡単にルールを説明すると、シリルは頷いた。
ハンデだと言って、シリルに先に打たせる。シリルが盤の上に黒石を置き、既に置かれていた白石に手を伸ばした。
それが、死の石であるとも知らずに。
最初に置いた四つの石。そのうちの白石二つの表面に、毒を塗ってある。石をひっくり返すと指に毒がつき、経口摂取すれば時間差で息絶える。
私は盤を片付けるふりをして、毒付きの石を無害の石にすり替える予定だ。
表面を触ってひっくり返したことを確認し、私は机の上のチョコを一つ、口に放り込んだ。それから、シリルにチョコを薦める。
シリルが毒のついた指で、ゆっくりとチョコに手を伸ばす。私は一挙一動を逃すまいと、それをじっと見つめていた。
「おいしそうだね。はい、あーん」
シリルが笑顔でチョコを私の口元に持ってきた。
「食べないの?」
「……おおっとぉ虫がっ!」
虫嫌いな弱い女子のふりをしてチョコを払い落とした。一直線の正確な打撃により、チョコは花壇の土の中深くに埋まった。
土を犬が掘り返さないように祈ろう。
「虫苦手ですの……お見苦しい所をお見せして……」
「大丈夫かい?」
シリルが手をぬぐい、新しいチョコを自分の口に運ぶ。
失敗した。だが、大丈夫だ。もう一つの石をひっくり返らせてやる。私は結構、オセロには自信があるんだ。
戦いはあっという間に終わった。
盤は、1つ残った毒付き白石以外、真っ黒になっていた。
■■
あくる日、私はブラウン家の庭で、木に細工をしていた。
シリルを殺さなければいけないからだ。
将来、彼はこの国――コーラル王国を滅ぼす悪役になる。私はそれを知っていた。
この世界は、とある乙女ゲームの世界である。私の前世は日本人で、今はゲームの悪役令嬢、アリシアに生まれ変わっている。
シリルは攻略対象兼、悪役である。主人公をいじめたアリシアを殺し、最終的に国を滅ぼす。他キャラルートならシリルを倒してハッピーエンド。シリルルートなら、国を滅ぼされた後主人公は求婚され、新しい国を建設してハッピーエンド。
このゲームを前世で遊んだ私だけが、ストーリーを知っている。選択肢は二つだ。殺される前にシリルを殺し、国も救う。隣国に逃げて息を潜め、国を見殺しにする。
私はシリルを殺すことを選んだ。自分を含めた無数の命と、一人の命。どちらを救えばいいかは明白だからだ。
そういうわけで、幼少期から私は、遊びと称してシリルに暗殺を仕掛けている。……なぜだかは分からないが、いまだに成功していない。
シリルが私を殺し、国を滅ぼすのは、来年の夏。それまでに、必ず殺してみせる。
木に最後の細工が終わった。美しい出来だ。
まあ、幼少期から数十年行ってきた暗殺も、もう最後になるだろう。
今までは運良く助かっているだけなんだから!
満足げに笑っていると、メイドがシリルを庭に案内してきた。
私はいつもの様に、仁王立ちしてシリルに宣言した。
「今日の遊びは木登りですわ」
「そうなんだ」
「初心者シリルの為に、上り方を教えてあげますわ!」
上りやすそうな足場を探して、木の上の方まで登る。枝に腰掛け、シリルを見下ろした。
「さあ」
さあ早く、死の一歩を踏み出すがいい。
この木、上の方の足場には細工がされている。
一回力を加えただけでは崩れないが、二回力を加えると崩れるようになっている。まず右足の足場が崩れ、体勢を崩した瞬間に、また別の部分が力を受けて崩れるのだ。確実に壊すために強度計算して、庭の木という木で試作してデータを集めた。計画は完璧だ
シリルは足場に足をかけて―――するすると隣まで登ってきた。
……あれ?
ぽかんとしていると、シリルが隣に腰掛けた。空を見上げている。
「いい眺めだね。あ、お菓子持ってくるよ」
結構な高さを、ぴょんと飛び降りる。
残された私は、作った足場をしげしげと眺めた。
……気を取り直そう。まぐれまぐれ。もちろんバックアップを用意しているとも。
今から私は、足を滑らせたふりをして飛び降り、シリルの顔面に必殺頭突きを食らわせてやる。
私の靴はすごく滑りやすいように底がすり減っている。実に事故の起こりやすい状況だ。
助けようとしたシリルは死亡、私は、愛によって生き延びた悲運の令嬢として罪には問われない。婚約者を助けようとした末に起こった事故だ。完全犯罪の出来上がりである!
シリルがちょうどいい位置に来るのを黙って待つ。今だ、よっしゃやるぞと意気込んで、足に力をかけた、その時。
『兄上~!』
『やあレイ。ブラウン家に来るなんて珍しいね』
『近く通ったら馬車あったから!』
レイは、シリルの弟だ。今年5歳になる、元気いっぱい笑顔いっぱいの男の子である。
私は飛び降りるのをやめた。ゲームのキャラでも、子供の前でスプラッターはよろしくない。
ここにいたら、レイが木に登りたがるかもしれない。下りようと立ち上がった瞬間、つるりと足が滑った。
まずいまずい! 子供のトラウマになってしまう!
地面がぐんぐん近くなる。とりあえず受け身を取って、血が出ないように地面にぶつかろう。
そう思ってぎゅっと目をつぶった。しかし、予想していた痛みは来なかった。
そろりと目を開けると、どうやらシリルがお姫様抱っこで受け止めてくれたらしかった。
「危ないなあ、そんなすり減った靴で登るなんて」
「……ありがとうございます」
暗殺対象に助けられるなんて不甲斐ない。
修行が足りなかった。もっと暗殺のスキルを上げなければ、この強運の男は殺せないんだろう。
私は決意を新たにしながら、木に登りたがるレイをなだめていた。
■■
夜、父の執務室に呼ばれた。
綺麗に整えられた執務室。その真ん中で、父は質のいい椅子に座り、パイプをふかしていた。
私の現在の父、ブラウン侯爵家当主は、守銭奴である。
その昔、父は、騎士団では有能な参謀だった。ただ、どれだけ費用を抑えて戦に勝つか、を
ゲームみたいに楽しんでいたせいで追い出されてしまった。騎士団がまともで安心である。
「お前が欲しがっていた隣国への渡航券だが、取れなかった」
シリルを殺せなかった最悪の場合のバックアップとして、隣国であるパトに行き、失踪する作戦を進めていた。その為の渡航券を頼んでいたのである。
「なぜです?」
「元々、あの航路は人気で取りにくかっただろう」
「全て取れなかったなんてあり得ませんわ」
「事実だ」
「…………私への報酬はどうなりますの?」
この前、父の視察についていったアルバイト代のことである。
父は、他所のさびれた領地を奪って開拓する、という趣味があった。
散財で首が回らなくなっている貴族に、目当ての土地を担保に金を貸し、返済が少しでも遅れれば土地を巻き上げる。そして、父の手腕で栄えさせるのである。
最近では、父が選んだ土地、というだけで開拓しなくても高値で売れるようになっているらしい。
前に、どちらにするか迷っている、という土地の視察に連れていかれた。何を言っているかさっぱり分からなかったので、3日間ずっと、首を縦に振り続けて乗り越えた。
そのアルバイト代として、渡航券をねだった。取れなかったからといって、労働の対価を手放すつもりはない。
「後日、代わりの願いを聞こう」
父がパイプを置き、机の書類を取って仕事を始めた。もう話す気はないらしい。
私は頭を下げ、執務室を後にした。
大丈夫、まだ滅亡まで時間はあるはずだ。
廊下の柱時計が、ボーーンと重い音を鳴らした。
■■
ふふふ、今日の私は一味違う。なぜなら、仲間がいるからだ。
足元にいるのは、一年かけて仕込んだ暗殺犬である。狙った獲物に噛み付いたら、どちらかが死ぬまで離れない狂犬だ。
獲物はもちろん、シリル。
犬は、血走った目でよだれを垂らしている。そのリードをゆっくりと外した。
「それいけスーパー暗殺犬メガロドン号! 海を真っ赤に染めるのよ!!!」
メガロドン号が、はじかれたように地を蹴る。ふふふ、今に庭は真っ赤に染まるだろう。偽装の為にフリスビーを持って草陰に隠れていると、きゃっきゃと楽しそうな声が聞こえてきた。
慌てて立ち上がると、なんとシリルとメガロドン号が楽しそうに遊んでいるではないか!
「う、裏切り者ーー!!!」
絶叫に気付いたシリルがにこやかに近づいてきた
メガロドン号はその足元にピッタリと寄り添い、歩幅を合わせている。
「やあ、会えて嬉しいよ。今日は話があるんだ」
「話?」
手ごろな木陰を探して、並んで座る。メガロドン号は尻尾を振りながら、主人の隣に座った。
……なぜ私の隣じゃないんだ。
「アリシアは動物の扱いが上手いのかな? この子もよく仕込まれてるし」
びくりと動揺する。
「な、なにも仕込んでなどおりませんわ!」
「そう?よく躾を仕込まれてると思うよ」
「あ、躾……そうですわね……」
シリルはしばらくメガロドン号を撫でていたが、やがて口を開いた。
「両親が、そろそろ引退を考えているんだ」
「そうなんですの?」
「完全に引退するのは、俺が学園を卒業してからだけどね。元気なうちに、領地のことを俺に教えておきたいんだって」
シリルの祖父は、早くに亡くなった。そのせいで、現ライラック家の当主は、一人で苦労したらしい。シリルには苦労してほしくないんだろう。
「しばらくは学園と領地の仕事で忙しくなりそうなんだ。会いに来れなくなるかもしれない」
学園とは、春にシリルが入学する予定の、国立学園である。16歳の貴族子女が100名程度入学して、3年間学ぶ場所だ。
そう、乙女ゲームの舞台であり、私の断罪の場所である。
私は学園には行かない。アリシアを殺すのはシリルではあるが、他の攻略対象もアリシアを断罪してくるからだ。死にはしないが、すごい罵声とかすごい罰とかを与えてくる。行かずに暗殺を続けるのが、一番の安全策だった。
しかし、シリルが会いに来ないとなると、暗殺の機会が減ってしまう。
返事をしかねていると、シリルが腕をとった。
「学園に入学したら時間も取れなくなるし、今日はゆっくり街に出かけない?」
ブラウン領は全体的に穏やかな場所だ。地域による貧富の差は少なく、犯罪率も低い。町はよく整備され、人で賑わっている。
馬車から降りて、貴族向けの店が集まった道を歩く。ショーウィンドウに商品が並べられているが、買い物をするための店ではない。
ここは、平民の真似をして歩く場所である。気に入った服やブランドがあれば、屋敷に帰ってそこの商人を呼びつけ、オーダーメイドを頼む。最近、そういう遊びが貴族に流行っていた。
二人でのんびり歩いていると、馬車道を挟んだ反対側を歩いている女性達に、目が留まった。
二人の女性は、仲睦まじそうに話しながら歩いている。片方の、16歳ぐらいの女の子、あの顔をゲームで見た。ゲームのヒロイン――フェリスだ。
なら、もう一人は、ヒロインを養子にする男爵夫人だろう。そう思って夫人の顔を見て、息をのんだ。
男爵夫人じゃない。
確かめなければいけない。そう思って走り出したとき、ぐいっと腕を引かれた。
「危ない!」
鼻の先を、馬車が通り過ぎていった。引かれた勢いで、尻餅をつく。
「相変わらず周り見ずにつっぱしるんだから……」
「す、すみません」
フェリス達のいた方を見たが、もう姿はなかった。
シリルが手を取って、立ち上がらせてくれた。ぼんやりしながら、シリルの後ろをついていく。
「ほら、この店だよ」
「え、ええ……」
カランカランというベルの音を聞きながら、店に入る。ずっと頭に浮かぶのは、ヒロイン隣の女性。
あの方は、ネブラ
ゲームでは、ヒロインは男爵家に養子に入っていた。血を重視する高位貴族が、平民を養子にするなんて聞いたことがない。
ストーリーが変わったのだろうか?
しかし、ヒロイン可愛かったな。真ん丸な大きな目。花が咲くような笑顔。青いリボンで留めたハーフアップには、天使の輪が浮かんでいた。声優も有名な人だし、モテモテ設定にも納得だ。
あの笑顔に微笑まれれば、悪役令嬢を断罪することにも躊躇しないだろう。
ほら、ショーウインドウの白いドレスが似合いそうな姿だったし。
あ、こっちのベールつきドレスもいいな! このブーケを持たせて……
……なんだ? なんの店だここは?
「それで、式はいつにする?」
隣でシリルが楽しそうに言った。
「……はい?」
「結婚式の日程」
「ケッコン?」
「うん。君は学園に入学しないんだろう? なら、早くうちに来てほしくて」
シリルの従者が、紙をシリルに渡した。ぴらりと広げられたその紙には、婚姻届けの文字が輝いている。
シリルがペンを手に押し付けてきた。
「急に言われても困りますわ!」
「うんそうだよね。帰ってからゆっくり考えればいいよ。それで日程はいつにする?」
「話聞いてらっしゃる?!」
だめだ、結婚はだめだ。もしシリルを殺した場合、未亡人になって教会に監禁されることになる!(この国の未亡人の扱いはひどいのだ!)
殺せなかった場合でも、結婚したら他国の永住権が取れなくなるので、国の崩壊から逃げられなくなる! 結婚は、破滅確定ルートだ。
「新婚旅行はパトがいいなあ。あ、もう渡航券取っちゃったからね。君がパトで迷って行方不明になったら困るから、なるべく一緒に行動しようね」
突っ込みどころが多すぎて思考が間に合わない。
しかも正面では、店員さんが次々とドレスを持ってきてセールストークをぶつけてくるし、隣ではシリルが紙とペンを押し付けてくる。挙句に後ろでは、さっきぶつけたお尻の痛みがぶり返している!
うわやめろ!店員をもう一人増やそうとするな!
どうにか、どうにかして、結婚を遅らせなければいけない。混乱した私に、選択肢はなかった。
「わ、私! 学園に行きますわ!」
「え?」
「学のない侯爵令嬢なんて笑われるだけですもの。立派に学園を卒業して、貴方の妻になります!」
シリルは不満げな顔をした。
「……アリシアが、学園に行きたいの?」
「そうです! あっそれに! 毎日シリルと一緒に居られるでしょう?」
「……じゃあ、しょうがないか」
シリルはそう言って、店員を見た。
「悪いけど……」
「お気になさらないでくださいませ。またいつでもお待ちしております」
店員は爽やかに微笑んだ。
直近の危機は去った。しかし、断罪の可能性が、未来で膨らみ始めた。
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