4.思い出ばなし
ある日こどもが家に帰るなり俺に電話してきた。「お父さん! 今日学校の友だちと遊ぶからお勉強はナシでいい?」
俺はもちろんと答えた。学校が終わったらすぐ公園で待ち合わせて友だちの家に行くのだそうだ。
こどもの声が弾んでいる。
ドタバタと慌てているが、嬉しさが隠しきれない様子が声からわかる。
俺は携帯電話も持っていくように伝えると仕事に戻った。
それから小一時間ほどの会議を終えて自席に戻り、なんとなく携帯のGPS画面を見ると、こどもの位置は公園から動いていなかった。
俺は嫌な予感を感じつつ、こどもに電話をする。こどもの沈んだ声が応える。すっぽかされたのだ。俺はこどもに家に帰るように伝える。こどもはわかったと言う。
「今日の勉強は?」とこどもが聞く。
「今からやるなら俺が少し早く帰るよ。家で二人で遊ぼう」
……ということが学期が変わるたびにあって、俺は学校でのこどもの友だち作りを諦めていた。クラスメートの悪口はいくらでもできるがやめておこう。彼らはウチのこどもとは仲良く遊ぶよりも冷遇して距離をとってたまにいじめるくらいの関係性がちょうどいいと判断したのだ。
これまでも俺は色々考えた。例えば幼稚園の頃はバスの待合所に行った時にちょっとした手品を披露してほかのこども達と溶け込ませようとした。一週間もしないうちに、女の子達がウチのこどもの陰口を言って笑っているところに遭遇した。他には新作ゲームが出たタイミングでこどもの集まる公民館で一緒に遊んだりもした。「ゲームで遊びたいから友だちが来る」という小細工だ。これもうまくいかなかった。親の小細工でなんとかするのには限界があるのだろう。
友だちができないことをこどもは気にしている。なので、たまに話しかけられると嬉しくなって喋りすぎてしまう。で、嫌われる。それを何度か繰り返し、今度は何も喋らなくなってしまう。そんなことを塾でも繰り返していた。
「ゲーセンがあればな……」
たまたま口をついて出た言葉に俺は驚いた。
でも、どうして忘れていたのだろうと思うほど懐かしく、しっくりきた。
大学進学のため上京した俺を支えてくれたのはゲームセンターだった。俺と同じように不器用なヤツらが集まっていた。
ゲーセンのいいところは金を払えば誰もが平等に勝ち負けを争える場所ってことだ。仲が良くても悪くても、相手に関心があってもなくても、コインを入れたら戦闘開始。その薄い繋がりが俺には必要だった。対戦しているうちに段々相手のことがわかってくる。
大学のコミュニティに、ぎこちなくながらも入り込んでいけたのは「俺にはゲーセンがある」と思っていたからだ。
そのゲーセンは今、虫の息だった。
ゲームの移植、オンライン対戦の普及、ゲーム基板価格の高騰、カードサービスによるシステム利用料の徴収、ワンコイン制に与える消費税増税の影響、ゲーマーの生活環境変化による常連離れ、受動喫煙防止条例への対処、などなどゲーセンを取り巻くキツいことはいっぱいあって、ついには疫病まで来た。人が集まることがリスクとなったのだ。一部の人気店は休業し、クラウドファンディングなどで急場を凌いだ。濃い連中の集まる場所は残るだろう。だが、俺が大学の頃お世話になった「レベルは低いがゲーム好きな連中が集まってる場所」はすでに閉店して存在しない。
俺は古い友人たちを思い出し、頭から振り払った。今更どんな顔をして会えばいいかわからない。それに俺やこどもが一方的に世話になる関係が長続きするとも思えない。それに、あの世界に戻るとなれば、アイツと再会することがあるかも知れない。俺は考えこんでしまった。
反出生主義、という思想がある。まぁ思想と言っていいのかというと賛否両論あるのだと思うが。反出生主義にも色々あって、「自分は生きてきて不幸だったのでこどもを作るべきではない」くらいのものから「地球環境は人の生存に適さないようになってきている。今産むのは子世代に過酷なのでこどもを産むべきではない」とかのエコロジー派や「これから日本が経済的に立ち行かなくなるので子世代の苦労を考えると……」などの経済派など色々ある。
で、その中で一番厄介なのが「生の本質は苦である。楽しさや嬉しさなどは、苦を遠ざけた瞬間にほのかに生じるものに過ぎず、そもそも無いほうがよい」という超根源派で、それに加えて「こんな簡単なことにさえ気づかない者は害悪だし、気づいてなお目を背ける者はさらに許し難い」というように『他者の内心の自由』にまで踏み込むやつとなると手に負えなくなる。
俺のかつての親友がそんなやつになった。
知らないうちにそうなっていたのだったらまだマシだろう。俺は親友がその思想を獲得していく過程を隣でずっと見ていた。
当時、俺は東京で、親友は大阪の大学に通っていた。出会ったのは格闘ゲームの対戦会。何度か顔を合わせて対戦やメシに行くうちに、俺たちは仲良くなっていった。俺は親友の素直で飲み込みの早いところが気に入ったし、親友は……俺の何を気に入ったのかわからないが、ともあれ知り合って一年経った頃には、親友は夏休み全てを俺の下宿先のアパートで過ごした。
昼間から夜には対戦に明け暮れ、寝る前には色んなことを話した。対戦観、生い立ち、初恋、失恋、思想、ニュースの感想、文系大学の授業のつまらなさ、などなどだ。その後も大学の長期休みのたびにお互いの家を行き来して仲良く過ごした。……今振り返ると「コイツらデキてるだろ!」と思うようなことだが、まぁデキてはいない。男同士だしな。
俺は原始仏教が好きでよくその話をした。哲学の授業で新しい哲学者を習うと、そいつの思想の隣に仏教者の立場の意見を書いて比較して話したりした。
人生にこういう思索と遊びだけの時間を持てたことを俺はいつまでも大切に思うだろう。俺と親友はよい時間を過ごし、そして親友は大学を辞めた。
「大学なんて就活のためのパスポートをもらうためのものだ。授業は暇つぶしの思索で、将来に直接役立つことはない。将来の仕事は大したことのない手続きが大半を占め、意味のあることは些細だ。就活したらそうなるので、俺は親の仕事を継ぐことにした。意味がなくて楽しくもないことをこれ以上続けることは俺にはできない」
と要するに親友の主張はそんなところだった。
俺は親友が大学を辞めるのをそれほど強くは止めなかった。
俺はその頃ヘタクソなりに小説を書きはじめていた。
「ゲームの強さには社会的な価値がない。(当時はプロゲーマーなんてなかった)価値がないゆえにゲーセンに集まる奴らの純粋さが美しい。価値がないものに意味を持たせようという足掻きの中に、言いようのない感動がある」
ということをなんとか書こうとしていた。
親友はそれに対してこう言った。
「そんなもの書いても誰にもわかってもらえないからやめろ。何もわかってないやつにほんの少しわかってもらうことに何の価値がある。それより俺と対戦しろ」
だが、俺は対戦よりも小説を書くことにのめり込んでいった。
俺は中途半端を許せて、親友は中途半端を許せなかったのだ。
親友は大学を辞めてしばらくすると「二十五歳まで好きにしていいことになった」と言って東京に越してきて、遊ぶ頻度は増えた。親友の家は金持ちなのだ。出会った頃の素直さのまま決断力がつき、それと共に素行は悪くなっていった。
「考えた結果、敬意を払うだけの価値がないものに習慣として敬意を払っていた。だからやめる」
「それは違うと思うよ。相手は人間で自分と同じ力を持っている。根源的に考えたら人を不快にさせたら死ぬリスクが一つ増えるんだ。譲れない一線でない限り、伝統やルールには従ったほうがいい」
俺と親友の間には、こういう議論とも口喧嘩とも言えないようなものが増えていった。
「そうやって普段から本当のことを言わないのがお前のよくないところだ」
「俺は全ての人に全てのタイミングで俺の本音をわかってもらいたいと思っていないだけだよ」
「じゃあ何がわかってもらえればお前はお前の価値を受け入れてもらえたと思うんだ」
「うーん……小説……とか。でも、難しいな。面白いって言ってもらえなくても、書いたやつ読んでくれればそれでいいんだよ。うまく書けてないところを勝手に解釈してもらったりすることもあるだろうし。まぁでも読んでもらったら嬉しいよ。考えを肯定して欲しいとかはやっぱあんまりないけど。知ってほしい、のかも知れない」
俺の小説は完成までに時間がかかった。時間がかかった一番の理由は、俺が語りたいことを言語化できていなかったからで、次の理由は俺は文章がそもそもヘタクソだったからだ。
句読点や行頭下げすら全然なっちゃない状態の俺を、大学のサークルの諸先輩方は戸惑いながらも受け入れてくれた。俺の生意気と空回りに付き合ってくれたのは本当に感謝している。ヘタクソな文章を書いては親友にダメ出しされ、先輩方には苦笑され、亀の歩みのような速度で作品を書き続けた。
その間に俺はゲームがすっかりヘタクソになり、親友は次々と出る新作でトップクラスの成績を残し続けた。本音しか言わない親友は時折ゲーセンでトラブルを起こした。色々な人と会っていたが、かつての俺と親友のように心を開いた触れ合いができているようには見えなかった。成績に嫉妬され、対戦外の嫌がらせや無視なども受けるようになっていた。俺は親友が徐々に荒んでいくのを感じながら、何もできずにいた。
二年が経ち、小説を書き終えた。
書き終えたが一つだけ書いていないことがある。それは俺と親友のことについてだ。
だって書けるか?
「ゲームのような日陰の趣味でも情熱を燃やすに値する世界が広がっている」という話に、その世界のトップクラスまで駆け上がりながら、「生きることは意味のない虚無で、みんな死ぬのが怖いから暇つぶしをしているだけで、だから元から無意味とわかっているゲームの勝ち負けに必死になってるやつらには必死さと虚無のコントラストが強烈に刻まれている。俺は同じ虚無を抱えるやつらと出会いたい」なんていう身も蓋もないやつを登場させる筆力は俺にはなかった。
作品が出来上がった時、親友はこんなもんか、という顔をしていた。その後小説は賞に出したがどこにもひっかからなかった。
まぁヘタクソだし仕方ない。
その小説は今でも読み返すとあの「なんにもうまくいかなかったように思えた時間」がパッケージされて残っていて、いつ読んでも心がザワザワする。俺にとってはうまく書けていたのだ。
あの時間があってよかった。俺は俺のたいしたことなさを、愛していたのだ。
でも親友はたいしたことないことが許せないようだった。ヒトカドの何かでないことが許せないようで、俺たちは喧嘩になった。
それまでもちょくちょくと喧嘩にはなっていたが、その時の喧嘩が決定的となり、俺たちはつるまなくなった。俺も就活など生活に必要なことに集中する必要があったのだ。
今思えばもう少しやりようがあったのかなとも思うが、何事にも限界はある。俺は二十七連続で就活で落とされており、主観的にも客観的にもギリギリの状態だったのだ。
「二十五歳まで好きにしていいことになった」と親友が語っていた頃のことを思い出す。
親友が家に泊まったので、二段ベッドの下の段で俺は寝ながら言う。
「大学も慣れてサークルにも入ったけど、全然彼女ができないんだけど。彼女できた人とか一体どうやったのか想像もつかない」
「彼女欲しいのか」
「そりゃ欲しいよ。日々起きる色んなことを話したりしたい」
「俺と話してる」
「まぁそうなんだけど……やっぱ女性がいいわけですよ。大体、俺たち話しすぎて新たな展開とかもうないしさ」
「人生が虚無なのにどうして子どもをつくるのか」
「まぁ、それは別に考えてないんじゃない? 」
「お前は?」
「俺は……結婚した相手がこどもを望めば作るよ。俺は一人で生きるのがやだから一緒に生きる人が欲しい。で、その人が望むならそれは叶えたい」
「じゃぁ相手に連れ子がいた場合はそれでもいいのか?」
「まぁ、そこはその人が好きなら。思い描く生活の未来図があってそれに当てはまる人を探すとかじゃないし。好きになった人と一緒に居られればそれでいい。一緒に生活する中で今の俺から変わることもあるだろうし、変わらないところもあるだろうし」
「それはお前がモテないから言ってるんだ。相手に合わせて変えるなんてのは、麻雀で待ちを多くするためにやってるのと同じで本音じゃない」
「そうかも。俺はきみと違って顔が良くないし」
「それでいいのか?」
「それの何がよくないの?」
「こどもを作るのはやめとけ。苦しい生を生きるだけだ」
「俺は生きてて楽しかったけど……今まで楽しくやれたよ」
「そんなのはごまかしだ」
「そうかなぁ。全部が楽しかったとかはないけどさ。でも、ごまかしてるって気はしないけど」
「自分の人生がうまくいかなかったことのやり直しをこどもにやらせる親はクズだ」
「それは別の話だけど、まぁそれはそう思うよ」
「親がこどもに何かを押し付けるのはクズな行為だ」
「そうだね。だから自由に生きていいんだと伝えて、困ったら助けて、願いがあるなら叶えたいと思うよ。勝手に生んで育てるんだから、そのくらいはしてあげたい」
「そこまでやって、なお『生きたくなかった』『死にたい』って言われたら?」
「それはそこまでやれてないか、うまく伝わってないことがあるんでしょう。まぁなんにせよ話を聞くよ」
「話をしても決意が変わらなかったら?」
「『死にたい』とか『命がいらなかった』とかそういう気持ちが変わらなかったらってこと?……うーん」
「どうする?」
「そうなのかって言うと思う」
「それで?」
「……ちょっと寄り道して話すね。大学で安楽死について学んだのです。日本は安楽死を認めていないので、死ぬ人に手を貸すと罪になる。1995年の横浜地裁の判例として安楽死を認める四条件が『判決理由の骨子』として出ている。それによると
①耐えがたい肉体的苦痛がある。
②不治であり、死期が近い。
③苦痛を除去緩和する方法が他にない。
④患者の明確な意思表示がある。
でもまぁこんなのは判決を説明するためのテキストに過ぎないと思うので、この条件満たしたら安楽死オッケーです、はいお薬どうぞと言うわけではないのです。何に対しても賛成理由と反対理由があって、で、俺がその理由について重視する、しないを決めることで俺の意見が見えるかなと思うので説明するね。
〇俺が重視する安楽死の賛成理由は、
・人には死を選ぶ自己決定権がある。
・自分の生命は自分のものである。
・人間は生き続けるように強制されるべきではない。
・安楽死は苦痛からの解放である。
・政府には患者の苦痛を引き延ばす権利はない。
・患者のとる選択肢の一つとして認められるべき。
・薬物によってただ生かされた生を選択したくない者もいる。
・安楽死反対派の意見は宗教的信仰の押しつけになっている。
・患者を負担に感じた家族による殺人の防止になる。
〇俺が重視しない賛成意見は
・自殺は犯罪ではないので自殺幇助も犯罪ではない。
・医療負担の軽減。
・医療資源を他の患者に配分してより多くの人命を救うことができる。
〇俺が重視する安楽死の反対理由は、
・モルヒネなどによる苦痛の軽減は可能。
・末期患者への無言の圧力になる(厄介者になることへの気兼ねが強まる)。
・拡大解釈が行われる。
・不要な安楽死が増える。
・家族が安楽死制度を利用して患者に死を選択させる可能性が生まれる。
〇俺が重視しない反対意見は
・生命は侵害してはならない。
・生存権の否定につながる。
・人間はいかなる場合も生きることを選択すべき。
・安楽死は逃避的自殺であり逃避的自殺はすべきではない。
・安楽死が許されることは患者の心を弱くして安易な逃避を促す。
・延命努力が医学の発達を促し多くの人命を救うことになる。
・医師に殺人を犯させることになる。
・誤診殺人の可能性が生まれる。
・医療倫理全体の崩壊につながる。
・自殺があたりまえの行為になる。
ってところ」
俺はメモを作りながら話した。まぁ実際は話が横道に逸れたりもしたが、話し終わった時にはこんなメモができていたので、大きくハズしてないだろう。
「それで?」
親友が先を促した。
「そう、それで? なんだよな。結論が出せない。考えを補強する意見は出るんだけど、具体的な人を思い浮かべると、それまでの意見の積み重ねなんて消し飛んでしまう。俺はきみのことだって死んでほしくない。でもきみが苦しんでるのもわかる」
親友はその頃、何度か自殺未遂をしていた。未遂の時の直接のトリガーは、チーム戦で出る大会でチームメイトからチーム解散を打診されたことだったが、そんなのは単にきっかけに過ぎない。
「それで?」
……このあと俺はなんて言ったんだろう。メモには書かれていなくて覚えていない。いずれにしても俺はその二年後に親友と喧嘩別れし、今では連絡先も知らない。
今ならなんて答えるだろう。こどもが死にたいと言ったらどう答えるだろう。
「生きててくれよ。生きて呑気にしてると思うだけで心が暖かくなるよ。俺の心が暖かくなることが、きみになんの救いももたらさないかも知れないけど。それでも頼むよ。身勝手な頼みだけど。でも頼むしかできないんだよ。生きててくれよ」
こどもにはきっとこんな風にみっともなくすがりついてしまうと思う。こどもはどう思うだろう。親の剣幕に押されて「わかった」とか言わせちゃいけないとは思う。
休ませて、美味しいものを食べさせて、安全なんだと伝えて、それから話を聞こう。取り乱さずできるか?
自信はない。
自信はないので、想像だけは繰り返しておこう。イメトレだ。
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