3.人が住めなくなった町

 人が住めなくなった地域を見てきた。駅から降りると、どこにでもあるような田舎の町の風景が広がっていて、ほとんどの家の窓にはカーテンがかかっていた。バスに乗って事故の博物館に向かう。海まで見通せる広大な更地の中に博物館があった。博物館の名前は原子力災害伝承館。

 事故はまだ終わっていないのに伝承するための館が作られている。

 伝承館には事故が起きるまでの流れ、事故が起きてからの対応と混乱、最後にこれからはロボットが活躍する、と書かれた展示があった。

 ちょっとしたシミュレーションゲームも置いてあり、更地になった沿岸部を使ってどんな町づくりをできるか試してみよう、というものもあった。

 百秒シムシティのようなものを想像したら大体それであってる。作りたい施設をタップして地図にドロップ、タップしてドロップ、タップしてドロップ……四人同時に町づくりができ、町づくりのスコアが別のモニタに表示される。

 驚いたことに発電所も作ることができる。少しだけ配慮したのか原子力発電所だけはない。百秒でタワーマンションと果樹園と漁港だらけの街を作りながら、俺は映画『A.I』のラストを思い浮かべていた。ひたすら地獄巡りをしてきた主人公のロボットが、最後の一日だけ幸せな夢を見て死んでいくというものだ。

 理不尽な理由で更地になった町を見て、そこに夢の町を想像して遊ぶのか。この近くには汚染したゴミを置くための中間所蔵施設が作られることがすでに決まっているのに。

 悪趣味な伝承館を出ると俺はバスを待たずに駅に向けて歩いた。見える範囲の建物は全て廃墟だ。九年経った今も住むことはできない。持ってきた線量計の数字が上がる。除染が済んでいる伝承館や駅とは違い、途中の道は完全には除染が行われていないのだ。普段住んでいる町の二十倍の数字に目が泳ぐ。傍らのこどもを見る。

「仮にここに一時間いたとしてもX線検査一回の放射線量には遥か及ばない」

 事前に調べておいた知識を思い出す。大丈夫。線量計を見る。数字は二十五倍になっている。

 ひとまず落ち着こうと深呼吸しようとした時に、塵を肺に吸いこむイメージが浮かぶ。俺は息を吐いたあとでゆっくりと慎重に息を吸う。

 気休め以上の意味はないがこどものマスクを二重にする。駅までの残りの距離と博物館までの距離を考え、進むことに決める。駅まで行けばそこの放射線量は俺の住む町の三倍だ。二十五倍よりは三倍の方がとにかくいい。三倍の数値は自然放射線量の高い地域などと、ほとんど一緒だ。

 放射線が増えた理由は事故でばら撒かれた塵によるもので、自然放射線量が高い地域とは事情が違うとしても二十五倍よりはとにかく三倍だ。

 写真も撮らず、言葉少なにとにかく歩く。大型車両が通るので信号は整備されてる。大通りを渡り、橋を越え、駅前の住宅地に出る。保育園、アパート、洋品店、お寺、薬局が見える。全て無人だ。伝承館の中にあるようなレプリカや展示物ではない。

 ここには九年前には人が住んでいて、事故があったから人が住めなくなった。

 駅の待合室に着くと線量計を見る。俺の町の三倍程度の数値に安堵する。待合室は屋内だからもう少し下がると思ったが、そうでもなかった。俺は椅子に荷物を下ろし、電車の時刻表を調べた。次の電車まであと二時間程度。

 本当は町の写真を撮りたかったが、それではこどもをここに残すことになる。普段ならゲームを渡しておけば待てる子だが、人の目のないここでは危険だと判断した。住民はいないので警察もいない。犯罪に巻き込まれてからでは遅い。写真はジャーナリストの有料サイトに金を払って見せてもらうことにする。

 待合室でマスクを外さずゲームをして過ごした。

「怖かったか?」

「怖かった」

「ごめんな」

「どうしてこんなことになったの?」

「発電所で事故が起きたからだ。事故が起きれば大変なことになることはわかっていたので、備えもした。で、備えを上回る事態が起きた。備えに不備があることも事故が起きてからわかった。致命的な設計ミスは予備の発電機を浸水する場所に設置してしまったことだ。予備の発電機が使えなくなり、原子炉を冷やし続けられなくなって事故は起きた。それでこの町は無人になった。九年経った今も面積の四%しか立ち入りが許可されていない。災害対策が甘くなかったかどうかについては色んな議論が今もされてる。他の発電所はギリギリで地震と津波に耐えた。でもここの発電所は備えが足りず大変なことになった。今でも発電所では事故が終わったわけではない。状況は悪い。状況は悪いけど、今以上悪くはなっていっていない。原子炉を冷やすために毎日沢山の汚染された水が出ていて、それをタンクに貯め続けている。廃炉の方法もまだわからないけれど、明日にも大きな地震が来て原子炉のひび割れが大きくなるかも知れない。そういう状況に今、ある。だから事故は終わっていない。で、その状況ををアンダーコントロールと言った総理大臣はオリンピックを東京に呼ぶことに成功し、先週には国際オリンピック委員会で功労賞をもらった。さらにオリンピック自体は疫病が流行しているせいで開催されるかどうかはわからない」

「狂ってるよ」

「俺もそう思う。でも原発事故とオリンピックは直接繋がっていない。オリンピックの開催を脅かしているのは疫病で、原発事故ではない。でも、俺の脳は繋がっていると考えている。なので狂ってるのは俺かも知れない。だから電車に乗ったら原子力発電をまだ続けたい人の本を読む」

「じゃあ電車ではゲームできない?」

「そうなる。でも電車が来るまでの二時間はここで遊ぼう」

 こどもは楽しそうに遊ぶ。家にいる時と同じように遊び、ゲームに勝つと笑顔をこちらに向ける。歯を見せて笑ってるであろうことがマスク越しにもわかる。待合室はガラス張りで、背後に広がる廃墟の町とこどもの笑顔のコントラストに目眩がした。


 駅のホームからはフレコンバックが壁のように高く積み上げられてるのが見える。除染で表土を削ったものが詰められているのだ。

 フレコンバッグのところどころから植物が生え、袋は破れかけている。事故から九年だ。フレコンバッグの耐用年数は七年から十年。この量を再度詰め替える方法なんてあるのか。

 この汚染土を畑や工事などに使う計画もあるらしい。今実証実験中とのこと。汚染が消えるには計算によると百七十年かかる。

 電車に乗る。

 トイレ車両で手を洗う。

 席に座って線量計をチェックする。

 俺の住んでいる街の二倍程度の数値を確認し、安堵する。一人でゲームをはじめたこどもを見ながら、連れてきてごめんなと声をかける。見ておいて欲しかったんだが、間違いだったかもしれない。

 こどもはいつも通り、ゲーム画面から目を離さず、いいよ、と言う。

 俺は本を読む。知っていたことと知らないことをまとめると以下の通り。


 〇知っていたこと

 ・自然エネルギーでの発電は発電量が安定しないためベースロード発電は必要。

 ・ベースロード電源になるのは火力、原子力などものを燃やしてタービンを動かすもの。

 ・事故以降、原子力発電の量は減って現在(2020年)火力に頼っている。

 ・パリ協定によりCO2の削減が必要。火力発電はその点で不利。

 ・資源の枯渇または資源減少による経済性への懸念。ただし、原子力発電の資源量もそれほど多くない。(他の資源は兆トン単位だが、ウランはおよそ六百万トン。ただしウランは少量で多くの発電を賄える。)


 〇知らなかったこと

 ・発電に使ったあとの高レベル放射性廃棄物の処分場がない問題には、海岸線に建てた原子力発電所から、斜めに地面を掘って海底の地下に処分する案がある。用地確保が容易とのこと。住民との交渉が不要であることが主な理由。……正気か? でも外国では実例もあるとか。あとで調べる。

 ・高レベル放射性廃棄物は無害化するのに数万年単位かかると言われてるが、直近千年もすると低レベル放射性物質になる。……だから何だ?千年前は平安時代だぞ。


 〇この本に書いてなかったこと

 ・ウランは採掘してもそのままでは使えない。アメリカやフランスに低濃度濃縮してもらう必要がある。資源がない日本だから外国に強く出るために原子力発電が必要、と言いながら先進国に頭があがらないリスクを抱えることになる。


 俺は目を閉じて考える。俺の同僚たちの中からとびきり優秀なやつらの顔を思い浮かべる。たとえば彼らが必要なトレーニングを受けたあとなら、原子力発電所の管理を任せられるか?

 ……ずっとは無理だ。小さな事故もそれなりに起きるだろう。まして大きな地震や津波に襲われている時だったら、相当分が悪い賭けになるだろう。

 俺は窓の外を見た。日はすっかり暮れ、人口100万人の都市、仙台は電気の光で明るく輝いていた。視線を隣の席のこどもに移す。窓からの光がこどもの髪の毛を照らす。

 俺はこどもに声をかけた。

「今日は疲れたな。ホテルで休むぞ。明日は松島に観光に行こう」

 

 その夜、俺は夢を見た。選挙運動中の立候補者が原子力発電所に併設された資料館で展示物のウソや語られていない都合の悪いことを解説しながら支持者と練り歩く。

 その中継はYouTubeで配信されている。

 公職選挙法を盾に、立候補者を止めることはできない。

 次々と電力会社のウソが暴かれ、聴衆は興奮する。

「これは推測ですが……」と前置きして立候補者が言う。

「戦争に負けたあと、日本は核兵器が欲しくてたまらなかったのですが、それは国際社会が許しませんでした。そこで原子力発電に目をつけて、いつでも核兵器を作れる状況を日本に維持しながら『非核三原則』を世界に向けて宣言することでバランスを取ろうとしました。ホンネが核兵器で、タテマエが原子力発電です」

 そういう意見もある。

 で、この「ホンネは核兵器でしょ」という言い方は、公式に発言していない以上、否定もできないやり方なのでフェアではない。

「でもこれにはいくつも問題がありました。一つは日本は地震が多いこと。日本の国土面積は世界の0.28%なのに対し、マグニチュード六以上の地震の二割近くは日本で発生します。そして次に、ホンネとタテマエのコミュニケーションは次世代への継承時にタテマエだけが引き継がれ、明文化されないホンネが忘れ去られることです。ホンネである核兵器が欲しい話は忘れ去られ、核兵器の代理としての原発さえ、『安全な原発』というように、タテマエ化が進行している。これでは原発をとても安全に運用することなど無理です。少なくとも日本では」

 日本の原子力発電を進めてきた科学技術庁というのは、ロケットの研究と原子力発電にその資金のほとんどをつぎ込んできた。だから核ミサイル庁と言えないこともない。科学技術庁は二〇〇一年に廃止され、文部省と統合し、文部科学省となって俺のこどもの教育を監督している。文部核ミサイル省が教育を監督しているのだ。でも文部科学省の中には、真面目ないいやつもたくさんいることも俺は知っている。

 YouTubeを見て駆けつけた野次馬がゲートに殺到するも、ゲートは閉鎖されて入れない。立候補者はゲートの中から明日も明後日もやるから友だち呼んでまたおいで、と言う。野次馬は帰らない。立候補者は施設警備の責任者にだけ聞こえるように言う。

「今ここでこの人たちが暴走してしまったら、止められるだけの人員が居ますか? この発電所は幸い今稼働していません。ですが、大変危険な使用済核燃料プールがあります。どうかわたしのお願いを聞いていただけないでしょうか」

 警備責任者はその言葉を恫喝と判断し、激昂して立候補者に掴みかかる。ゲートの外の野次馬が気色ばむ。ゲートを乗り越えて野次馬が雪崩れ込む。警備員達と野次馬は揉み合いになり、やがて人数差から警備員が拘束される。

 立候補者は言う。

「お騒がせして申し訳ありません。わたしは混乱を収めるため、ゲートの外で講演を行わせてもらえないかとお伝えしようとしましたが、うまく伝える前にこのようなことになってしまいました。これ以上の混乱は望むものではないので、帰ろうと思います。大変申し訳ありませんでした。また、わたしに危害が及ぶと思い行動してくださった皆さんにはお礼を申し上げます。わたしはもう大丈夫です」

 騒動は全てYoutubeにアップロードされていた。警備が突破されたのはほんの一部に過ぎなかったが、原子力発電所の警備は不十分なのではないかと思わせるだけの衝撃があった。ニュースもネットも一挙に騒がしくなった。泡沫候補の一人に過ぎなかった候補者に対し、「原発の占拠を試みている。国家反逆罪で死刑にせよ」という論調もあれば「原発が攻撃目標になった時の脆さを明らかにしたので有益である」という意見まで様々なものが出た。即刻被選挙権を取り上げろという意見もあったが、政府は彼をどのような罪に問うべきかという悠長な議論をしていた。

 結局は町での演説時にノボリを壁に立てかけていたことが公職選挙法違反ということで彼はその回の選挙権を失った。

 ハナシが早すぎる、これは夢だなと気づいたところで目が覚めた。

 隣で寝ているこどもがじっとりと汗ばんでいる。

 俺は布団に隙間を作って被せ直した。こどもの寝顔が少し楽そうになる。

 せめていい夢を見ていて欲しい。

 夢だけか? そりゃまるで映画『A.I』みたいだと思って俺はため息をついた。

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