第3話 実は運がいい男
あぁ、寒いな。何だかんだでまだ18時か。
でも、今はもうこの時間でここまで暗くなるのか。まぁ、12月だし妥当か。
「寒ぃ.......」
それにしても、この時間で家に帰れるのは何だかんだでやはり一般的には恵まれているのだろう。
1年を通してずっとこの時間っていう訳ではさすがにないが、それでもほとんどは定時帰り。人間関係も悪くないし、福利厚生も普通に整っている。
それに一番に目指していた企業ほどではないが一応は名のある企業。一時は諦めずに転職も考えた時期もあったが、給与も蓋を開けてみれば今ではそこまであっちとは変わらないみたいだし、正直なところもう転職する理由もないのが本音だ。
美桜から聞いている限りではあっちはやっぱり残業もえげつないみたいだしな。さすがに超大企業なだけあって残業代はしっかり満額支給されるみたいだが。
まぁ、負け惜しみにしか聞こえないかもしれないけれども、今はとにかくポジティブなことを考えないとやっていられないから仕方がない。それに事実は事実だ。
予定していた結婚式のキャンセル費用や、一緒に住むはずだったマンションの解約費用も諸々なんだかんだで俺が全て出したけど、まぁ今思えば大学も第一志望に色々とあって落ちてしまったことで、第二志望で受かった大学では運よく特待生として授業料も4年間全額免除で通えた。それに美桜を含め、気の良い友達たちもたくさん作れた。そのことを考えれば今回のキャンセルは大したことではない。全然それでもおつりがくる。
とにかくポジティブだ。ポジティブ。でないと今の俺の場合、この寒さと共に冗談抜きで心まで凍りきってしまう気がするからな......。
そんなことを考えている俺は某有名牛丼チェーン店でテイクアウトした豚丼を片手に家の前。
寒さで手がかじかんでしまっているのか上手くマンションの家のノブに鍵がささらない。12月にしては例年よりも寒い気がするが、やはりそれはあんなことがあった後だからそう感じてしまうだけなのだろうか........。
「あ、森高さん」
ん? この声は
「あ、どうも。山本さん。今日は一段と冷えますね」
「はい。ふふ、今日もお仕事ご苦労様です」
ふと声のする方に顔をむければそこには隣人の山本さん。山本美貴さんがいる。
歳は見た感じでは俺よりも少しばかり下ぐらいだろうか。とりあえず、すっぴんでこのレベルの美人は中々に珍しいと思う。残念ながらメイクをしている姿を見たことはないが。
「でも。もう、こんな感じで森高さんにお疲れ様するのも後ちょっとなのか......。私、ものすごく寂しいです」
「あ、す、すみません」
「もう。何でそこで謝るんですか。結婚はおめでたいことじゃないですか。森高さんの奥さんになる人が本当に羨ましいです。絶対に幸せになってくださいね」
いや、謝った理由はちゃんとあるんです。すみません.......。
結婚しません。破談しました。
「すみません。山本さん、実は......」
「あ、ごめんなさい。私、もう仕事行かなくちゃ。でも、とにかく私はずっと森高さんの幸せを応援してますから。ふふ、お引越ししてもずっとです」
いや、すみません。応援しないでください。お引越しもしないので。
そして話を最後まで聞いてください.....って、行っちゃった。
でも、山本さんもこの時間から大変だな。
おそらく看護師か何かの仕事で病院で夜勤でもしているのだろう。
まさに白衣の天使と言うやつか。
はぁ......それにしても辛い。山本さんにも何て言おうか。
彼女からもしっかりと祝い品はもらっている。それもかなり高価な。
返さなくていいなんて選択肢はありえない。
あぁ、今さらっと言えたら楽だったのに.......。
でも、結局俺はまたここに住み続けることになったし、彼女とも何だかんだでそれなりに長い付き合いになるな。遡れば、あっちの会社の最終面接の朝に初めて会ったんだっけか。
その時に彼女がらみで色々とあって、結果として今の企業に入ることになったんだが、まぁ彼女には感謝だな。おかげでホワイト企業に入れて今日もこの時間に帰れている。少なくとも恨んでいるなんて気持ちは一切ない。
ポジティブだ。ポジティブ。
とりあえず、ここに引っ越してきて隣の部屋の住人が彼女だとわかった時はかなり驚いた記憶がある。
でも、ものすごく良い人だし、彼女こそ幸せになってほしい。切実に。
って、何だ? 隆志から電話?
あぁ、どうせ結婚破談の件か。仲の良い昔の友達の何人かにはもうその件については話しているから、誰かから聞いたのか。
「おう、どうした隆志」
「おう、修平。聞いたぞ。結婚なくなったんだってな。じゃあクラブ行くか!」
「は? ちょっと言ってることがわからない。そもそもクラブって何だ」
その言葉はさすがに銀座のクラブ的な感じで聞いたこともあるが具体的に何をしているところかは普通にわからない。高級なイメージだし、こ縁がなさすぎて。
「あん? クラブだよ。クラブ。まぁ、キャバクラの高級版だよ。先に行っておくが決していかがわしい店ではないぞ。立派な大人の社交場だ。俺も先輩によく連れて行ってもらうんだけどよ。マジでいい気分になれるから行こうぜ。絶対に嫌なことも忘れられるから!」
「いや、いいわ。当分ちょっと女は結構」
真剣にな。
「いや、ちょっと待て。マジで可愛い子もいるから。最近俺がよく連れていってもらう店にミキちゃんって子が入ってさ。それがもう綺麗だし最高なんだよ。元は某超有名店で働いていたNo1キャバ嬢だぞ。こっちの世界でもNo1ホステス目指すって言って鳴り物入りでデビューよ。な、俺が奢ってやるからパーッと行こうぜ。パーッと!」
そしてそれはお前が行きたいだけだろ......。
まぁ、心配してくれたのはありがたいけどな。
「とりあえず、ちょっと今は本当にすまん。また気が向いたら連絡する」
やっぱり今はちょっとさすがにな......。
はぁ、それにしても早く豚丼食わないと。冷める。
あ、七味取ってくるの忘れた.......
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