第9話到着

 事務所から港までは徒歩圏内とはいえ約30分前後の時間を要する。決して遠いと感じたことはないのだが、馬車や鉄道というものを知ってしまうとなんだかひどく非効率なように感じてしまうのは人間の悪い癖だろうか。贅沢に味を占めて苦労を惜しむような人間にはならないように、と先生から教えられてきたのでその教えを胸にここまで生きてきたが、初めて鉄道に乗せて貰ったときにはとても感動したことを覚えている。今日のような日は歩くのも気分がいいが、雨が降った日などは憂鬱になる気持ちに嘘をつくことはできない。


 しかし、今日は先生が一緒なので先生に合わせて歩いているのでもう40分近く経過する。先生は歩くのがかなり遅いのである。あまり気にする必要はないのかもしれないが、前に出ないように、遅れないようにを意識しているとかなり神経を摩耗する。


 そんな風にしながら歩き続け、ようやく港の商船が並ぶエリアまでやってきたときには喜びで飛び上がりそうになった。先生は私が歩き疲れている様子に気が付いたのが、椅子に座らせてくれた。その間に自分は米永の待つ商戦に案内してもらえるよう手配してくるようだった。本来ならば私がしなければならない仕事のはずだが醜態をさらしてしまっていることに悔しくなったが、自分の足腰の弱さを恨むしかなかった。


 私は先生が案内人を連れて戻ってくるのをただ待つことしかできなかったが、その間にすることがなく手持ち無沙汰だったので港の船の様子や働いている人々を眺めて時間を潰していると見慣れない景色がそこにあった。


 商戦ではない方の港の船着き場に紐と板で簡易的な仕切りのようなものが出来ていた。その船着き場には船の影はなく、何のためのものか分からなかったがすぐに見当が付いた。


 仕切りの手前の建物からぞろぞろと着物を着た男たちが出てきたのだ。その着物に目を凝らしてみると、胸元に横浜港の紋章が付いた着物を着ている人間と、政府の紋章が付いたものを着ている人間がいることが見て取れた。これから想像するに、これからくる噂のイギリスの技術船を迎えるための何かしらが行われようとしているのだろう。


 その様子を何も考えずに眺めていたが、ふと先生と今朝話していた事を思い出した。


 イギリスの技術船を狙っている人間がいるかもしれないということだ。先生によると外国人排斥派の人間と西洋の技術を盗もうとする派の二種類が存在するかもしれないということだったが、実際にここから周りの様子を見ただけではとてもじゃないがそのような人間がいたとしても判断することができないだろうと感じた。


 「日野君、行くよ」


 いつの間にか技術船が来るであろうと予測した船着き場に食い入るように見入ってしまっていた私は先生がすぐそこまで来ていることに気が付かなかった。


 「あ、はい。行きます!」

 

 慌てて立ち上がったので転びそうになってしまい、バランスを取るために何とも情けない姿を取ってしまったが、先生は案内役の人間について歩きだしていて運よく見られることはなかった。


 「ここから商船のエリアになります。東インド航路監督の米永は手前から三番目の船の横についている監督室にいると思われます。不在であっても数分で戻るでしょうからお待ちになっていてください」


 案内人は先生と私に事務的な口調でそう伝えると、急ぎ足で横浜港の庁舎に戻っていった。やはり、これからくる技術船の用事で忙しいのだろうか。


 先生と私は言われた通りの場所に到着したが、米永の姿は見えなかった。不在である場合の事を伝えたのはその可能性が高かったからだろう。じきに戻るとのことだったのでさして気にはならなかった。

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