第8話おでん屋
☆
「日野君、寒くないか」
「いえ、私は大丈夫です」
「日野君、お腹すいていないか」
「もうすぐお昼時ですし、お腹は少しすいてきましたね」
「そうか、じゃあ港に行く前にそこのおでん屋さんでおでんを食べていこう」
先生は遠くに少し先に見えているおでん屋さんに目が付いたのか、少し早いお昼におでんを選択した。私は先生がこれだと決めれば反対はしないのだが、いつも遠回しに私の意見を聞いてくれるのは先生の優しい所だ。おでん屋さんに決めたのもきっと私が好きだからに違いない。それに外を歩いて冷える体を温めるのにも最適だ。
おでん屋さんの暖簾をくぐると、まだ早いからか人はほとんどいなかった。店主は私たちの姿を確認すると元気のよい声をかけてきた。
「ゆきちゃんとキリマンジャロ先生かい。いらっしゃい」
ここのおでん屋さんは私が先生に何度も連れてきてもらったことがある為、店主とも顔なじみである。私一人でも来たこともあるくらいここのおでん屋さんの味は気に入っている。先生は私が一人でもここに来たことがあるというのをどこから聞いたのか、明らかに先生が私をここに連れてくる回数が以前に比べて増えている。先生は私にそれを聞くでもなく、表情を変えるでもなく毎回適当な理由をつけてはおでん屋さんを選ぶので、なんだかおかしくなってしまう。ありがたいのだが、先生の好きなものもたまには食べてみたいと感じるのだった。
結局先生も私も店主のおすすめ通り、熱々の大根と昆布とたまごとごはんでお腹を満たすことにした。
「店主さん、最近調子はどうですか」
先生は食べ終わっていたが、私はまだごはんが残っていたので先生は店主との談笑に興じ始めた。
「そこまで大きな変化はないねぇ。だけど、最近は穢土連の連中が横浜にも拠点を広げたらしいとかの噂で夜に立ち寄ってくれる客はへったかなぁ。横浜も栄えるのは望ましいことなんだが、治安が悪くなって住みづらくなるんじゃあこまるなぁ」
「そんなにですか。知りませんでした」
「いやいや、俺もね、常連さんからたまたま耳にしただけなんだけどね。よくよく思い出せば夜の客が減ったなって思ったんだ。それと…」
そこまで言うと店主は言葉を詰まらせた。すると周りを確認して先生と私の顔の間に店主が乗り出して耳打ちするように加えて言った。
「穢土連の奴らはどうやら体のどこかに八の字の鎖を断ち切ったような柄の刺青が入ってるらしいって聞いたんだ。どこかは分からねぇが、気を付けた方がいい」
そう言うと店主は真剣な眼差しからいつもの威勢のいい笑顔に戻って店の奥に消えていった。
そのまま店主は奥で仕込みを始めてしまって戻ってくる様子が無かったので会計を済ませて店を出た。
「いやはや、いい話が聞けたなぁ。たまには足を使って聞き込み調査もしてみるもんだね」
「いや、いい話というか、これは怖い話でしたよ。先生も有名なんですから気を付けてくださいね。私も夜遅くまで出歩かないようにします」
「それはいい心掛けだけど、あんまり意味ないと思うな。穢土連は一般人を襲ったことはないからね。彼らはやってることや、やろうとしていることは非道義的だけど、理念や信念はあるらしいからね、闇雲に一般人に危害を加えるような野蛮なことはしないと思うよ。状況が変わらないうちは」
「状況が変わらないうちはって…」
私はその先生の楽観的な事に少しばかり不安を感じたが、きっと先生がそう言うのであればそうなのだろう。それにしても、穢土連が横浜にまで勢力を伸ばしているのは想像以上だった。穢土連の人間が横浜に出てきて活動をしていることは度々事件になっていたので知ってはいたが、拠点があるとは驚きだった。穢土連に限らないが、反政府勢力はなんであれ、拠点を都市部や栄えている場所に置くことを嫌ってきた。なぜなら、当然横浜港や東京などの主都は警備が充実しているし、拠点を構えるなどもってのほかだったからだ。それなのに都市部に進出してきたということは何か狙いでもあるのだろうか。
「どうして都市部やここ横浜にまで進出を始めたのでしょうか」
私は自分でいくら考えても答えが出そうになかったうえに、想像の上でも考えが及ばなかったので先生の考えを聞くことにした。
「どうだろうね。僕にも反政府組織なんて連中の考えることは分からないよ。でもまぁ、木を隠すなら森の中ってことなのかもしれないね。最近では郊外から都市部の中心の方にまで住宅が急速に増えているから、役所も住民を全て把握しきるのは難しくなってきたからかもしれない。国が建てたものを空き物件にしておくわけにはいかないから、ある程度審査抜きでも人を入れていかなきゃいけないという事情の元、反政府側の人間が紛れていても対処しきれないと思うよ」
私は先生の返事から、先生は穢土連のような反政府組織の人間がどうして増えているのかについてそこまで興味を示していないように思えた。適当に返事をしているわけではないものの、先生と長く関わっていると何となく雰囲気で伝わってくるものがある。適当ではないが投げやりではある、といったところだろうか。私も先生のその空気を感じ取ったのでそれ以降余計に話を蒸し返すようなことはしなかった。
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