第6話消えるワイン

 ☆


 「つい3日前のことなのです。自分は例によって日課である輸入品のリストと到着した商品の仕分け表を確認しながら足りないものがないか、輸入金額は適切に支払われているか、他にも輸入したものが地方に配送されるために運送業の手配がされているかなどを行っていたのです。ですが、ここで問題が起きたのです。そもそも東インドは清やイギリスと三角貿易を行っていたので、そこから得られたワインや絹、綿織物などをそのまま、より貧しい地域に売りさばくことで最近は利益を出しているのです。横浜港でイギリス始め西洋の航路を担当している部署では、薄利多買を防ぐためにワインなど贅沢品の一度に輸入できる量を規制していました。そのため、政府にはバレないように西洋産のワインを東インドからそのまま輸入することで実質的なワインの輸入量を増やしていました。ワインは最近では都市でも飲まれていますし、地方の富豪にも人気なので輸入すると高く売れるのです。そのため、自分の担当する東インドの部署ではワインは一番の売り上げ項目の一つなのです」


 ここで米永はもう一度息を大きく吸い込み、空になった自分の茶飲みの見ながら続けた。


 「しかしです。その日の輸入品のリストを見ると確かにワインの樽は50輸入されているはずでした。自分は何度も何度も確認しました。ですが、輸入品を取り置きする倉庫の中にワインの樽は一つもありませんでした。あるにはあったのですが、それはその日輸入されたものではなくて配送を待っている樽でした。支払いと受け取りの手形を頂いていたので一度は運び込まれたはずなのです。ですが50もの樽が一度に消えるなんて考えられません。そこで自分は先生にこの謎を解決していただきたいのです」

 

 一息に力強く喋り通したため、語り終えた米永は興奮してか疲れてか鼻息荒く肩で息をしていた。


 先生は米永が話している間、米永の様子を観察しながらも話の内容に考えを巡らせているようで、米永が話し終わった後も少しの間黙り込んで腕を組み、考える素振りをしていた。


 季節は秋から冬に変わろうとしているところなので米永の服装は厚手の着物を着ているが、袖の先を拳の中で握りしめていて、傍から見ていて相当憤怒しているのだろうと感じ取れるほどであった。


 語り終えてから少しの間お互いに言葉を発せずに時間が経過していたが、ついに先生の方が沈黙を破った。


 「それは困った話ですね。50もの樽が一瞬でね…。疑うわけではありませんが、お話だけでは流石に米永殿の主観も入っていることでしょうから、私でも判断しかねます。この後、その現場に連れて行ってもらえるのかな?」


 「勿論でございます。先生に解決していただくためには当然でございます。港の方でも先生がいらっしゃるとの話は通してあるです」


 私は先程から米永の言葉遣いが時折おかしいことに意識が向いてしまって少しおかしくなってしまっていたが、現在の識字率を考えればそれも頷けよう。


 そもそも学校を最後まで修了する人間の割合の方が未だ少ない上に、言葉遣いとまでなると良家の出か、相当優秀かのほとんど二択になる。米永は港の監督者を務めるほどの人材なので優秀であることに疑いはないが、その米永でさえ未だ言葉の端々に至らないところが見られるのは日本の教育制度の進歩の遅さたるやと言ったところだろう。


 その点で幼少から先生に英才教育を受けて育った私は特別な存在と言えよう。その文字の読み書きのできることと、礼節をわきまえた立ち振る舞いのできる子女であるだけで仕事がある時代なのだ。先生には計り知れないほどの恩がある。


 そんなことに気を取られていると、米永と先生の会話は短い間にかなり進んでしまっていたようだった。


 「では先生、準備ができたらいつでもお越しくださいな。自分は先に港に向かっていますんで。後ほど」


 「昼過ぎには遅くとも。ではまた」


 どうやら後ほど現場に向かうということで話は取り合えずまとまったらしい。確かに話は向こうでもできるし、現場も見ずに米永の持つ情報だけで判断するのは一番危うい。当然の帰着と言えよう。


 米永が席を立った後、先生はその後ろ姿を眺めていたが紗月さんは遅れることなく米永が部屋を出るために扉を開け、自分の仕事を全うした。


 私は米永が席を立ち、部屋を出るために歩いていた時にもずっと着物の袖を握っていたことがずっと気になってしまっていてただ眺めていることしかできなかった。

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