第4話予定


 八時半になると、先生と私の話が終わるタイミングを見計らっていた紗月さんが声をかけてきた。


 「そろそろいいですか。今日は九時からお客様がお見えになります。他にも数日前から失踪している川崎の女性についても調査の依頼が来ていて一応返答を保留してあります。警視庁からも前回担当した事件についてケイ・カミーユ殿に意見を聞きたいとのお話も来ています」


 紗月さんは予定を確認するべく現状入ってきている仕事について述べた。紗月さんは対外的な交渉や、様々な事を担当していて、それを一人で請け負っているので相当業務は忙しいはずだが、大変優秀なためそつなくこなしている。

 

 探偵事務所きりまんじゃろは様々な業務を請け負っていて、小さいものでは街の市場の紛争の解決や、大きいものでは殺人事件や傷害事件、窃盗、強盗などの凶悪な事件の解決にも一役買っている。というのも、すべてケイ・カミーユの積み上げてきた功績の上にあって、彼の事件解決能力や推理能力は並外れていると評判である。


 探偵事務所を始めた頃こそ警視庁や邏卒の人間からは一般人がでしゃばるなと白い目で見られていたが、政府が解決できなかったような難事件を次々と解決に導いていくうちにその実力を認めざるを得なくなったのだ。それに、現在警視庁の幹部を務めている人間がケイ・カミーユを支持している人間ということも追い風となり、政府や警視庁とも友好的な関係を築いている。若い警察の人間は密かにケイ・カミーユに憧れを抱いている人間さえいるようだった。そんな背景もあり探偵事務所きりまんじゃろは行動が相当自由に行えるようになったのだ。


 その一方で、穢土連のような反政府団体や過激派組織からは、横浜に腕のいい探偵事務所があるらしいということで警戒されているという話も上がり、「キリマンジャロには気をつけろ」という言葉まで聞かれるようになった。


 そんなわけで警視庁からも前回解決した事件の事後整理が必要なのか、意見を聞かせてほしいとの話も上がっているようだったが、今日は目下九時からくる依頼者の話が先である。


 「紗月さん、僕はこれから港に行きたいんだけど…」


 「駄目です。九時にいらっしゃるお客様のお話を聞いてからになさってください。先生が話を聞こうとお請けになったお話ですよ」


 先生が今日は港で何か起きそうだと考えているのか、港に行きたいといったが紗月さんがそれを許さなかった。先生は時折衝動に駆られて予定を無視した勝手な行動をするときがあるが、紗月さんは基本的にそれを抑止する係にあるのだ。


 探偵事務所内での力関係は明らかに紗月さんが一番上である。先生が放つ言葉には力があり、いざという時には私も紗月さんも先生の言葉に従うことは当然で異論はないが、日常的な話になると話は変わる。


 つまるところ紗月さんはきりまんじゃろの母のような存在であり、先生も私も多方面で頭が上がらないのだ。今日のように先生が無責任な発言をすると、紗月さんはもちろんそれを戒める。先生も自分の権力を濫用してそれを無視するようなことはしないのが律儀な所だが、私含めたった三人でいわば家族ではないが家族のように毎日顔を突き合わせて仕事をする上ではお互いを尊重し合うことが上手くやっていくコツなのだろう。そのせいか、私はきりまんじゃろで生活している間紗月さんと先生が喧嘩は勿論のこと、口論の一度でさえしているのを見たことはない。私もそれを見て育ってきたので二人に反抗したりできるような立場ではないのも分かっているし、当然喧嘩も口論もない。当たり前なのかもしれないけれど、先生も紗月さんもこういった部分で大人だと私は感じるのだった。


 「仕方ないか…。九時からの依頼者の要件はもう聞いているのかな?」


 先生は紗月さんに港への散策を止められたが、自分で決めた予定だということもあり渋々受け入れた。


 「お話は直接ということでしたのでまだ聞いていません。なにしろ、あまり聞かれたくはない話だとか」


 紗月さんは話を聞いていないこと、そして何やら重要な話であるような旨を聞いたであろう範囲で伝えた。


 「それはなんだか嫌な予感がするね。難しい話は嫌だよ。いや、ほんとに」


 先生は冗談交じりに独り言でそう言ったが、そう思うのも私には納得がいった。探偵事務所という仕事の性質上、互いに争い合う権利を裁定したり、凶悪な事件が起きればその罪を暴くことにより民衆の生活の安全や幸福に資する半面、犯人、それらに関係する人間からは恨みなどの負の感情を抱かれることは想像に難くない。


 先生は今までの恩赦から警視庁によって要請があれば政治家や政府の重要人以外で警護をつけることを認められた稀有な例であるが、先生は自分の行動が誰かについて回られるのは好きではないという理由からその好意を拒んできた。紗月さんは事件のその重大な時には警護をどうかつけてくださいと事あるごとに先生に頼んでいるが、これだけは譲れないのかこの話になると先生は聞き訳が悪くなる。私も先生に危ないときに警護が付いているのは安心感があるので可能ならばそうして欲しいのだが、言ったところで意志を曲げるようなことはしないだろう。


 とはいえ、最近では先生の仕事に私が同行させてもらうことが多くなり、誰かについて回られたくない、自由に動きたいと言っていた先生に唯一許された存在のような気がしてどのような意図であれ悪い気はしない。


 結局、その後は先生は黙々と紗月さんの整理した書類に目を通し始め、紗月さんも事務所に届いた手紙や依頼状、その他を仕分け始めた。私も先生に頼まれた街の地図と、東京、横浜の都市計画の書類についてバラバラの紙を綺麗につなぎ合わせて一つにする作業をし始め、九時になるまでの時間を各々無駄にしないように過ごしていた。




  

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