第3話事実と予測



 「先生、何か今日は気になる事件でもあったんですか?」


 私は今朝いつも通り一階の喫茶店で珈琲を飲みながら新聞に目を通している先生を呼びに行った際に、いつもはすぐに私に気づいて呼びかける前にもう新聞を畳み始めるのに今日はそうでは無かったことに対しての疑問を投げかけた。珍しく新聞の内容に気を取られていたのか、私に気づいている雰囲気はあったがすぐに立ち上がることはなかった。そのため、私は先生が今日の新聞の中に気になる事件や事柄を見つけたのだと当然の推理をした。


 事務所の中でひときわ大きい椅子に座り、再び新聞を読み始めていた先生は私の問いに不思議そうな顔をして見せた。


 「日野君、君には新聞を毎朝読んでから来るように言ってあったはずだが」


 先生の返事は私に新聞の読みが浅いことを伝えるものだった。私は新聞の内容について明らかに必要のないと認められるもの以外はきちんと目を通している、と思っている。それに先生と私の呼んでいる新聞は同じ会社が発刊したものであることはすでに分かっている。


 「確かに新聞は読みましたけど…。今日の話題といえば、平戸に新しい造船会社ができるということと、イギリスから新技術を乗せた貨物船が来るということですかね」


 「それだよそれ。分かっているじゃないか」


 「それ、ですか?」


 私は先生に「それだ」と合格を頂けたが、それがどのように重要でどのような点で先生の気を引くようなものなのかが未だ理解できていなかった。先生はしばらく私が考える様子を眺めていたが、どうしても答えが出ないところを見て助け舟を出した。


 「最近、イギリス関連で何かなかったかな」


 「イギリス…。最近だと、イギリスから来た領事の使いが横浜から静岡に向かう際に過激派の一団に襲われた事件が有名ですね」


 私はイギリスという手がかりから最近起きた事件の中でもとりわけ大きいものを選んで回答として提出した。


 「そうそう。それだよ。日野君は記憶力もいいし、頭の中に情報は揃っているのにそこから答えに結び付ける想像力がまだまだ訓練が足りないようだね」


 私は突然先生に駄目出しをもらう形になったが事実無根であり、反論するなどもってのほかだった。


 「全くその様です…。それで、教えていただけますか?」


 「そうだね。ただ、別に僕自身が考えていることが全て事の真相を的確に当てているものだとは思わないでね。あくまで可能性の話だから」


 先生は持論を展開する時はほとんど毎回このような台詞を挟む。確かに、先生は事実を集めてそこから演繹的に答えを、これから起こりそうなことを予想しているだけと言えばそれだけなのだが、私の経験上先生が大きく予想を外したことは賭け事以外で見たことがない。


 「今回は簡単な話だよ。2、3週間前に起きた過激派のイギリス人使者襲撃の事件は未だに犯人が見つかっていない。それに、この襲撃の事件はここらでは有名な話だが、新聞の記事にはなっていないし政府も表沙汰にするのを好ましく思っていない。確かに、イギリス人に限らない話だけど、在日外国人を好ましく思わない人間にとっては襲撃事件を起こして未だに犯人が捕まっていないとなれば、各地方、都市に点在する過激派の団体は決起しかねない。自分たちも行動を起こそうってね。犯人が捕まっていれば犯行抑圧になるのかもしれないけどね…。だから、今日、イギリスの新技術を乗せた貨物船が来航するということは、少なからず何か起きそうな予感がするけどね」


 「確かに…」


 「それに、厄介なのは、打倒政府を掲げる大きな団体、例えば『穢土連』とか、外国人に対して弾圧を加えるような思想ではない団体も狙っているかもしれないところだよね」


 東浄穢土連合会とうじょうえどれんごうかい、通称『穢土連』。彼らは東京を浄化し、穢れた地になってしまった江戸を取り戻そうという打倒政府組織である。国内でもその名を知らない者は少なくないが、実態は掴めていない。政府の憲兵も捜索に乗り出してはいるようだが、雲をつかむような状態になっている。


 穢土連は表立って激しい事件を起こしたことはないが、それが余計に不気味さを増長させている。基本的には政府から武器の窃盗や、台場など軍事施設の資料強奪が主な犯行である。今のところ、それらを駆使した武力衝突に発展した事例はないが、警戒しないわけにはいかないだろう。それに、穢土連は北は平泉から南は薩摩の方にまで勢力が広がっているらしい。


 首謀者は分からず、地方の拠点が見つかったことはあるが、集会用の仮住宅のようなもので何も得られなかったという。穢土連に限らず、このような団体は思想こそ違えど一定数存在している。今でこそ政府の統制の取れた鉄砲隊など、優れた技術や訓練による兵士の練度の差で何とか治安が維持されてはいるが、実際のところ過激派団体がその気になれば政府も無傷ではいられないだろう。


 「確かに…。穢土連のような過激派団体が狙っているのは外国人弾圧ではなくて新技術の方ですよね。新技術を政府より先に手に入れて一歩先へ進みたいという動機から強取に乗り出す可能性も十分考えられます。私の想像力の甘さを痛感します」


 考えれば考えるほど、どうして私はすぐに思い至らなかったのかと悔しくなった。事情を知っている人間なら誰でも思いつきそうなものだった。


 「そこまで悔いる必要がない、とまでは言わないけれどヒントを与えればすぐに発展的に考えられるのはいいところだよ。頭の中に無数に広がった点と点をすぐに適切に結びつけられるようにこれからも日常の中から訓練しなさい」


 「はい、先生!」


 先生からご指導を頂いたところでちょうど時刻は八時半になった。



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