90年代の教育は大炎上しかねない

拓郎

酒鬼薔薇事件をしっていますか。

さかきばらと読む。


時は一九九七年。近所の学校の校門に切断された首が置かれ、神戸新聞社には「野菜をさらにぶっ壊す」という犯行声明文が届いた。被害者は十一歳だった。


この「野菜」は児童を指し示しており、完全に「君たち子どもがターゲットですよ」というメッセージだった。


しかもまずいことに神戸新聞社が「さけおにばら」と読み方を間違えたのだ。それでやつは「名前間違えられてもう怒った。あと二つ野菜ぶっ壊すことにした」とさらにヒートアップした声明を送ってきた。

幼心に「も――新聞屋、頼むから名前間違えんなや。とばっちりこっちに来んねんから」と思った。


とにかく後二つの野菜が壊されることになり、僕たち神戸のガキンチョは震えながら生活しなくてはいけなくなった。

現在のウイルスも同様だが、やはり他人事じゃないニュースというのは恐ろしい。「次は俺かも」と怯えて暮らすのは、じつにストレスフルな生活だ。


特に下校が怖かった。集団下校などは行われず、無防備そのものだった。


阪神淡路大震災から二年しか経っていない道路は、叩き割った皿のように亀裂が入り、あちこちヒビだらけだった。そんな道をちびっ子がとぼとぼ歩いて帰るのだ。


人っ子一人いないシチュエーションもある。いきなりそこらへんの草むらから酒鬼薔薇が飛び出してきて、斬殺されるんじゃないかとビクビクした。


友人の川口くんなどは猫の「ギャー!」という鳴き声を酒鬼薔薇と勘違いし、大量のションベンを漏らしていた。


「誰にも言わんといてな。特に落合には」と頼まれたのだが、翌日「ションベンチキン野郎」とクラス中で言いふらした。もちろん川口くん愛しの落合さんにもしっかり伝わった。ライバルの評価は落としておきたいところだった。


後日、机の中に犬のフンを詰めるという陰湿な復讐を受け、僕と川口くんは大げんかになった。けんかをすると友情が深まるのか、僕たちは「そもそも悪いんは酒鬼薔薇や!」とさらに仲良くなり、毎日一緒に下校することになった。


「酒鬼薔薇は四十代後半のキモおっさんだと思う」

「白い車に乗っている」

「黒い車にも乗っている」

「学校への恨みが生き霊になった存在だから逮捕は不可能」

「神戸市が密かに作った人造人間」

「来月、大阪ドームと名古屋ドームができる。風情がないからドームが嫌い。社会への復讐」


様々なプロファイリングが行われたが、考えれば考えるほど、どんどん怖くなり戦慄が絶頂を通り越してしまいそうだった。


そんな猟奇的殺人犯は子どもからすると恐怖の対象だったが、大人にとって「酒鬼薔薇」は一種のツールだった。


たとえば学年集会。頭の悪い子どもが大量に集まるので、たまらないうるささになる。学年主任のゴリラも怒号をあげるのだが、なかなか静かにならない。そんなときに「おい野菜ども」とボソっと言うのだ。これだけで瞬時に無音になる。


大勢の騒音の中でも自分の名前が呼ばれるとハッとすることがあるが、アレだ。僕たちは「野菜」と呼ばれたらハッとするようになっていた。


この手法は職員室でブラッシュアップされたのか「悪い子のとこには酒鬼薔薇が来るぞ……」という指導方法も大流行した。


「サンタは良い子のとこにしか来ない」と同じ文脈のくせに信ぴょう性は比べ物にならなかった。

事件が解決しない限り、心の平穏は訪れない気がしたのもあり、心から捜査本部を応援していた。

子どもたちみんながアフター酒鬼薔薇の世界を夢見ていた。


あの日もそうだった。水のように澄み切った初春の空だったのをよく覚えている。三学期もいよいよ終わりに近づき、四年生への進学の足音のする頃だった。


抜けるような空の下、グラウンドで遊ぶクラスメイトの女子、落合さんの後頭部に、僕はおもいきりドッジボールをぶつけた。


理由としては好きだったからだ。だって来月、クラスが別れたら話すことなんてないかもしれない。そもそもほぼ口聞いたことないけど。でもどうすればいいかわからない。頭の悪いガキは、燃え盛る愛情の炎を鎮火する手段がないので、ボールでもぶつけてコミュニケーションをとるしかない。


予期せぬ方向から僕の投げたボールが当たり、落合さんはその場にへたり込んで泣いてしまった。


一緒に遊んでいた三人の女の子が、しくしく泣く落合さんの小さな肩に手を当て、「あやまりーや!」とこちらに謝罪を求めてた。僕は「うっせーブスが!」と毅然と言い返した。一人のブスがぐっと黙り込んだと思うやいなや、歌いだした。


「いーやーやーこーやーや……!せーんせーにゆーたーろー……!」


他のブス二人も「いーやーやーこーやーや……!」とユニゾンで声を重ね出す。地域によってこの導入部分の歌詞が違うらしいが、悪事に対して制裁を加えることを告げるこのゾクゾクする旋律は全国共通だろう。


僕は「やめろー!やめろー!」と叫んだ。

三人のボーカルは非難めいた表現を帯びていき、音量も上がっていく。この曲は半永久的に歌い続けることができる。まわりに散らばる子どもたちもこっちを見ていた。嫌な汗をかいていた。


しばらくして巨大なチャイムが校庭の空に鳴り響いた。多くの生徒がキャーッと意味不明に叫びながら、全速力で校舎に吸い込まれていく。落合さんを大げさに心配しながら、彼女たちも帰っていった。ひとりのブスがロックスターのようにこちらに中指を立てていた。


「おそらくこれは学級新聞一面ものの大事件になるな」

直感がそう言っていた。おそらく教室に帰れば、授業を中断するレベルの裁判が行われるだろう。クラスメイト全員に傍聴される想像をすると、果てのない悲しさが心を覆った。


僕はやけになって、校庭の隅っこに座って泣いた。現実における希望のなさに吐き気がして、何の気なしに這い回るアリを踏み潰していた。


大量虐殺されたアリを見ると、今度は申し訳なさで死にたくなってきた。立ち上がる気力もなく、じっと白砂に正座していた。丸出しの膝に小石が食い込んできた。


一刻ほどそうしていると、校舎から髪を振り乱しながら担任の鬼ババアが走ってきた。すごい顔だった。

ババアはひとしきり怒鳴り散らし、僕の空っぽの頭を殴りまくった。彼女のヒステリックには慣れっこだったので、嵐が収まるまでほとんど無反応にしていた。


鬼ババアはその様子にムカついたのか、「お前みたいなやつんとこに酒鬼薔薇は来るんやろなぁ……」ととどめを刺しにきた。今思うと、酒鬼薔薇はナマハゲなのかと言いたいが、その名を出されるだけで、怖くて怖くて窒息してしまいそうだった。


「来るぞ!」という掛け声と同時に頭がバチンバチン鳴る。「来るぞ、来るぞ!」バチンバチン。

いい年こいたおばはんが十歳のアホの子を「来るぞ」と叫びながら殴っているのは、引きで見ると笑えそうだが、当の本人としては恐怖で心がやられてしまいそうだった。


戦慄が膀胱ぼうこうに達したら川口のようにションベンを漏らすことも容易に考えられたので、ひたすら「勘弁してください!」と謝り続けた。


しかし鬼ババアはおかまいなしに「あたしに謝ってもしゃあないやろ!落合に謝らんかい!来るぞ!」と気持ちよさそうに怒りながら、僕の頭をバンバン叩き続けた。


教室に帰ると教室は給食の匂いが充満していた。まず落合さんの席に向かって「ごめんなさい」と言った。目も合わせてくれなかった。


食べ遅れたせいで、僕は掃除の時間になっても一人給食を口に詰め込んでいた。粘土を食べているようで味覚障害になった気分だった。校内放送から流行りの歌が順番に流れているが、馬鹿男子たちの喧騒でかき消されてる。


いいかげんな掃除が終わり、子どもたちがいっせいにグラウンドに飛び出していった。

部屋がしぃんとすると同時に安室奈美恵が『CAN YOU CELEBRATE?』を歌い終えた。ここには祝福することが何一つない気がした。

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