02:16

「ニ彼ァ奴のダぬ下に下んげ界の門ンがあだりまマます」

 天井の高い、洞窟のような所にいる。地面や壁を構成する物はさっきの荒野で見た赤黒い岩石と同じように見えるので、それほど遠くには来ていないのかもしれない。地中に潜ったか、近くの山の内部にでも移動したのだろう。もっとも、この世界がすべて血のような色の荒れ地なのだとしたら、どれだけ遠くに移動したのか、検討も付かない。

 洞窟内はぼんやりと明るい。どこから光が届いているのかわからないが、壁全体が淡く発光しているようにも見える。それにしても、この匂いは何だろう。鼻に付く、酸っぱいような、ひどい匂いだ。


 頭蓋骨の視線の先を見ると、何やら巨大な、どろどろとしたゲル状の物が積み上がっている。天井近くまで溜まったそれは、微かに蠢いているようにも見える。

「何ですか……、あれは」

「ュおぞンましパい生ヲ命体ぅ……。ガあれレこグそが吐瀉ィ物のド王ですス。ぎャ奴の下モに下界れの門がんあゾりますにュ」

「え、何ですって? 吐瀉……」

「あラらゆえるン吐ぐ瀉物ッの王モでしす」

「吐瀉物の王……。なんでまた、そんな物に王が……?」

 半透明で、粘っこく、よく見ると内部に大小様々の残骸めいた物が浮かんでいる。そして、何よりも、巨大だ。大きさだけで言えば、紛れもなく王の風格はあるだろう。ここに充満している酸味のある刺激臭は、あの塊から発しているのだ。

「げ見てネんくださゥい。奴ァのだ足元ピぬを」

 見るとその塊の下に、大きなひび割れのような物が透けている。アスタリスクのように、三本の線が交差した形だ。

「あとァね二分ズっと一ン秒ですュ。そのげ時ミが来れグば、ら門はャ開き、シ下界るの者じョが溢れき出しルますペ。ゼそうなかればダ私ぬ達はザぁ終わのりですマ」

「下界ということは、ここは上界……、天国ですか?」

「ろ位置じの上べ下じァゃありんまマませんビゅ。下劣ヅなるモ下々ぬの者達ぇ、ゴ不浄なじュる汚ォ物のぎ掃き溜ンめでヒぃす」

「下劣な者……」

 見知らぬ土地に隠す物も隠さず突っ立っている僕は、果たしてどちらの味方だろうか。

「ァザさあン、ミ早くぐ、ら魔法のび呪ゥつ文をレ!」

「呪文?」

「ボそうッですズ、あぐの汚マらぅわしく脈じ打っペた赤銅ォ色のン核ぢが見ブえるワでしジょぇう。ァだ魔ん法のぽ呪文でに奴ヅの吐て瀉物質をダ吹きァ飛ばパし、ィ核を破ん壊すケるのでにュす!」

 僕は吐瀉物質とやらに浮かぶ残骸に目を凝らしてみる。なるほど、言われてみると、原型のわからない色とりどりの滓に混じって、ただ一つ固形を維持した輪郭が見える。子供がでたらめに丸めた泥団子のような物体が、どくどくと脈打つように動いている。距離から考えても、相当な大きさだ。その直径は、僕が両手を回しても足りないだろう。

「試してみるので、呪文を教えてください」

「な冗ズ談を言もってツいる暇ァえはありマまませんピ。ぐ残りヅ一分ゅ四十レ三秒んですげィ!」

「冗談じゃありません。知らないんです。その魔法の呪文というのは、どこに書いてあるんです」

「どゥまさチか……。る嘘ャでしょにョう?」

「時間がないのなら、早く僕にその呪文を教えてください」

「そボんぃな、か馬ガ鹿なガがガが……」

 頭蓋骨は大きく震え出し、歯を小刻みに鳴らし、がくがくと上下に揺れ始めたかと思うと、とうとう顎の骨が外れてしまった。

「呪文を知っている人、もしくは書いてある場所に案内してください。さっきみたいにワープすれば、すぐでしょう」

「じョ知っぷていンる者はァば、いなズいく……。白わ亜のぶ墳墓ォをん訪れパた勇ガぇ者のみたが、ッその呪ュ文をる知りモ得るぷのでぎョす……」

「だったらそこへ飛ばせばいい!」

 僕はうだうだと煮え切らない骸骨に苛立ち、両手で棘をつかみ、左右に思い切り引っ張った。骸骨は外れた顎をだらりと垂らしたまま、苦しげな悲鳴を上げる。僕は棘を引きちぎらんばかりに力を込めて引っ張り続ける。骨から声とも軋みとも言えない嫌な音がし始めた瞬間、強烈な光があっという間に骨と僕を包み込んで、洞窟も、吐瀉物も、何もかもが、消え去った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る