03:00
意識が途切れたわけではない。部屋の窓ガラスが割れ、妙な物が見えて、強烈な旋風の中で、ほんの少しだけ、立ち眩みのように頭がぼんやりとなった。けれど、意識は続いていたはずだ。
それなのに、どういうわけだろう。僕は今、全く知らない場所に立っている。見渡す限り、赤黒い荒野が広がっていて、まるで火星の風景だ。あれほど容赦なく吹いていた風も、今は髪の毛一本揺らさない。そして目の前には、真っ黒な二つの眼窩をぽっかりと並べて、さっきの頭蓋骨が浮かんでいる。二つの穴はちょうど僕の目の高さにあるので、僕を見ているのは疑いない。一体何が起こっているのか。僕の部屋はどこに消えてしまった。この頭蓋骨は何なのか。それから、なんだか落ち着かない。そう、僕は裸だった。
「ぐルミぁわバ」
唐突に、頭蓋骨が発声した。
喋った、という気がしないのは、それがまるで聞いたことのない音の響きだったからだ。これまで耳にしたことのあるどの国の言葉とも違う。声というよりは、掃除機に異物が詰まった時のような無機質な雑音を思い出させた。
「ぐルミぁわバ、ニらぅパがいざエん」
また喋った。今度はちゃんと「喋った」という気がする。一定のまとまりを持った音の繋がりが感じられた。と言っても、意味はまるで理解できない。確かなのは、このだだっ広い景色の中にいるのが、僕と頭蓋骨だけだということ。つまり、その言葉は僕に向けられている。
「マわヅ、ニらぅパがいざエん」
頭蓋骨はさっきからぶるぶると震えたり、回転したり、慌ただしく動いている。その度に、四方に飛び出した棘の先が刺さらないかと、ひやひやする。肌を丸出しにしているから尚更だ。
「ニらぅパワみンぇぶそ」
何かを伝えようとしているのか。けれど、意思の疎通は絶望的だ。せめて人間の形をしていれば、身振り手振りで伝える方法もあったろう。しかし、相手は棘の生えた頭骨である。下手に刺激する前にさっさと逃げてしまうという選択肢もあるが、周りには何も無いし、この荒れた大地を裸足で走るなんて、考えただけでもぞっとする。
「何を言っているのかわかりません。日本という国の言葉は話せませんか?」
とりあえず、考えてもわからないことは放っておいて、眼前の事態にのみ集中することにした。
「僕の言葉、わかりますか? この言葉で喋って欲しい」
頭蓋骨は僕に視線を向けたまましばらく震えた後、垂直方向に一回転し、棘の先を明るく光らせた。見る間に眼窩の奥から同じ色の光が漏れ出したかと思うと、すぐにまた暗くなった。
「勇ば者様、勇者グ様ぃ、あン時間ざがありォませピィん」
ひどくノイズの混じったラジオを聞いているようだが、かろうじて日本語らしき物が聞き取れる。
「時間がない? どういうことです。というか、ここはどこですか?」
「ダそんィなことンバはいいァじんからグ、ゥとにテゴかくン急いギさでくにュださぶンい! ぺ時み間がなェンいのヤですせヂ、下モ界のほゥ門がミ開ぁいてデしまとマいまマますギゃ」
わからない。とにかく急かしている様子だけは伝わるが、僕にどうして欲しいのか、肝心の所がわからない。
「時間がないのはわかりました。もう少し、聞き取りやすくなりませんか?」
頭蓋骨はまた同じように振動、回転、発光を繰り返した。
「あとガ三分しィにか無いんデです。ジゃ下界ンの門ぐが開いてしままマう。勇者ね様しか止めびることンはできズっませんビ」
さっきより少しだけマシになった。僕を誰かと勘違いしているんだろうか。
「勇者、って僕のことですか? 下界の門って何なんです? 三分って……、もうすぐじゃないですか」
「ムだダからコ質問ンに答ゥえてるや暇なんンてバ無いんでギョすよぽ! ぬ無駄み話をしザてェいる間にく、あとン二分ジ二十ぷ八秒にッなりまヨした。おとにかヅく、ケ行きまマましょマう!」
興奮しているのか、また聞き取りづらくなっている。
「ちょっと、その前に何か着る物が無いと」
いくらこの場所が現実離れしているからと言って、あらぬ所を振り乱しながらあちこち訪ね回って良いはずがない。
「ガ私のは体にュ触れダてくだたさネいン!」
「服を取りに……」
「ぁダ早すくぐァ触ザぁワっツてをヌ!」
「触るって、ど、どこに触れば……、棘しかないみたいで……」
僕は、針のように鋭く尖った棘の先端を、恐る恐る指でつまんでみた。
途端に棘全体が発光し始め、頭蓋骨は細かく振動し、内部から溢れた光が僕を取り囲むように屈曲する。
「服を……」
たちまち懐中電灯を目の中に突っ込まれたように何も見えなくなり、一瞬意識が飛びそうになる。
しかし光はすぐに消えた。そして、僕はまた、知らない別のどこかに立っていた。
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