9 島波なぎさ

 花乃の読み通り、彼女が出ていったあと見事にうつらうつらしてしまった令は、遅刻ダッシュで鍛えた足腰を本業のために使うはめになった。

 セーフ。ライトグレーな、セーフ。本令は鳴ったが先生はいないから、セーフ。


 教室に入った瞬間、宙と目が合うが、見なかったことにして着席。あの絡みつくような視線はもうない。


「令、れーいっ!」

「なにさ、島波」

「冷めてんねぇ。この、島波しまなみなぎさちゃんが話しかけてんだぜ?」


 令の前の席に座る、このなぎさという少女は、単なるナルシストだとか、自意識過剰だとかいう痛い子ではなく、絶大な人気を誇る、正真正銘の美少女だ。”この”島波なぎさちゃんなのだ。

 さらに、ここだけの話、なぎさちゃんの人気はその愛らしい見た目とあっけらかんとした人柄だけではない。学校内どころかこの国全体の情報に精通しており、それによる人気も高い。が、なぎさちゃんが意図的に隠しているので令は知らない。


 そういった事情から、信用に足ると判断した人物以外とは(たとえ親であっても)決して口を利かないなぎさちゃんが、なぜ令とはフレンドリーに話すのか?その真相を知る者は彼女自身の他にはいない。全くもって謎である。

 そんな謎多き―—謎しかない少女は、令にいたずらっぽく笑いかける。


「令に、耳よりな噂話をプレゼント!」

「やだ聞かない」

「なんでー!?」

「だってなんかしら『対価』要求されるし」

「宙ちゃん呼びだした件についてちょこっと訊くだ~け!突っ込んだことは訊かないから」


 そう。この少女は突っ込んだことだけは知っている。


「まあ、じゃあ、……なに?」

「ふっふっふ。聞いて驚け!今日、転校生が来るんだって!」


 なぎさの真の目的などつゆ知らず、それくらいならと折れる令に、なぎさちゃんは興奮気味に告げる。


「あぁ。確かに耳よりかも。この中途半端に田舎な町の学校に転校生なんて。うちの学年?」

「んーん?いっこ下。なんでも、すっげぇ美人らしいぜ~」


 ガラッ、と音を立てて、担任が教室に入ってくる。

 毎度のことながら、果たして女友達と話しているのか、男友達と話しているのかわからない、不思議な感覚を味わった令であった。



「おお……」


 1時間目が終わり、気になるでしょ?と、なぎさに手を引かれる令がやってきた1年生のフロアは、それはもう大パニック。


 どの教室も等しくがらんとしていた。それだけでも異様な光景だが、ひとつだけ、テレビで紹介された地方のパン屋のようになっている。

 人間がまるで液体のようにひしめきあっている。などという益体もないことを考えてしまう令であった。


 ちなみに益体の読みは「やくたい」であって「えきたい」ではないのだが、令はそれに気づいていない。


「間違いなく、アレが元凶だな」

「よっし!行ってみよー」


 なぎさと令の頭には、授業に遅刻するなどという可能性は微塵も存在しない。

 何故なら……。


「あ、あの島波なぎさ先輩だ!」

「生で見られるなんて……」

「教室の中に入るみたいよ!」


 ヒトの海が割れる。

 一同に見守られながら、なぎさとオマケが教室に入る。


 教室内までもがぱっくりと割れ、騒ぎの元凶への道ができる。もちろん後ろには道がない。


 クラスの人口の3倍近い人数に取り囲まれ、そうかと思えば潮が引くように人が後ずさるという状況にわたわたしている元凶氏は―—。


 天井花乃であった。


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