8 統べる者の朝は早い

「……ということがありました」


 家に帰った令は、新しい布団に埋まってはしゃいでいた花乃を見なかったことにして、今日のことを報告してみた。


「やはり来ましたか。先代様は正妻の他に、めかけの女性が10名ほどいらっしゃいました」

「え、10人も!?」

「ええ。それでも絞っておられたらしく、亡くなられるまでに求婚してきた女性は二桁台の後半にのぼるとか」

「それも大半が裏に通じてるか、強い権力を持った家の人たちに、か」

「いえ?そのうち半数は一般の方で、妾も含め、妻は全員一般の女性だったらしいですよ」

「……」


 令は沈黙した。3〜40名は上流階級。これはわかる。だが先代はそれとほぼ同数だけ、一般人からも求婚されていたのだと花乃は言うのだ。

 もちろん一般人の全てが権力目当てではないとは言い切れない。だが逆に、上流階級にいる女性たちもまた、権力だけを目当てに求婚したとも言い切れない。


 つまり、先代は普通にモテていた可能性が高いということだ。


「次元が……違いすぎる……」

「ま、まあ、立場が人を作るとも言いますし、司道様も今はお気になさる必要はないと思いますよ」


 花乃から暖かい慰めの笑顔を向けられる令。その姿はまるで敗北者のそれ。令の背中は泣いていた。


「ところで——」


 花乃が咳払いをひとつして、話を戻す。


「星影のご令嬢についてですが、もしめとるとして、許嫁いいなずけという形になります。——失礼ながら、もうルビが面倒なので漢字は各自調べるシステムでよろしいでしょうか」

「あ、あはは……。問題ないと思うよ。この話題は難しい漢字が多いし、みんなそんな感じだから!」

 

 メタな裏取引の現場を見た。


「にしても許嫁かぁ。いまいち実感湧かないな」

「要するに、早くて1年後でしょうか、未来の正妻を星影様に決める、ということです」

「そうか、僕の一声で決まることなのか……」


 令は頭を抱えてしまう。ついこの間まで一般的な学生をしていた令には決められるはずもない。


「択ぶか、切り捨てるか。まだ覚悟ができませんか?」


 失望でも、呆れでもない、どこか無機質めいた顔で放たれた花乃の言葉。その表情の意味を、令は掴めずにいた。


「僕は―—」


 ◆ ◇ ◆


 結局黒とも白とも言えないまま、令は床に就いた。そんな令を眺めながら、花乃はふっと息をつく。

 花乃はこの話を聞いたときから、令が今すぐ決断できるとは思っていなかった。


「ま、予想通りすぎて拍子抜けでもあるけれど」


 花乃のいた場所。息の詰まる世界。そこにいた彼女ですら、『世界の半分――どころか全部をお前にやる』と言われた状況で、軽々しく選択ができる自信はない。彼を助けようと思ったのは、そういう理由もあったのかもしれない。


「しばらくは様子見かな。……どのくらい令さんの好きにさせてあげるか、の」


 確認の意味も含めて呟いて、花乃は自分の布団に潜った。

 人の金で買った布団は、やはり実に寝心地がよかった。


 ◆ ◇ ◆


 令の朝は遅、かった。今は早い。二度寝にプラスアルファで数分寝て、ふと時計を見て大慌てで支度をする日々は、もう歴史上の出来事だ。


「司道様!起きてください!ご飯が冷めてしまいますよ!」


 実のところ花乃も朝が得意ではない。だが、同居人これでは、まだマシな自分がどうにかしなければ、という使命感で意識を高速解放する。

 現在、6時半に至るまで、花乃は2回令を起こそうと試みた。いずれも玉砕である。


「難攻不落の令さんを攻略する鍵は、そう!ご飯の匂い!きっとご実家ではお父様にご飯ができたよ、と起こされていたのね。これがないと絶対に起きないわ」


 花乃の宣言通り、令はもぞもぞと起きだしてくる。


「あ~、飯~?」

「飯~?じゃないです!私が厄介になり始めて3日ですかそのくらいですよね!そろそろ2回目くらいで起きてください!」

「うるさいなぁ。母ちゃんかよ……」


 そのあたりが異様に厳しい家で育った花乃は、生活習慣にはとことん厳しい。おかげで、令はこの3日、一切の遅刻や忘れ物をしていない。

 してはいないのだが、やはりうるさいものはうるさい。父親からしてルーズな令は、まるで母親と同居しているような心持ちだった。


「服を着替えて、顔を洗ってきてください。今日は私の用事があありますからお見送りできません。……二度寝しないでくださいね?」

「わかってるから!」


 こうして、いつものように一日が始まる。


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