第二章 動き始めた世界

6 解放、そして始まる胃痛

 学校に向かう道すがら、令は妙な視線を感じ続けていた。


 世界を掌握してからはじめての登校だ。何やら狙われている気がしても不思議ではないだろう。

 そう考え、令は首筋がぞくぞくする何とも嫌な感覚を無視して、学校へ急いだ。


 しかし、その数時間後に、令はその考えを改めることになる。



 教室に入ってすぐに令を仰天させたのは、令の姿を見るなり駆け寄ってきて平伏した男3人と女2人である。

 この5人は令と同じ班の班員で、昨日ばかりでなく、新学期はじまって以来ずっと令に掃除を投げ続けてきた面子である。


「「昨日まで、本当に申し訳ありませんでしたっ!本日の放課後から誠心誠意、楽しく掃除をいたします!」」


 一同、斉唱。令、愕然。

 いったい彼らの身に何があったというのだろうか。

 思い出すのはあの言葉。


『チーム令に告ぐ。司道様のご命令よ。案の定って感じだけど、事前にマークしていたType Bの生徒をシメなさい。「掃除は楽しい」「効率的にやればすぐ終わる」この二点をみっちり教え込むのよ』


 これだ。


「(……これしかないでしょ)」


 一見すると冗談のようなこの言葉だが、昨日一日の出来事や、諸々の事情を知る今の令には、その言葉の恐ろしさがわかる。


「みんな、お疲れ様」


 きっと彼らは昨日、厳しい調教を受けたのだろう。そう考えると、この言葉しか出てこなかった。



 授業中も妙な視線は令を射抜き続けていた。


「班のやつらの視線か?いや、でも……」


 授業中、休み時間関係なく向けられる誰かの貫くような視線は、授業に集中しようと努める令の精神力をゴリゴリと削り取る。

 そしてついに、それは限界に達した。


「(あーもう!ストレスで胃がどうにかなりそうだ!誰だよ僕を睨みつけてるのは!)」


 さっ、と周りを見回して、


「お前か」


 2列となりの女子生徒と目が合った。



 昼休みになり、令は例の女子生徒を視線だけで誘い出した。

 そして中庭へ。


「朝くらいからずっっと見てたよな。気が散るんだけど。ね、星影ほしかげ


 庇の柱に背中を預けながら、令が問う。

 令が呼びかけた女子生徒──星影そらは、カインドオブカインド。常に全体がうまく回るように、それでいて悲しむ人が出ないように立ち回る、聖人と超人のハーフのような人物だ。


「(普通は、こんな露骨に嫌がられるようなことするわけがないんだがねぇ……)」


 令は宙の顔を窺う。視線はおろか、表情すらわからない。なんとも妖艶なアルカイックスマイルを浮かべているだけだ。ああ、その腕に優しく抱かれたい。


 令は宙の言葉を待つ。今ひとつ彼女の扱い方がわかっていないのだ。扱われることはあっても、積極的に扱おうと思うことがないからだ。どうやったら自分の影を思い通りに動かせるか考えるようなものだ。


 令は宙の姿を観察する。まじまじと眺めたことはなかった。それもそうだろう。出会った人みんなを舐めるように眺めたらそいつはもう変態だ。軽蔑に値する。

 色白の肌。花乃とは対照的に、かなりのナイスバディだ。令には大した『好み』というものがないが、美しい身体だとは感じた。

 同年代の中では群を抜いてよく手入れされた、流れるようなロングヘアー。重めの前髪から覗く瞳は、柔らかくも強い輝きを放っている。しかし、依然としてどこを見ているのかは不明だ。


 令は宙の──


「って!いつまで待たせんのよ!なんか言ったらどうなんだ?」


 沈黙に耐えかねた令の怒号に、宙は眉ひとつ動かさずに口を開く。その声は甘く優しく、宙が放っているえも言われぬ気配とは不釣り合いなものだった。


令くん。今夜空いてるかしら?できれば放課後から。大事なお話があるの」


 そう言って、宙は柔らかく笑った。

 対する令は行方知れずだった宙の視線を一身に受けて、完全にブルっていた。


「お……おう。じゃ、また放課後な」


 なんとか気丈に答えた令は、極めて足速に、脱兎の如く、中庭を去った。

 登校中から感じ続けていた視線はもう感じなかった。


 これが、令の長い長い戦いの第1フェーズの、始まりである。しかし令はこれが全ての始まりに過ぎないことなど知る由もない。



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