【春子】縁ある子
1556年7月上旬
上野国那和城
楓
(もう現代なら社会人1年目?の22歳)
やはり冴えませんね。
お顔の色。
ここ那和城に来て早5カ月。
北条から輿入れした春様。
ご一緒に貝合わせ(注)をしていても上の空。
(注:二枚貝を二つにし、それぞれ同じ絵柄、もしくは意味が同じものを描き、それを探し当てる遊び。
説明。https://japan-toy-museum.org/archives/6329
決して、決してR18的なものではない。思い浮かべた人は心が深~く百合ってる!)
当たり前ですね。
ご自身のお父上の首を取った鬼の大胡と噂される大名の所に、北条家臣団の大人の都合で差し出されたのですから。
家臣団の代表として大胡の殿のお側にと。
それで自分たちの保身を図ると。
しかも御年9歳。
ここの所、殿も領国が広がり城へ帰ってくることが非常に少なくなりました。松風の顔を見る事すら覚束つきません。今も尾張へ出兵中。
人懐こい市殿と違い、春殿は大分人見知りをするお方の様ですね。何とかして差し上げねば。
「お春様。お隣へ座ってもよろしいでしょうか?」
合い向かいに座っている春殿の右へ座る。
「綺麗でしょう? この貝とこの貝。私の一番のお気に入り。これはあの東雲様が御描きになられたのですよ。私が輿入れした時に寂しくないようにと」
それを聞いた市殿が見ていて楽しくなるような
「あの御狐さまが、こんなにも素敵な絵をお描きなさるのですか? そのお姿一度見て見たいです。どのようなお顔にて絵を描かれているのでしょう?
うふふ」
やはり市殿は誰にでも好かれる方の様。
一方、春殿は貝を手にしたまま、冗談ではなく文字通り本当に貝のように固まっておいでです。
私はお持ちになられている貝と、私が手にしていた相方の貝を合わせます。そしてそっと貝を合わせながら一緒にその両手を私の両掌で包みました。
「この貝は残念ながらまだ大胡に海がなかった頃に作ったものです。殿は買い付けたものをご自分で選んで東雲殿に描いてもらいたかったそうです。でもお気持ちは伝わりました。ああ、この貝のように離れ離れになろうとも同じ絵を描きながら生き、また誰かの手で巡り合わせていただくものなのかと。此度の殿の遠征。海の砂浜にて貝を拾って来ると仰りました。
きっとお二方のために……」
「いりませぬっ!」
急な大声。
今までそのような大声をお出しになったことは無かったのですが。
「……その海は私の故郷、相模の浜なのでしょう?
返して!
お父様を返して。
小田原を返して!
暖かだったあの時を返して!」
勢いよく立ち上がった春殿は、ご自分のお部屋に閉じこもってしまわれました。貝合わせの話は、しなかった方が良かったのでしょうか?
◇ ◇ ◇ ◇
1556年7月中旬
那和城
春
(現代なら小学2年生? 相当精神年齢高い時代です。+10歳という学者もいます)
上野なんか嫌い。
冬は寒いし夏は暑い。
風は大嫌い。
大胡なんか嫌い。
お父様を殺したし、お兄様を取った。
楓様も嫌い。
自分の輿入れが、どんなに幸せだったかひけらかすなんて。
大胡の殿さまも嫌い。
ちょっとしか顔を出さなかったけれど、市様とばっかり喋って今も尾張を助けに行っている。
そして……
私は、私が一番嫌い!
何もできない。
何もしない。
何もしないうちに、どんどん大切なものが遠くへ行ってしまう。
私が「いかないで」と本当の気持ちを口にせず、へそを曲げているうちに、お兄様も泣きわめくだけの私に呆れて、絵付けの為だけに大胡へきてしまった。
思えばお父様も私の我儘、無理なお願いに辟易していたに違いない。
それで武田への輿入れを急いでいたのかも。
この前の貝合わせだって、楓様の御気持ちはその手の温もりから分かっていた。でも私には『大声をあげて逃げる事』しかできなかった。
なんて馬鹿なの?
自分から差し伸べられている手を振り払ってしまう。
どうしてなのか分からない。
大人になればわかるの?
自分の気持ち。
今、何をすればいいの?
「はいるよ~。ただいま。ずっとほっといてごめんね。お春ちゃん。やっと見つけたよ。こんなとこで会えたんだね」
急に声をかけられ襖が開いた。
大胡の殿さまがいる。
「よっこらしょっと。あまり食べ物が喉を通らないって聞いたからさ、那和に帰ってから直ぐに厨房に行ってさ、これ作って来ちゃったよ。僕は子供の頃よく熱出したんだけど、そんな時いつもネキ……、福が作ってくれた奴。美味しいよ~、食べて~♪」
お膳と土鍋を部屋の中へ一人で持ち込んで、お粥を盛り付けている。
見たこともない色々と具が入っているらしいお粥だ。
最後の油はごま油? をかけると、部屋中に香ばしい香りが広がる。
食べたい……でも言えない。
「かえでちゃんから聞いたよ。ごめんなさいって伝えてだって。気に触ること言って」
私こそ謝りたい。
私の事を思って言っていたことくらい分かる。
あとで冷静になってからだったけど……
「この世の中。戦乱に満ちていて御大名の娘は大変。誰の所に嫁ぐかもわかんないし、10歳に満たないお春ちゃんのような子も政略結婚で早々と嫁がなくちゃなんないときもある。
全部が全部、かえでちゃんやお市ちゃんみたいにすぐ馴染んでしまう人ばかりじゃないよね。
ちょっと立場は違うけどお医者さんで生菊先生というのがいるんだ。僕の友達なんだけど、小さい頃はドジで間抜け、おっちょこちょい、何やっても駄目だと皆から言われて自分でもそうだと思い込んでいたんだ。
でもね、それは間違いだった。今ではこの日ノ本に光を照らす立派な仕事をしているよ。
人それぞれ。
一気にやってしまう人もいるし、段々と段々と一歩一歩前へ前進していく人もいるんだ。お春ちゃんはそっちの方の人かなぁ」
殿さまは手ずからよそった熱々のお粥のお碗を、私の前に置かれたお膳に載せた。
私の座っている下座から離れて、殿さまは書院造の床の間を支える真ん中の柱へ背中を付けてお尻をついて座った。
足を曲げ顎の下に両膝を持って行き、脛を腕で抱えてお団子のように丸くなっている。
「お春ちゃん。実は僕ね。すっごい泣き虫なんだ。小さい頃、毎月三晩位泣いて眠っていた。大人になるにつれて少なくなったけどね。今でもよく泣くんだ。昔はお福が抱っこしてくれたけど今はしてくれない。代わりにかえでちゃんがって思うんだけどなんか違うんだよなぁ。見栄張っているのかな? 思いっきり泣けないや。
でね。お春ちゃんにお願いがあるんだけど、聞いてくれる?」
鬼も逃げる
『首取り大胡』の大将が泣き虫などと誰が信じる?
そういう心情が顔に出ているのでしょうけれど、それを無視して殿さまは独り言をいう様に続けた。
「たまにさ、たまにでいいんだけど、ここに泣きに来てもいい?
それだけ。それだけでいいよ。あと5年、いや3年。我慢して。そうすれば相模の国衆も北条の元家臣も安心すると思う。そんなに甘くはないかもだけど僕が何とかする。その後、大胡を出て相模へ帰るなり何方か好きな人、仕事を見つけるなりして自由にして。協力するから。
3年の時間を貰う代わりにお春ちゃんの幸せを見つけよう。それまでは僕の泣き場所を提供して。姉、じゃない。兄妹みたいな感じでいいからさ。そういう契約でどうでしょう?」
少し剽軽で変わった殿さまであるとは思ったけど、ここまで可笑しい申し出を真面目な顔でする御大名とは思わなかった。
側女として良いようにされ捨てられる。
そんなことを想像していた。
お父様にも武田へ嫁いだらそこは女子の戦場だと言われ、嫁ぐという事は何と怖いものだと思ってた。
それが3年後には自由にしてよいと。
側女として扱われるのではないと。
泣き虫を見せると。
ここは女子の戦場ではなかったの?
でも……
もう北条のために盗み聞きをする必要もない。密書を送る必要もない。
「早く食べないと、お粥冷めちゃうよ。でも中は熱いから注意してね」
お腹が「ぐぅ」となりました。
恥ずかしい。
でももう我慢できません。お茶碗を手にして
お粥の具は様々なものが入ってる。
山菜と干し貝。
これは卵?
見たこともない野菜に干した茸。
鳥肉も細かく刻んで入れてある。
「その具はね、ここへ戻る前にお春ちゃんがご飯食べられるようにと色々な人にお願いをして用意してもらったんだ。
この山菜はサンカの皆。
この干し貝は疋田さん達。
こっちは東雲隊の皆。
それから……」
家臣にそんな命令を出すなんてと思いましたが、楓様のお話にあった結納の品の手紙。
あれと同じだ。
大胡の皆で
「よくぞ来てくださいました」
とお礼をしているのだと。
そんなことを考えていたら知らないうちに
あつつ!
「ゆっくりとだよ~、ゆっくりと。
大丈夫。お粥は逃げていかないから。
自分のペース……速さで段々とね」
お粥が喉を通るたびに、体が、心が温まっていくのを感じました。
◇ ◇ ◇ ◇
同日同刻
福
(遂に設定が分かってきた乳母!)
お春様は大丈夫かなぁ。
殿さん、頑張れやぁ。
殿さんの事だからうまく心を溶かしてくれると思うけんど、一緒に泣いちまうんじゃないかなぁ。
……最近は、あの観音様、見なくなったから殿さんに添い寝しなかったんだ。
桃ノ木川の戦までは、毎月観音様が夢に出て来て
「今日は第〇巻の第〇章を『ろおど』してください」
とか、訳の分からないことを言うんだぁ。
だから私は怖がっている殿さんの枕もとで、道忠様と政影様の書いた巻物を読んで寝付かせていたけど、あれは何だったんじゃろ?
最近はそんなこと要らなくなったみたいで忘れていたけど。
「ネキ~」という叫びの後に
「春姉ぇ~~~!」
という叫びもあったんだよなぁ。
だからお春さま。
殿さんと何かあるよ、きっと。それとも単なる偶然かなぁ。
二人とも泣き虫じゃから心配だよぅ。
観音様。2人をお願いします。助けてやってください。
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