第11話
千紘は思わず眼を閉じた。眼の前に銃口がある。
――撃たれる。
回転翼の騒音が頭に響き、耳鳴りのようだ。その音が遠退いて行く。意識を失いつつあるのだと思った。
「中に戻れ」
腕を引っ張られ、眼を開ける。津野田が千紘を見つめている。
「中に戻るんだ」
――ドローンは?
見ると、黒いものが足元から庭に落ちて行く。ジャケットだ。ひらひらと風に煽られる袖が、ドローンを見え隠れさせる。津野田が、ドローンの回転翼にジャケットを巻き付けたのだと気付いた。
千紘は急いで、窓枠から屋根裏に戻った。すぐに津野田を窓枠から引き入れる。泣き出したい気分だった。次から次へと生命を狙われる。もはや助かりっこない。そんな気さえする。
「弱気になるんじゃない」
津野田が千紘の顔を覗き込んで言う。
「忘れるな。シルヴァラードは自ら助くる者を助く」
「こんな状況なのに、どうしてシルヴァラードは助けに来てくれないんですか」
ふたりの警察官に押し入られたときは、助けてくれた。あのときは助けて、いまは見殺しにするのか。
「まだできることがある」
津野田が大きな声を出す。
「無理です。射殺されかけたんですよ」
「助けを呼ぼう」
「誰が助けてくれるって言うんですか」
「急いで駈け付けてくれるものなら、何だっていい。消防でも救急車でも。第三者の眼の前で、さすがに殺しはしないだろう」
消防が来たって、警察を相手に何をしてくれるのだろう。何もできずに帰って行くのじゃないだろうか。
当てにはできないと思いつつ、ダウンジャケットのポケットからスマホを引っ張り出し、電源を入れる。ОSの起動を待つのがじれったい。起動するや否や、緊急通報の画面を呼び出す。119を押す。
しかし、繋がらない。ウンともスンとも言わない。画面を見る。アンテナは立っていない。
「ダメです。圏外です」
「山奥じゃないんだ。そんな筈は……」
途中でハッとしたように眼を剥き、押し黙った。
「どうしたんですか」
「ジャミングしている」
「え」スマホを見つめる。
「コンサートホールにあるだろ。通信抑止装置だ。それくらいのことはするさ。外部と連絡できないようにしてから、取り囲んだ」
千紘は絶望的な気分になった。しかし、津野田にその様子はない。
「浅野副総理の家なら、きっと、ホームセキュリティがある」
「ないと思います。あれば、セキュリティ会社が来ています。警備の解除をしてないんですから」
「いや、もともと警備のセットをしてなかっただけかもしれない。火事なら話は別だ。警備会社に通報が行く。消防だって来る」
津野田は言い切った。しかし、千紘は反論する。
「副総理の家なら、SPとかに頼っていて、むしろホームセキュリティなんて必要なかったんじゃないですか」
「そうかもしれないが、試しもしないで諦めるわけにはいかない」
銃口を向けられ、千紘はすっかり滅入っていた。もはや、助かるなんて思えなくなっている。
回転翼の音が聞こえた。耳を澄ます。次第にその音が大きくなる。ハッとして振り向く。けたたましい音とともに、窓枠からドローンが飛び込んできた。それも二機。
息を呑む。ドローンを見つめる。まるで生き物のように、千紘の前まで来て、ホバリングを始めた。
「大丈夫だ。さっき思ったんだが、狙いを付けてもすぐには撃てないらしい。きっとシステムか、電波に問題があるんだろう。落ち着いて対処すれば何とかなる」
津野田が気休めを言う。
二基のドローンは移動を始めた。千紘たちはレンズの死角にいたらしい。気付かずに遠ざかって行く。互いに戯れるように、蛇行して行くのは、千紘たちを探しているのだろう。まだ気付かずにいる。しかしすぐに気付かれる。突き当たりまで行って、戻ってくればアウトだ。
「着ているものを脱いで、投げつければ、回転翼が勝手に巻き込んでくれる」
千紘はダウンジャケットを脱いだ。スマホはブラウスのポケットに入れ、財布は臀部のポケットに突っ込んだ。空高く飛ぶドローンが相手なら、津野田の方法は通用しない。屋根裏のドローンなら、どうにかできるかもしれない。
ダウンジャケットの袖を持つ。津野田はセーターを脱いでぶら下げている。回転翼の音が大きくなる。柱の陰になって見えないが、Uターンしたようだ。すぐにその姿が見えた。左右に蛇行しながら、柱を縫って来る。やがて千紘の正面でホバリングした。
――見付かった。
ドローンは獲物を見付けた猛禽のように、二機で並んで真っ直ぐ向かって来る。ダウンジャケットの袖を力強く握り締める。
ドローンは一直線に進んで来て、千紘の眼の前でホバリングを始めた。そこから浮上し始める。
――まずい。
ダウンジャケットの届かないところから狙い撃つつもりだ。屋根裏だから高さに制限がある。とはいえ、一番高いところまで行かれたら、手が届かない。
慌ててダウンジャケットを振り上げる。強い力で引っ張られ、袖を離した。見上げると、回転翼がダウンジャケットを巻き込んでいる。もう一基は津野田のセーターを巻き込んでいる。二機はバランスを崩し、ぶつかりながら落下した。
すかさず、津野田が這って行こうとする。と、ブシュッと音がした。
「うわっ」
津野田の頭上を弾がかすめた。ドローンが発砲したのだ。消音装置がついているので、大きな爆発音が轟かない。
狙って撃ったのではない。レンズにはダウンジャケットとセーターが覆い被さっている。視界を奪われ、当たれば幸いとばかりに、盲滅法に撃っている。しかも、ドローンは、ばたばたとのたうち回っている。衣服が巻き付いていない回転翼が、本体を右に左に振り回すのだ。それで発砲するから、弾がどこに飛び出すのか、判ったものじゃない。
千紘は足が竦んで動けなかった。しかし、それはむしろ幸いだったかもしれない。下手に動いたら、命中してしまう確率が高くなりそうだった。
ドローンのモーターが一頻り大きく唸った。そして、不意に回転翼が停止した。過負荷で回路がショートしたようだ。けれども、発砲し続けている。本体の動きが止まって、弾の飛ぶ方向が一定になっただけでも、良しとすべきか。だが、二機はそれぞれ違う方向に発砲している。
津野田はドローンに這って行く。何をするつもりなのか、千紘は息を呑んで見つめる。津野田は弾に用心して、手前のドローンを持ち上げた。津野田の手で発砲しているかのよう。そうして、もう一基に手を伸ばす。それも持ち上げた。二丁拳銃を発砲するかのように。津野田は、二基のドローンを持って、膝立ちで壁際に向かう。千紘は銃口の前に出ないよう、身体を退いた。
津野田はドローンを壁際に置いた。ドローンは静かに発砲し続ける。壁に穴が開き、抉られて行く。一体、何発の弾丸が込められているのか。無尽蔵に発砲される。壁に向かって打ち続けるだけなので、ひと先ず危険が去った。
けれども、千紘の胸は、撃たれる危険が去っても、早鐘を打っていた。全く、生きた心地がしない。
津野田はドローンが落下した地点に戻っている。そこから何か拾い上げる。手を貸したいと思うのだが、身体が硬直して動けない。鼓動が収まって、動けるようになるには、もう少し時間がかかりそうだった。津野田は膝立ちで千紘の傍らまで来た。
「発火させられるかもしれない。ホームセキュリティがなくたって、煙と火が上るのを見れば、近くの誰かが通報してくれる。消防車が来れば、連中だって下手な真似はできないさ」
津野田が掌を広げ、ねじを見せる。ドローンが落ちたときに、プラスティックの部品とともに外れたものだろう。
彼は壁のコンセントに向かう。コンセントの穴に、ねじを一本ずつ差し込んだ。
「何か燃えるものがないか。紙でもあればいいんだが」
紙ならある。霊安室で、住所を書いた紙片を預かった。
「あります」
千紘はジーンズのポケットから、紙片を引き摺り出す。自分でもびっくりするくらい、指先が震えていて、うまく引き出せない。やっとのことで紙片を出して、津野田に差し出す。津野田はそれを二本のねじに載せた。そして、別のねじを二本の上に掲げる。ショートさせて発火させようということらしい。
津野田がねじを落とした。それが二本のねじに触れた途端、バチバチっと火花が起きた。だが、それだけのことだった。一瞬、火花が起きたものの、それが紙片を燃やすことはなかった。ショートしたのは、ほんの一瞬のことだった。
「ブレーカーが落ちたのか」
津野田がしくじったというように顔を歪める。ブレーカーはどこにあるのだろう。それを上げに行くには、部屋から出なくてはならない。警察がいるところに出て行くなんて、できるわけがない。唯一のライフラインが使えなくなったということだ。
――ライフライン。
何て魅惑的な言葉だろう。生きるためのものだ。だが、そのすべてがもはや手を離れた。八方塞がりだ。もはや助かる術はない。
千紘は床に座って項垂れた。
「どうした。諦めたら誰も助けてくれないぞ」
津野田が千紘の両肩を掴んで、発破をかける。
「本当にシルヴァラードは助けてくれるんでしょうか」
津野田が眉を顰める。
「何を言い出すんだ」
「だって、ここは副総理の家じゃないですか。こんなところに来たから、取り囲まれてるんです。私たち、シルヴァラードに騙されたんです」
「僕はそうは思わない」
「どうして。どうして、そんなに平然としていられるんですか」
「平然としてるわけじゃない。信じてるんだ」
「何を? シルヴァラードを?」
「そうさ。それだけじゃない。どんな状況でも諦めない自分の強さを」
千紘には無理だ。どうせ殺されるのなら、スキサメトニウムの注射で良かった。撃たれるより、よっぽど穏やかな殺され方だ。射殺なんて、乱暴過ぎる。治験データを改竄して自殺したと思われるほうが、よっぽどましだった。射殺しようとするのは、きっと、警察官ふたりを殺した罪をなすりつけるつもりなのだろう。凶悪犯として射殺されるなんて、みじめ過ぎる。
感情が昂ぶった。拳で津野田の胸を叩く。止めどなく涙が溢れる。
「どうして、こんな目に……」
ずっと昔、こんな具合に激しく泣いたことがあるような気がした。
脳裡におぼろげな人影が浮かぶ。それが輪郭を持ち始める。
――浅野睦子?
〈お袋のこんな姿、見てられるか〉
誰の声?
お袋というのは、浅野睦子のことだろうか。ならば、声の主は浅野義英か。テレビで聞いた副総理の声。
〈新海さん〉
おぼろげな輪郭が、千紘を呼ぶ。ハッとする。
――私、浅野睦子を知ってる?
口を捩る浅野義英。いまいましげに、吐き棄てる。
〈危ねえったら、ありゃしねえ〉
〈冷蔵庫に火の付いた蚊取り線香を入れようとしていた〉
シルヴァラードに騙されたのではない。私が忘れているだけなのか。とても重要なことを忘れてしまっているような気がする。どうして忘れているのだ。
――私は……。
私は自分にできることをしなければならない。思い出さなければいけないものがある。
涙を拭って、津野田を見つめた。津野田が眉を上げる。
「どうした?」
「私、行かなきゃならない」
「行くってどこに?」
「私が行くべきところ」
津野田は頷いた。
「とにかく、この家から抜け出さないと」
「私に考えがあります」
津野田に、策を説明する。津野田は眼を見開いた。
「行けるかもしれない」眉を寄せる。「しかし、警察を出し抜かなければならない。とても危険だ」
「判っています。私が行きます」
「私がって、ひとりでやるつもりか」
「津野田さんは援護してください」
津野田に細かな作戦を告げた。
「それじゃ、君が危険過ぎる」
「でも、これしか方法はないと思います」
「しかし、危険だ。危険すぎる」
津野田はやるとは言わない。
千紘は津野田の眼を見つめる。
「自ら助くる者を助く」
津野田の瞳孔が大きくなった。千紘を見つめ返して頷く。
「大丈夫です。きっと、シルヴァラードの加護があります。だって、これだけ危険があることに挑もうとするんですから」
津野田も頷いた。
「判った。やろう。連中を出し抜こう」
千紘は梯子のところまで行き、下を覗き込んだ。追手は部屋に入っていないようだ。それでも用心しながら、梯子を下りる。部屋のドアは閉まったままだ。廊下は静かだ。人の気配が感じられない。だが、廊下には出られない。きっと待ち構えている。
天井を見上げる。津野田が梯子の下り口に顔を出している。時計を見ながら言う。
「五分後に注意を惹きつける」
千紘はスマホの時間表示を見て頷く。
窓際に行き、ガラス窓をそっと開ける。庭にいる者たちに気付かれないよう、少しずつ、少しずつ。
通り抜けられるだけの幅を開けた。その間を抜けて、バルコニーに這い蹲る。庭にいる者たちから、死角になっているだろうか。下から見上げれば、津野田がいる窓はよく見通せる。そこで彼が注意を惹いている間に、千紘はバルコニーを這って行くのだ。バルコニーのフェンスは格子なので、眼隠しにはならない。しかし、這い蹲っていれば、下からは死角になる筈。
ドローンは飛んでいない。三基しか用意していなかったのだろう。用心しながら、バルコニーを端まで這う。そこでひと息ついた。
立ち上がって、フェンスを越えなければならない。スマホを見る。まだ少し時間がある。
もう一度、スマホを見る。時間だ。津野田がドローンを持って窓際に立ち、空に向かって発砲させている筈だ。屋根の上を滑り落ちる音がする。津野田がドローンを屋根に置いた。発砲しながら屋根を滑り落ちて行く。
「こっちに発砲している。早く止めろ」
下が騒がしくなった。いまだ。千紘はさっと立ち上がって、フェンスを越えた。そのままテラスの屋根に飛び移る。身体を低くして、屋根の端まで行く。病院の駐車場で、地下へのスロープに飛び降りたときの要領だ。あのときは、指を離してしまい、臀部を強打した。今度こそ、という気持ちで、屋根の端に指を掛ける。眦を開いて、脚を宙に投げ出した。
うまくいった。ぶら下がることができた。すぐに指を離して、地面に着地する。室内用のスリッパでは、足の裏への衝撃を和らげることはできない。しかし、構っている暇はない。辺りの様子を窺う。
警察官たちは、千紘も津野田と一緒に屋根裏にいると決めてかかっている。テラスの周囲を警戒する様子は全くない。テラスに入って、ガラス戸に向かう。ノブに手をかける。津野田と一緒にテラスに出たときのままだ。鍵はかかっていない。ガラス戸を空ける。
案の定、誰もいない。暖炉に行って、シャベルで、火のついた薪を何本か掬い上げる。
リビングのドアを振り向く。開け放したままだ。ステンドグラスの破片が、廊下に散らばっている。廊下に人の気配はない。
廊下に出て、破片を避けながらキッチンに向かう。両手でシャベルを腰より低く構え、息を殺して進む。
耳を澄ます。人の気配はない。屋敷に入ったのは四人だった。四人とも二階にいるのか。油断はできない。息を潜めてキッチンに入る。冷蔵庫を見つめる。業務用か、特注したのか判らないが、一般家庭の二倍の大きさだ。冷蔵庫に近付いて行く。
薪が落ちないように、シャベルの先を静かに床につける。片手でシャベルを支え、空いた手で冷蔵庫の扉を開ける。中は空だ。両手でシャベルを持ち上げる。冷蔵庫に差し入れ、薪をばら撒く。庫内に紅い火が広がる。
シャベルを抛り出し、慌ててドアを閉めた。一目散で駈け出す。
――!
男がいる。津野田が電気コードを押し付けた男だ。千紘を見て、憎々しげに口を捩る。千紘の足が止まった。
しかし、キッチンに戻るわけにはいかない。千紘は床を蹴った。男に向かって行く。男も千紘に向かって来る。
ぶつかる寸前で、床に這い蹲った。男の足を掬う形になり、男は千紘の上に倒れた。
「くそったれ」
男が怒鳴って身体を起こす。千紘は床に伏せたままでいた。そろそろの筈だ。そう思ったとき――。
耳をつんざく大音響だった。千紘が予想したより、遥かに大きな爆発が起きた。千紘は頭を抱えて、衝撃に耐えた。背中が軽くなったのは、男が吹き飛ばされたからだろう。
冷蔵庫の冷媒に使われているイソブタンはカセットボンベの主成分としても使われる。庫内を冷やすほどの量の冷媒は、冷蔵庫を吹き飛ばしてしまうほどの爆発力がある。まして、この家の冷蔵庫は業務用並みに大きい。それだけ、爆発力は凄まじい。
千紘は身体を起こした。眼の前に男が横たわっていた。顔が砕かれている。男の頭の先に戸棚の戸が落ちているから、それに強打されたのだろう。砕かれただけではなく、ガラスの破片が頬に突き刺さっていた。千紘は眼を背けた。
ゆっくりと立ち上がる。膝や肘が痛むのは、床に滑り込んだときに打ったのだろう。身体に異状はないようだ。結果として、男が盾になってくれた。
玄関の外に声が聞こえて、ハッとする。階段を駆け降りる足音もする。いまの爆発で、ほかの者たちが集まって来る。早く、この場から離れなければ。急いで、リビングに行く。ドアの陰に身を潜める。
玄関のドアが開き、男たちが土足で駈け込んで来た。二階にいた者たちも合流したようだ。
「見ろ。壁も天井も吹き飛んでる」
「さすがに、いまの大音響は近所にも聞こえただろう。通報される」
「撤退するしかあるまい」
「しかし、新海は?」
「すぐに所轄が来る。刑事部がしゃしゃり出て来たら、厄介だ」
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