第6話

 班分けが済み、閉会した。他署から応援に来た者は、捜一の捜査員と組まされずに済んだ。浦瀬と小杉は、一緒に地取りをすることになった。

 聞き込みに行くなら、夜のほうがいい。昼は留守の家が多い。それに、死亡推定時刻は深夜だ。その前後の捜査は外せない。いまから。その時間になる。捜査員たちは、寸暇を惜しむように後ろ扉に殺到した。

 その流れに逆らう者がいた。後列の壁際にいるふたりだ。ふたりとも浦瀬と同年代くらいか。ふたりとも髪を丸刈りにしている。大半の捜査員が後ろの出口に向かうのに、ふたりは幹部席に向かっていた。浦瀬はふたりの様子を窺う。

「自分らも早く行きましょう」

 小杉は既に立ち上がっている。席から立とうとしない浦瀬を急かす。

「ほかの連中と同じ視点にいたら、同じものしか見えない。動く時間をずらすだけでも、見えるものが違う」

 小杉は怪訝そうな顔をしたが、先輩の言葉を理解しようと思ったらしい。何も言わず、椅子を引き出した。席に着くと、小杉も浦瀬に倣い、ふたりに眼を向けた。

 幹部席では、刑事部長が立ち去ろうとしていた。署長と一課長が立ち上がって、頭を下げる。管理官は部下と打ち合わせ中で、刑事部長の退室を気にする余裕はない。

 丸刈りのふたりは、幹部席の手前で立ち止まった。前扉に向かう刑事部長に向かって頭を下げる。刑事部長が退室すると、署長を見た。声をかけて近付いて行く。署長はふたりを見て、怪訝そうに眉を顰めたが、やがて相好を崩した。長机を挟んで、ふたりと話を始めた。

「おべんちゃら」

 小杉が小莫迦にするように呟いた。

「余所の署長に追従したってしょうがない」

 浦瀬は席を立ち、ゆっくりと幹部席に近付いて行った。ふたりは署長に一礼して、戻って来た。擦れ違いざまに、ふたりの顔を見る。ひとり目の眼つき。ふたり目の口元。一瞬だったが、どちらも努めて感情を殺していると思った。

 署長が一課長と連れだって、幹部席を離れて行く。浦瀬はそれを呼び止めた。署長は立ち止まって、大儀そうに背筋を反らす。

「君も、私が管区学校で教官をしていたときの生徒かな」

「いまのふたりは生徒ですか」

「そう言っていた」

「ふたりを覚えていらっしゃいましたか」

「ああ、まあな」

「私のことは覚えていらっしゃいますか」

「ああ。勿論だ」

 嘘だ。浦瀬は主任にも巡査部長にもなっていない。管区学校には行っていない。

 浦瀬は、ふたりがいた位置に素早く移動した。しゃがんで、長机の下を見る。

「何をしてる?」

 管理官の声が頭の上に聞こえた。机の下から顔を出して、管理官を見上げる。唇の前に指を立てた。不審げに眉を顰める管理官に、机の下を見るよう、手振りで伝える。

「何かあるのか」

 管理官は椅子を引いて覗き込んだ。長机の下で、管理官と眼が合う。見せたかったものに視線を向けると、管理官もそちらを見た。眼を剥いて浦瀬を見つめる。

 浦瀬は長机から出て、後ろの扉に向かった。署内でぐずぐずしているとは思えない。それでも廊下に出て、階段を駆け降りた。二階のフロアを見回して一階に行く。一階まで降り、ホールを見回してエントランスから外に出る。通りにそれらしい人影はない。

 講堂に戻ると、幹部席に人が集まっていた。小杉もその中にいる。浦瀬に気付いて、片手を挙げた。会釈で応えて、幹部席の輪に加わった。

 長机に、ばらした盗聴器があった。浦瀬の向かいで、署長が口元を歪める。

「全く、お恥ずかしい。こんなものを仕掛けられるなんて」眼を上げ、後ろ扉に向かって叫ぶ。「おい、警務課」

 浦瀬の背後に、テンポの早い足音が近づいて来た。振り返ると、受付を担当していた者だ。出席者名簿を持ったまま、署長に会釈する。

「部外者が潜り込んでいた。どういうわけだ」

 署長の問いに、眉をハの字にする。

「いえ……それは」

 困り顔で、出席者名簿に眼を落とす。堂々とした体躯の男が、受付担当に近付いて行った。会議で清澄署刑事課長だと名乗っていた。

「貸せ」

 刑事課長は出席者名簿をひったくった。眼を皿にして、それに見入る。その内にハッとした様子で顔を上げた。

「御徒町署なんて、呼んでないぞ」

 受付担当を見据える。

「刑事課から回って来たメモには……」

「その言い草。刑事課が間違ったメモを渡したみたいじゃねえか」

 刑事課長が凄みを利かせても、受付担当は怯まない。

「警務課は勝手に付け加えたり、しません」

「ちゃんと警察手帳をチェックしたのか」

「勿論です」

「公安部でしょう」管理官が素っ気なく言った。

 一同、ハッとしたように眼を見開く。

「警察手帳で所属部署は判らない」

 仕方ないという口吻だ。管理官の右隣には捜一の一課長がいる。憎々しげに、拳で机を衝く。

「自分たちの情報は出さず、こっちの情報だけ吸い上げようってわけか」

 体躯の立派な清澄署刑事課長は、受付担当を睨み付ける。

「リストができた後、確認に回してくれたら、良かったんだ」

「刑事課がもっと早く、メモをくれていたら……」

 管理官が手を挙げて、受付担当を制した。

「言い争ってる場合じゃない。公安部は刑事部を敵に回しても構わないと思ってるようだ。我々を舐めたことを後悔させなければならない」

 一同、神妙な顔で頷いた。管理官は受付担当を見つめる。

「捜査本部の全員の証票番号を控えてくれ。次からは、氏名だけでなく、証票番号も照らし合わすよう改めてくれ」

 受付担当は口を結んで頷いた。

「以後、全て刑事課に……」

 清澄署刑事課長が受付担当に文句を言い掛けたところで、廊下が騒がしくなった。どかどかと駈けて来る。後ろ扉を見つめていると、鑑識課員が飛び込んで来た。

「何だ、騒々しい」

 課長が怒鳴りつける。鑑識課員は、全く意に介する様子を見せず、管理官に駈け寄る。

「Nヒットしました。新海千紘の車両です」

「見付けたのか」

「はい」

 鑑識課員は、新海千紘の車両の経路を説明した。

 深夜二時過ぎ、マンション近くで、交機が駐停車禁止違反の車両に職質をかけた。それが新海千紘だった。免許種別、行政処分前歴を照会すると、免許証そのもののデータが存在していなかった。しかし、前科前歴、盗難車両、薬物使用、暴力団との関わりなど、総合照会しても何ひとつヒットせず、犯罪との関わりを見い出せなかった。しかし、交機は怪訝に思ってキップだけは切っていた。

 その登録番号をNシステムで追った。Nシステムのデータを徹底的に調べて、首都高で横浜に向かったことが判った。三溪園‐磯子間のNシステムに、新海の登録番号があった。その先のNにはデータがない。磯子で降りたものと推測し、付近のNシステムのデータを徹底的に洗った。しかし、その後の足取りは途絶えた。

「磯子区のどこかに明け方まで潜伏していたようです」

 鑑識課員たちは、近辺のNシステムのデータを粘り強く調べ続けた。そして、再び新海の車両を捉えた。

「今朝、六時前に港南台のNに捉えられました。そこから鎌倉に向かう道筋のNにも記録がありました。最後に捉えたのは西鎌倉です。鵠沼のNにはありません。西鎌倉から鵠沼にかけた一帯に潜んでいるものと思われます」

「神奈川県警に共助の依頼をします」

 捜一の刑事が慌てた様子で後ろ扉に向かう。管理官は拳を握り締めた。

「捜査員を呼び戻せ。直ちに西鎌倉、鵠沼一帯に向かわせろ」


 浦瀬は小杉と一緒に、割り振られた地区を虱潰しにした。民家の密集する地域だ。一軒、一軒、車両の確認をしていく。ガレージの扉が降りている家がある。家人を呼び出し、扉を開けてもらうしかない。夜が更ければ、それはできない。

 管理官には、徒らに住民たちに不安を抱かせるなと言われている。それは無理な話だ。夜分に警察が訪ねて回れば、それだけで、住民は重大事件の犯人潜伏を予測する。当然、不安を抱く。

「何かあったんでしょうか」

 危惧を眉に漂わせる。

「いいえ、何も。防犯のためです。車両の保管状況を確認しているだけです」

 努めて軽い調子で言う。しかし、神奈川県警ならともかく、警視庁が来て防犯だと言っても、いかがわしい。だから、警察手帳は、ちらっと見せるだけ。勝手に神奈川県警だと思ってくれる。

「夜中に?」

「昼間は、皆さん、お勤めでしょ」

 にっこり笑ってドアを閉め、次の家に向かう。それを繰り返している内に、受令機が受信した。

「マル参の車両発見」

 民家の庭先で、浦瀬は小杉と顔を見合わせた。すぐに本部の指示が続いた。付近にいる者は合流しろと言う。捜査車両に戻って、小杉に住宅地図を広げさせた。

「柏尾川の西です。ここからだと四キロほどです」

「微妙だな」

「え」

 不服そうに浦瀬を睨む。

「何だ。行きたいのか」

「行きましょう」

 女ひとりのために、捜査員が挙るのは莫迦気ている。だが、公安部が帳場に盗聴器を仕掛けたヤマだ。それだけ公安部が関心を持っている。木下のヤマに、役立つことがあるかもしれない。女の顔くらい、拝んでおくべきかもしれないと思い直した。

「向かえ」

「はい」

 小杉は、威勢の良い返事をして、エンジンを始動した。


 路地との境にブロック塀があり、そのすぐ内側に、モルタルの壁が切り立っていた。家の横に車一台分のスペースがあり、そこにオレンジ色のアクアがあった。家の側面が路地に面し、アクアの右に玄関がある。二階の窓は、ひとつを残して雨戸が閉まっている。一階の窓は灯りがあるものの、すべて障子を閉て切ってあり、中の様子は判らない。

 捜査員たちは、路地に集まっていた。敷地に入って、アクアの陰に身を伏せている者もいる。きっと、そこだけではない。四隅、四辺に、女の逃亡に備える捜査員がいる筈だ。

 浦瀬は、路地からアクアを見下ろした。ノーズを浦瀬に向けている。ナンバープレートにペンライトを向ける。間違いない。新海千紘の車両だ。玄関に眼を向けると、捜一の主任が呼鈴を押していた。巡査長を振り向き、目顔で手順を確認し合う。

 引き戸が開き、中年の女が顔を出した。主任が警察手帳を見せると、驚いたように眼を見開く。話を聞いて、訝しげに眉を寄せる。家の中を振り向き、人を呼ぶ。中年の男が出て来て、女と入れ替わった。

 男は端から不審がっている。眼つきに敵意が宿る。ぶっきら棒にふた言、三言話した。すると、今度は主任と巡査長が驚いた様子で顔を見合わせた。それを見て、男の眼つきが変わった。敵意が和らぎ、首を捻る。主任から話を聞くと、アクアに手を向け、歩き出した。主任たちが後に続く。

 アクアの陰に潜んでいた捜査員は、ばつが悪そうに立ち上がって、その場を離れた。男はアクアのドアキーを解除して、助手席のドアを開けた。主任が中を覗き込む。巡査長が、アクアの周りを注意深く見て回る。後部に回って、大声を上げた。

「封緘が外されている」

 主任が慌てた様子で、リアに回った。すぐに戻って来た。

「車検証を見せてください。それとボンネットを開けてもらえますか」

 有無を言わせぬ調子で、男に言う。男はアクアに頭を入れ、車検証入れを取り出した。それを主任に渡すと、浦瀬の前を通って、運転席に回った。ドアを開け、ボンネットのラッチを解除した。すかさず、主任が浦瀬の前に割り込んで、ボンネットを跳ね上げる。ステーを支って、中を覗き込む。巡査長が運転席側に回り込み、エンジンルームにペンライトを向けた。

 主任は、ボンネットを閉じると、溜息を吐いて車検証を男に戻した。


「つまり、ナンバープレートを付け替えられていた?」

 管理官は机に肘を衝いて、両手を組み合わせた。再び講堂に集まった捜査員たちは、苦々し気に口を歪める。

「はい」主任が立ったまま続ける。「車台番号を照らし合わせて、確認しました。新海千紘のナンバープレートを付けたアクアは全く別人のものでした」

「その人は、ナンバーを付け替えられていたことに、全く気付かずにいたのか」

「はい。年老いた母親が根岸台神経内科病院に入院しており、昨晩、急変したとの連絡を受け、駈け付けたそうです。今朝まで病院にいて、六時前に病院を出て家に戻ったということです。会社には電車で出勤したそうです。車は家に停めたままでした。わざわざ、ナンバープレートを注意して見ていなかったと言っています」

 当然だ。浦瀬は腹の内で呟いた。普段、自車のナンバープレートに気を懸ける者などいない。

「それで、新海の車は?」

「根岸台神経内科病院の立体駐車場の二階に、ナンバープレートを外したアクアがありました。新海の車両だと思われます」

 管理官は苦笑した。

「Nにヒットして、われわれは糠喜びをしたってことか」

「われわれだけではありません。ほかにも欺かれたものがいます。恐らく、公安部だと思われます」

 公安部と聞いて、ざわめきが起こった。管理官が手を上げ、それを静めた。

「公安部が?」

「今日の昼、警察官を名乗るふたりが訪ねて行き、家にいた奥さんが応対しています。新海のことを訊いたそうですが、奥さんには誰のことか判らず、知らないと答えたようです。ふたりは、アクアをじろじろと見て帰って行ったそうです」

 管理官が口の端を歪めた。

「なるほど。きっと公安部だろうな。連中は、自分たちでこのヤマを片付ける気でいるんだろう。しかし、どういうことだ。われわれが夜中になって、やっと辿り着いたことを、公安部は昼にやっている」

「申しわけありません」

 主任は頭を下げた。

 浦瀬は刑事部が公安部に後れをとるのは仕方ないと思う。向こうの背後には、きっとCIRAがいる。国交省のTシステムや交通量調査の道路監視システムにもアクセスできる。民間の監視カメラも平然と画像諜報イミントしているらしい。Nしか使えない刑事部とは情報量に雲泥の差がある。

 それでも、新海に欺かれた。NやTが記録するのは車両の登録番号だけで、運転者の顔まで記録するオービスとは違う。道路監視システムに頼ると、出し抜かれるということだ。

「こっちがNを使うことを見透かし、逆手に取るとはな。新海というのは、何者なんだ」

 捜査員のひとりが手を上げ、立ち上がった。

「鑑取り班です」

 管理官が頷いて、先を促す。捜査員は手帳に眼を落とした。

「スーパーには、二年前から勤務しています。履歴書が残っていました。江東区の都立高校を卒業後、運送会社で事務をしていて、そこを一身上の都合で退職したことになっています。しかし、裏が取れませんでした。都立高校の卒業名簿に名前はなく、また、勤務していた筈の運送会社は登記されていません。スーパーに提出されているマイナンバーから戸籍に辿り着くこともできませんでした」

「間違った番号を教えていたのか」

 管理官が眉を顰める。

「判りません。履歴書の本籍地の区役所に問い合わせたところ、新海千紘という者の戸籍は存在しないと回答してきました」

「新海は何故、そこまで嘘で塗り固めているんだ」

 一体、新海千紘にはどんな秘密があるのか。公安部がこのヤマに関わろうとするのは、殺害されたのが同僚だからではなく、新海の秘密が公になることを嫌っているのではないか。

 とはいえ、現段階では、新海は重要参考人に過ぎない。顔と名前を公開して、情報を求めるわけにはいかない。

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