第26話:謀殺
教会歴五六二年七月(十三歳)
イタリアはもちろん大陸中で天然痘が流行して、とても多くの人が死んだ。
ロアマ帝国が首都を置いている東方だけでなく、オーク王国のある西方も、ランゴバルド人の故国がある北方も、天然痘が猖獗を極めている。
身体能力が強い純血種のオークはもちろん、魔族も天然痘の被害を受けていた。
我がストレーザ公国と、俺を信じてくれた氏族の公国内はある程度抑えられたが、王家直轄領や反ストレーザ公国派の公国領内のロアマ人の半数近くが死んでいた。
俺は二大魔族帝国とロアマ帝国が俺の誘拐を画策すると思っていた。
天然痘の予防接種を発明した俺を確保しようとすると思っていた。
だが俺の予測は外れてしまった。
俺は自分の価値とこの世界の人の価値を高く見積もり過ぎていた。
一番影響力の強い智徳平八郎の思考になってしまっていた。
俺は三大帝国が極力副作用による死をできるだけ防ぐと考えてしまっていた。
だが三大帝国にとって、五〇パーセントの死亡率を二パーセントに減少させられるのなら、それで十分だったのだ。
成功する見込みの少ない俺の誘拐に拘るよりは、比較的簡単に誘拐できる、ロアマ人の人痘法経験者を多数誘拐する方法と取ったのだ。
それだけなら我がストレーザ公国に大した影響はなかった。
だが人口が半減する勢いで天然痘が流行しているロアマ帝国は、ランゴバルド人などの騎馬民族が天然痘に罹患しない事に恐怖したのだ。
戦闘力のある騎馬民族がほぼ無傷で国境周辺にいるのだ。
一方のロアマ帝国はとても戦える状態ではない。
だからロアマ帝国は周辺の騎馬民族に謀略を仕掛けたのだ。
教会歴五六二年六月二八日、アルボイーノ王が弑逆された。
王位を簒奪したい氏族長が数多くいる状態で、アルボイーノ王がバカをしたのだ。
三年間包囲を続けていたティーキヌムを落城させて調子に乗ってしまった。
織田信長ではあるまいし、敵の頭蓋骨を杯にして酒を飲んでしまったのだ。
力づくで妻にしたロザムンダ王妃の前で、その父親であるゲピド王国クニムンド王の頭蓋骨杯に酒を注ぎ、謁見に来た氏族長の前で酒を飲むという暴挙を繰り返した。
そんな事を何度も続けていれば、ロザムンダ王妃に憎まれるのは当然だった。
エルフ族独特の美貌を持つロザムンダ王妃に横恋慕している者は数多くいる。
そんな連中からすれば、ロアマ帝国からの誘いは渡りに船だ。
アルボイーノ王を弑逆すれば、美貌のロザムンダ王妃と王が蓄えた財宝を手にできる上に、ロアマ帝国に貴族として亡命する事ができるのだ。
美女と財宝と安全を手に入れられるとなれば、自制心が吹き飛ぶ者もいる。
王の近衛兵の一人だったヘルミキスが、ワインに毒を入れてアルボイーノ王を謀殺して、ロザムンダ王妃と一緒にティーキヌムの城から逃げ出した。
しかも王太女のアルプスインダ殿下を人質にしてだ。
このような事を、いくらロアマ帝国が支援しているからと言って、ロザムンダ王妃とたった一人の近衛兵だけでできる訳がない。
反アルボイーノ王の氏族長から送り込まれた近衛兵の黙認があったからできた事だが、そう簡単に思い通りにさせはしない。
「待て、お前達がどこに行こうと構わないが、アルプスインダ殿下を連れていく事は絶対に許さない。
アルプスインダ殿下を今直ぐ開放しろ、そうすれば何処に逃げようと追わない。
だがアルプスインダ殿下を人質にするようなら、ランゴバルド人伝統の拷問を行うが、受ける覚悟があるのか、ヘルミキス」
今回の件では色々と策を考えた。
このままアルプスインダ殿下を見殺しにした方が、すんなりとランゴバルド王国を乗っ取れるという誘惑にかられたのも確かだ。
本多平八郎や小林平八郎などの経験と感情は、アルプスインダ殿下を見殺しにした方がいいと教えてくれる。
だが智徳平八郎や東郷平八郎の良心は助けるべきだと訴えてくる。
俺は熟考してうえでアルプスインダ殿下を助ける事にした。
忠義の精神で助けたい気持ちもあるが、それだけではない。
アルプスインダ殿下を助けた方が後々使える手が多いのだ。
王配をオーク王国から迎えれば、オーク王国を抑える事ができる。
オーク王国との約定を破って俺自身が王配になる事も不可能ではない。
アルボイーノ王弑逆に加担した氏族達を討伐する旗頭にも使える。
どうしても邪魔になったら、良心は咎めるが、謀殺する事もできる。
「財宝は、財宝は持って行っていいのだな。
戦士の誇りにかけて約束通り逃がしてくれるのだな」
「本来なら国王陛下を弑逆したお前達を見逃す事などできない。
だが、女王陛下に成られるアルプスインダ殿下を、いや、アルプスインダ陛下を危険にさらすくらいなら、叛逆者を見逃す方がましだ。
このままアルプスインダ陛下が弑逆されたり、ロアマ帝国に拉致されたりしたら、裏で画策していた氏族長達の思い通りになってしまう」
助けると決めた以上、アルプスインダ陛下に疑念を抱かれるわけにはいかない。
アルボイーノ王を弑逆した謀叛人を逃がしたと悪意を抱かれる訳にはいかない。
それに二人を生かしておけば後々黒幕の氏族長達の名を聞き出す事も可能になる。
今はロザムンダ王妃とヘルミキスが破れかぶれになって逆上しないように、上手くあやさなければいけないのだ。
「ロザムンダお義母様、父の傍若無人な行動には私も困っておりました。
父がお義母様の心を傷つける振舞いを繰り返していた事は分かっております。
どうかこのままお逃げになって、新たな幸せを手に入れてくださいませ」
アルプスインダ陛下が助け舟を出してくれた。
これでロザムンダ王妃の罪の意識が小さくなり、無理にアルプスインダ陛下を人質にして逃げようとしなくなるはずだが、問題はヘルミキスだ。
ロアマ帝国から出された亡命を許す交換条件が、アルプスインダ陛下を連れてくる事かもしれないのだ。
そういう条件なら、反アルボイーノ王の氏族長達が確実に関与している。
「ありがとう、アルプスインダ。
貴女の父親を殺した事には少し胸が痛みます。
ですが、どうしても許せなかったのです。
誇り高く戦って死んだ父を貶めるような行為が、どうしても許せなかったのです」
「分かっております、ロザムンダお義母様。
わたくしもあのような非道は行うべきではないと思っておりました。
戦士としても王としても恥ずべき行為だと思っておりました。
ランゴバルド人の風習だと言っても、やっていい事と悪い事があります。
王ならば、悪しき風習は止めるべきだったのです。
それでも、父は父です、父を殺された哀しみが全くないわけではありません。
同時に、父は殺されて当然という思いもあります。
どうか悩まれる事も苦しまれる事もなく、新たな幸せを手に入れてくださいませ」
アルプスインダ陛下が重ねてロザムンダ王妃の背中を押してくれる。
これでロザムンダ王妃がアルプスインダ陛下を開放する確率は高くなった。
さあ、ヘルミキス、どうする。
俺達と戦う覚悟でアルプスインダ陛下を連行するか。
それともロアマ帝国から条件を達成できない状況で逃げ出すか。
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